ボクは坊さん。

第3回 『ボクは坊さん。』発売です!

2010.01.29更新

こんにちは。
いよいよ、この日がやってまいりました。

『ボクは坊さん。』、めでたく発売されました!!!

しかし、これからみなさんにお届けするのが、
本にとっての「本番」です。

社会人1年生の時から、
わずかな年月ではありましたが、
書店で勤めて生活をしていましたので、
そのことを身に染みて感じています。
読者のみなさんに「届く」力を持った、
「読んでうれしい本」が出来上がったと思いますよー。

第3回ミッセイさん

栄福寺にも、ミシマ社から段ボールが届いた日、
座敷に運んで、しばし腕組みをしたまま、
動くことができませんでした。

「うー、わくわくしすぎて動けない・・・」

こんな感覚は生まれて初めてでしたが、
無事、開封いたしました。

おーーーー、
Webで見るのとは、また雰囲気がちがって、
気持ちのいい風合いの紙が、手に取るたびにうれしい、
「本」らしい「本」です。

第3回ミッセイさん

帯の紙は透明感のある上品な紙で、
ポップな雰囲気の中にも、
しっとりくるおしゃれ感があります。
「うわぁ」
と思ったまま、夕食を食べながらも、
本をずっと撫で撫でしてしまいました。

5年ほど前でしょうか、
参拝に訪れた神社で、
(お坊さんでも神社に参る人は多いですし、
 密教の修法の中では、日本の神様も拝みます)
生まれて初めて絵馬に願い事を書く機会がありました。

僕は無意識にそこに、

「すばらしい本がつくれますように」

と書いたのを憶えています。
一緒に行った人に向けて、はにかんで笑いながら、
「へぇ、自分って、こんなこと考えてるんだ」
と気づいたことを思い出しました。

少し変な話ですが、僕は「本を読む」こと以上に、
「本のこと」自体が好きなんじゃないかと、
思うことがあります。

だから、なのでしょう。
嫌なことがあったり、気分が晴れない時には、
しばらく本屋をブラブラしていることが多いです。
そして、また撫で撫でします。
「どうして?」
と聞かれても、うまく答えることができません。
それは、好きな友だちや女の子の要素をあげていって、
「故に僕は君が好きなのです」
ということが、言えないようなものなのかもしれません。

発売前夜、
いつも行く以前働いていた書店で、
はじめてお会いする、店長さんが、
僕のヘアースタイル(当然、坊主頭)を観ただけで、
「坊さんですか? 入ってきたら、バンバン展開しますんでっ!」
と声をかけてくださいました。(すごいですね、さすがっ)

そして、発売当日。
居ても立ってもいられなくなり、
また書店を訪れると、うわぁーー。

第3回ミッセイさん

僕は、文学書担当時代、これだけ「一冊」を、
押したことはありませんでした。

本当に、本当にありがとうございます。

愛おしい「本」というメディアと、
そこに関わる人たちの「笑顔」に
少しでもチームメイトとして参加できますように、
『ボクは坊さん。』、がんばっていきます!

* * *

そんな僕にとって、特別な日々の中でも、
やはり「死」の知らせがお寺にやって来ます。
じつは僕は今日、お葬式に行って、
引導を渡す役割、導師(どうし)を務めてきました。

栄福寺は檀家さんが少ないので、
年に数回しかお葬式がないのですが、
この冬は何度かのお葬式に行ってきました。

比較的、まだ若い方でしたので、
お通夜の場所を訪れるのは、心配でした。
「喪主を務められる方は、まだ若い方だろうなぁ」
そういう思いが、僕にあったからです。
とても強いショックをうけているだろと想像しました。

やはり喪主さんは、まだ20代の青年でした。
しかし通夜の儀式が始まる前、
僕の控え室を訪れた彼は、
とてもしっかりとした目で僕の目を見据えて言いました。
「闘病の中で、親父の生き様を見せてもらいました」
「人望だけはあったのか、さっきから参列が止まないんです」

いたずらっぽい笑顔を称えて、
そう僕に言う彼をみて、
人間の心が持っている輝かしい、
"力強さ"のようなものをみた思いでした。

通夜では、悲しみの最中にある家族、友人を前にして、
経をあげ、仏教の生命観について話をします。

どんな時よりも熱心に、
その話を聞いてくださることが多いです。
そして、そこに自分の言葉を加えます。

「もしかしたら、悲しんでいるのは、
 ここにいる私たちだけで、
 故人は"還った"だけなのかもしれません。
 そう思う時があるんです」

葬儀の後、
火葬場で荼毘に付されたお骨を前にして、
家族と一緒に再び法要を執り行います。

そして亡くなった方に、
お付けした新しい仏弟子としての名前、
戒名の字に僕がどういう思いを込めたか、
短い法話をお経の後にすることにしています。

「"安"という字には、
 仏の加護と自分の修行の成果によって、
 "ひとつの場所にとどまっていること"
 という意味もあります。
 これから、安らかな気持ちで、
 そんな修行をされるといいなと思っています」

「法事で皆さんにお会いすると、
 この家の男性陣はみんな豪傑揃い。
 だから、正直にいうと、
 最初は格好いいのがいいな、と思って、
 "龍"を使ったんです」
 親戚の誰かががプッと噴き出しました。
「でもですね、
 "龍"は、龍樹、龍智と歴史的な高僧が多いんですよ」
へー、とそこにいる人たちが、僕の声に耳を澄ましはじめます。

悲しい気持ちの充満した、
繊細な場所に飛び込んでいくことは、
本当に今でも、大きな躊躇を感じることが多いです。

でも同時に儀式の中で、力いっぱいそこに集まった人たちと、
心を通わせることができると、

「坊さんというのはすごい仕事だな。
 そして、生きる、死ぬということは、
 なんだか、やわらかなあたたかみを持っているんだな」

と感じることが多いです。
うまくいことばかりではなく、
むしろ、そうでないことも、ずいぶん多いですが、

そんな、
やわらかで愛おしい人が懸命に生きる"シーン"も、
『ボクは坊さん。』でどうしても、
描きたかったことの、大切なひとつなのです。

「その真ん中には、すとんと軽やかに"死"という存在があって、僕たちを沈黙のままで見つめていた」(『ボクは坊さん。』本文より)

白川密成

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白川密成(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

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