ボクは坊さん。

そして我らが高野山大学軟式テニス部の面々は
不敵な笑顔を交わし合った。
「坊さん、なめんなよ」
誰かがそう言った。忘れられない思い出だ。
(『ボクは坊さん。』本文より)

第2回 この本で届けたいこと

2010.01.22更新

こんにちは。
栄福寺の白川密成です。

再び、四国、栄福寺からお届けします。

第2回ミッセイさん

お寺には、
いつの時代からか祀られるようになった、
小さな石像がいくつか点在しています。

この方は、
しゃもじを持った
「田の神様」(たのかーさぁー、と地元の人には呼ばれています)

第2回ミッセイさん

そして、
こちらは少し前に、
遍路道沿いを工事中に地中から掘り出されて、
「こわいからお寺に持っていっていいですか?」
と連絡があり、やってきた石。

第2回ミッセイさん

これは、なんなのでしょうか?
ご存じの方がいらしゃったら、教えてくださいね。

知り合いのお坊さんによると、

「白川くん、これは、子孫繁栄のシンボルだ。
 今年は子宝に恵まれるぞぉ。
 まずは嫁さんだ。がっはっはっは!」

とのことでしたが、
まったくそんなことはありませんでした。
(あっ、でもとても近しい人に子宝があった・・・)

うーん、お寺は結構、不思議ワールドです。


この文章を書く何日か前に、
『ボクは坊さん。』の
表紙イラストを拝見しました。

寄藤文平さんによる、

「バットを持った坊さん!」

そういえば、
仏さまもそれぞれ特徴的な「持ち物」を、
持っていることが多いです。

自分を苦しめる欲望を断ち切るための、
「剣」を持った不動明王。

病を癒す「薬壺」を持った薬師如来。

それぞれが、
自分にぴったりの持ち物を携えています。
(あなただったら、何を持ちますか?)

そして、
僕が持っているのはバット!

一体、何を癒し、断ち切るのでしょうか?

でも、
じっくり見ているうちに、

「これしかない」

ような気がするから不思議ですね。

僕は「遊ぶ」という言葉がすごく好きなんです。
すごく本質的な言葉だと思っています。
できることならば苦しい顔を誇るよりも、

バットを片手に草野球を楽しむように、
「仏の教え」や「お寺」のことを、
カジュアルに考えていきたいと思っています。
(あー、やっぱり僕の"持ち物"はバットですね)

この表紙の一番、「いいな」思うのは、
タイトルもそうなのですが、

「パッと見て、内容が瞬時に理解できる」

ということではないかと思います。

そうです。
こういう本なんです。

今日はそこに加えて、

「こういう本なんです」

ということを、

著者である僕が、

あらためてじっくり
整理しながら、お話ししてみたいと思います。


今誰かに、

「ミッセイさんは、
 この本で何が伝えたいのですか?」

と聞かれたら、
僕はいくつかの事柄を思い浮かべます。

まず、

・ 「坊さんってどうなの?」という
 シンプルで興味本位な疑問に「実はね・・・」と
 友だちと長電話するように話したい。

これは単純ですけれど、
意外とこの本の核のひとつだと思うのです。

世の中には、
様々な仕事がありますが、
坊さんはその中でも、
想像することが難しい仕事でもあります。

それに答えた本も、
いくつかあるようですが、

今回の本では、
素直なこころの動き、喜びや悲しみを含めた、

「個人的な打ち明け話」のような親密な雰囲気で、
坊さんの"仕事と周辺"をお話ししたいと思います。

そして、
そのことは決して、
みなさんの生活の色々な場面と、
無関係ではないようだ、ということもまた、
大切な伝えたいことのひとつです。

・ どんな仕事、生活だって、
その気になれば「おもしろい」を、
けっこう発見することができるはず。

僕は「坊さん」という仕事に就いて以来、
ずいぶん、たくさんの人たちから、
「つまらなそうな仕事だね」(!)
という意味のことを、何度も言われました。
すこし天の邪鬼な部分がある僕は、
「よし! じゃあ、楽しんでやろうじゃないか」
とニヤリと笑ってほくそ笑んだのを思い出します。

