ボクは坊さん。

「でも、僕は今まで経験した"坊さん"の世界に、
 心の底からワクワクしたことだって何度もあったし、
 あまりの強烈な出来事に、思わず噴き出して
 大笑いしたことだってある」(『ボクは坊さん。』本文より)

第1回 はじめまして。坊さんのミッセイです

2010.01.15更新

「ミシマガジン」読者のみなさま、
はじめまして!

ミシマ社の新刊、
『ボクは坊さん。』を出版させていただく、
白川密成(しらかわ みっせい)と申します。

僕の仕事は・・・、
そうです、坊さんなのです。

白い装束のお遍路さんがお参りする、
四国八十八ヶ所霊場のお寺、
栄福寺(えいふくじ)というお寺で住職をしています。

栄福寺は、
弘仁年間(810年〜824年)に、
弘法大師が礎を築いたという伝説が残るお寺です。

第1回密成さん

山あいにある田舎のお寺です。

第1回密成さん

僕はこのお寺に24歳で住職に就任して、
現在では32歳になりました。

「あ、ちょっと説教っぽい本かな? 正直、苦手かも」

と一瞬、考えましたか?

そういう人にこそ、
僕はこの本を届けたいと思っています。

なぜかというと、
僕自身が難解な話や、
どこか押しつけがましい話を聞くのが苦手なタイプだからです。

第1回密成さん

「どんな本をミッセイさんは、
 作りたいと思われていますか?」

ミシマ社の三島さんに栄福寺で初めてお会いした時、
僕の頭にふと浮かんだのは、

「若い坊さんの青春エッセイ・・・。」

そんな言葉でした。

そう、
僕にとって、
"坊さん"になろうと決めてから、
突然の住職就任後の毎日は、
まさに「青春の日々」でした。

「はじめての散髪(坊さん用バリカン購入)」

「"流行歌禁止"の修行道場生活」

「坊さんの坊さんによる野球大会の鮮烈なシーン」

「亡くなった長老を見送ったこと。
 その儀式に、ありったけの心をこめたこと」

「お寺のオリジナルアイテムの制作」

「驚くほどシンプルで具体的な示唆に満ちた、
 釈尊(しゃくそん、おシャカさんのこと)や
 弘法大師(空海)の言葉」

そんな、この本にギュッと詰め込まれた毎日は、

時にお寺を舞台にした
「コメディー映画」のようでもあり、

また千年の時をこえて、
人々が大切に語り継いできた、

「仏の教え」

のあたたかくて、エモーショナルな、
「メッセージ」、「言葉」に何度も胸を突かれた日々でもありました。

たとえば、

「天が晴れわたっているとさまざまな天文現象を示し、
 人が感動すると筆を含んで文章を書く。(中略)
 凡夫と聖者とでは人間が違い、
 古と今とでは時代が異なるとはいうものの、
 人たるもの、心の悶えを晴らそうとすれば、
 詩文を作っておのれの志を述べずにおれようか」
(弘法大師 空海『三教指帰』より)

空海24歳、出家宣言といわれる著作の中での、
あつーい言葉です。

まだ未熟な坊さんの僕が、
一冊の本を書き、
みなさんの元に届けることは、
小さくはない戸惑いがありましたが、

こんな言葉にふれている内に、

「今だから、僕だから、
 届けられる"声"があるのかもしれない」

と思うようになりました。

そして、
そんな"声"は、
僕だけではなくて、
あらゆる人が持っているように思う。

そんなフィーリングが、
この『ボクは坊さん。』を通して
読者のみなさんに伝えたい、
メッセージなのかもしれません。

* * *

この本に、
収録された内容の元になる文章は、

毎日、たくさんの読者が集まる、
糸井重里さん編集長のウェブサイト、
ほぼ日刊イトイ新聞』(通称「ほぼ日」)に
2001年から2008年まで231回の長期連載として掲載されました。
(「坊さんー57番札所24歳住職7転8起の日々―」)