それに、
世間一般的に「おもしろくない」役割と
言われるような仕事のほうが、
じつは、
多くの人が気付いてなかったり、
忘れてしまっているような"鉱脈"が、
たっぷり含まれているような気がするのです。

「坊さん」という役割も、
まさにそんな仕事のひとつだと思いますし、

僕が経験した話から、
みなさんの生活や仕事の中での、
「ささやかだけど、役に立つ」ヒントを、
見出してくださるとうれしいです。

・ 「死」が"ここ"にあること。
 そこに、言葉にできないような
 あたたかさがあったこと。

ある「本」を語るにあたって、
"言葉にできないような"という表現は、
なんだか可笑しいですね。

だって、
本はすべて「言葉」によって
成り立っているのですから。

でも僕は、
「坊さん」という仕事の中で、
死者がまるでそこにいるように、
夢中で耳を澄ませた経験を通して、

ただただ、
この体と心が感じた曖昧なことを、
素直に読者のみなさんに、話したいのです。

死者を送ること。
その儀式の中での人々の会話。

その場面に、
偶然お坊さんとして居合わせた体験を、
まるで、
読者の方が「坊さん」になって、
そこにいるかのように、
深く僕の心に残った「死との出会い、生との再会」
の話をしたいと思います。

・ "仏教"という存在があること。

あるチベット僧が言われていた言葉で、
印象的な言葉があります。

記憶ですので、
正確ではありませんが、こんな言葉でした。

「たとえば、ここにスープがあるとして、
 "このスープがおいしくなりますように"
 と手を合わせてお願いしても、おいしくなりません。
 そうですよね?

 塩はこれぐらい、とか、
 ダシはこんな種類で、などという方法論がいるのです。
 仏教もまったくそうです。

 "お願い"するよりも、
 実際的な方法を実行することが、
 仏の教えなのです」
(いい言葉ですね。本でも紹介すればよかった!)

僕が、
この本の中で細かい仏教の「方法論」まで、
言及するには至ってはいないと思いますが、

釈尊の言葉や、
弘法大師の言葉を、
文中、様々なシーンに散りばめることで、

その教えが、
例えば具体的にどんな方向を示唆しようとするかを、
読者にとってリアルに描けたような、
感触があるのです。

そして、
自分で言うとなんだか気恥ずかしいですし、
せんえつではありますが、

何とか正直に切実にと力をふりしぼった、
人生のシーンの中で、
この聖人や賢者たちの言葉に触れていると、

いわゆる「名言集」とは、
全くちがった輝きと手触りがあることに、
僕自身とても驚きました。

そして、今、この時代の中で、

「仏教という存在があるみたいだよ」

と僕はそっと、声を発そうと思うのです。

それは、ささいな生活の場面の中で、
きっと大切なヒントやメッセージに
なり得ると僕は予感しています。

そういったわけで、

1 ドラマ、雑学的要素(坊さんってどうなの?)

2 仕事論的要素(どんな仕事にも、おもしろさがあるかも)

3 "死"を描いた風景、こころの動き。

4 "仏の教え"というものがあるということ。

という1冊の中で、色々な要素が行き交う、
なんだか不思議でユニークで、
またスタンダードな雰囲気もある
「楽しい本」が完成したと思っています。

「生きる」という、楽しいけれど
時々、つらかったりもする
その道のりの中で、

「駅」「バス停」のような本になれればと、
僕は皆さんをお誘いしたいと思っています。

『ボクは坊さん。』、そろそろ発車でーす。

第2回ミッセイさん

「個人」であることの重要性を説きながらも、
孤立だけを進むのではなく、
同時に「他者」に飛び込んでいく。
個を見つめ、チームを組む。
(『ボクは坊さん』本文より)

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白川密成(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

ボクは坊さん。

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