長い連載を終えて、
ふと自分の書いた文章を読み返していると、
自分の胸にある感覚が飛び込んできました。

「ここに描かれた自分の姿を忘れたくはない」

「坊さん」という、
仕事を何年も続けるうちに、

最初に感じていた、
仏の教えへの熱い気持ち。

人の生死に触れる中での、
不思議だけど、
底のほうからあたたかくなる感じ。

馴れあいのルーティンワークの
一部に対しての強烈な違和感。

そんなものに、
少しずつ"馴染んできた"自分に対して、

「この言葉を発したのは、自分であることを忘れるなよー」

と20代の自分が、
今の僕に手を振りながら、
いたずらっぽい笑顔を称えて、
どこか切実な表情で、話しかけてきたのです。

それがこの本を制作する、
一番はじめのきっかけになりました。

* * *

しかし、もし、
連載を読んでくださっていた方が、
この本を手に取られても、
大きく違った印象を、
受けとってくださると思います。

じつは、
最初の完成原稿では、
全面的に連載での文章を活かした
スタイルだったのですが、

三島さんとじっくり話し合い、
内容を活かしながらも、
全ての文章を頭から書き下ろす方法をとりました。

「もっと"本"というメディアにぴったりの、
 親密で真っ裸のミッセイさんの姿が見たい」

そんな三島さんからの言葉は、
僕を心から励ましてくれました。

そして試行錯誤の中での、
制作期間は1年を超えるものになりました。

三島さんの髭も伸びてきました。

第1回密成さん

打ち合わせで訪れた自由が丘、ミシマ社にて

また連載にはなかった試みとして、
本の中の様々なシーンで、
たくさんの「仏の教え」の言葉、
弘法大師の言葉を紹介することにしました。

その言葉をひろいあげる作業は、
僕にとっても驚きの連続でした。

誰にでもあるような人生の岐路、
ありふれた悩み、

軽いようで、
ずしんと重かったりする、
そんなトピックに、
本当にぴったりとくるやさしい言葉が、
「仏の教え」の中には溢れていたのでした。

そしてこの感動をぜひ皆さんにも、
一緒に追体験していただきたいという想いが強くなってきました。

つまり、
「自分」のためというよりは、
「あなた」にこの本をどうしても届けたい気持ちが、
ふつふつと沸きあがってきたのです。

古い仏典に、こんな言葉があります。

「怨みをいだいている
 人々のあいだにあっても怨むこと無く、
 われらは大いに楽しく生きよう。
 怨みをもっている
 人々のあいだにあっても怨むこと無く、
 われわれは暮らしていこう」
(『ダンマパダ』ー法句経ー197)

"今"の自分とは、
ずいぶん遠い存在だと、
痛感しながら唖然としつつも、

ブッダの決意と、
その心を吹き抜けた息吹を僕は感じ、
胸がジンとしました。

子どもたちに、
なぜ人を傷つけてはいけないか、
語ることの難しさを痛感している、
お母さんや学校の先生にも、
こんな言葉をお届けしたい。

「すべての者は暴力におびえる。
 すべての(生きもの)にとって生命は愛おしい。
 己が身にひきくらべて、
 殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」
 (『ダンマパダ』130)

当たり前のことを、
当たり前に語ってくださる、
そのストレートな"ありがたさ"に、
僕はどこか痛快な気分を抱えたまま、
坊さんとしての日々を送り、
この本を書きました。

今回、紹介した「言葉」は、
すべて『ボクは坊さん。』の中でも、
また違った形で登場する言葉です。

* * *

この本は僕にとって初めての著書ですし、

僕自身も群を抜くような膨大な智慧や経験、
知識を抱えているわけでもありません。

ただ、
読者のみなさんと同じテーブルについて、
僕が経験した「坊さんの日々」をステージにして、

仏の教えや、人の生死を、
カジュアルな同伴者に迎えて、

「僕も困ってるんです。みなさんどう思います?
 ふーん。そうかぁ・・・。なんかワクワクするなっ」

という明るい雰囲気で、
ミーティングを楽しむように、

本を通して、
しばらくのお時間をご一緒できればと思っています。

どうぞ、よろしければ、ご一緒に
このお話、『ボクは坊さん。』にご参加くださいね!

第1回密成さん

栄福寺 白川密成(ミッセイ)

「仏の教えの中にも
 "楽しむ"という言葉が、
 色々な場面でよく出てくる。
 それは、普通の意味での
 "楽しむ"とは違った意味ではあるけれど、
 仏教が苦しさや厳しさを求めて修行する教えではなく、
 もっと"楽な状態"があるんじゃない?
 と提案する教えだからだろうか、と想像した。
 本当に"楽しむ"とはなにか。
 そのことは僕にとって"死"と共に、
 ずっと考え続けたいテーマだ」
(『ボクは坊さん。』本文より)

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白川密成(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

ボクは坊さん。

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