ボクは坊さん。

第4回 ポップな言葉と形で仏教を

2010.02.19更新

こんにちは。
「坊さん」のミッセイです。

僕の住んでいるのは小高い山の中腹ですが、
海もわりと近くにあるので、
近所の山に登ると海が拡がってきます。

第4回ミッセイさん

「考えてみると贅沢なところに住んでいるなぁ」

長く住んでいる僕も、時々、心底そんな風に感じてしまいます。

おかげ様で『ボクは坊さん。』とても快調のようです。
朝日新聞、読売新聞に大きく掲載された時期から、
さらに加速度をつけて届いている気配があるようです。

近所の書店でも前回紹介したように、

「ううう、ここまでしてもらって、ちょっと、悪いかも・・・」

とあまりの展開の大きさに、
正直、心配していたのですが、
昨日、担当者の方を訪問してみると、

「白川さん、昨日、売れ切れちゃったよー。
 問い合わせも、今日だけで、何件もあるし、
 こまった、こまったー」

と困りながらも、笑顔で応えてくださいました。
(勢いのある商品が出てきたこと自体は、担当者ってやっぱりうれしいんです)

三島さんとの東京での書店訪問、各メディアへのプロモーションも、
初めての経験で僕は不安があったのですが、

メディアの方に色々と質問をされることは、
自分自身、むしろカウンセリングをしてもらってるような、

「ああ、自分ってそんなことを考えていたんだ」

と腑に落ちる経験を何度もしました。
そして多くの取材の方が、
この本を「宗教」「仏教」という枠組みをふまえながらも超えて、
ひとつの「読み物」として、
親愛な気持ちを持ってくださったことを何度も、感じました。

また「本」の現場で働く書店員の皆さんとの、
決起集会(?)「やる気ナイト」を通じて、

「どうしても、届けたい売りたい本がある」

という心の底にあるモチベーションを根本にして、
みなさん、やっているし、やりたいと思われてるんだなぁ。
(もちろん僕の本に限った話ではなくて)
と痛感しました。
当たり前のことかもしれませんが、
当たり前のことに、正面から向き合い、
方法論やあつい気持ちをぶつける。

僕がミシマ社や三島さんに感じたその姿は、
仏教やお寺を同じようなスタイルで仕事にしてみたい、
と思わせてくれるものでしたが、
もしかしたら、どのような生活や仕事でも、
今、求められているのは、
「まったく新しいパラダイム」
のようなものではなくて、そんなことなのかもしれませんね。

第4回ミッセイさん

実際に読んだ人の感想をお聞きしていると、
わりと同じことをいう方が、多いことに気づきました。

「なんかさ、映画とかドラマの原作にもなりそうだよね」

という言葉です。
たしかに、この本はいわゆる「エッセイ集」ではなくて、
ひとつのストーリーを持った
「ノンフィクション小説」といえるような、
ジャンルの本だという気もしてきました。

今知りましたが小説には、
「市中の出来事や話題を記録したもの」(広辞苑より)
という意味があるのですね。
まさにそういう本でもあると思います。


取材してくださった中で「腑に落ちたこと」の、
大きなひとつは、

僕は「言葉を本で伝えること」を、
どこか「坊さん」の本業とは、
別の場所に置いて考えてきたような気がするのですが、

「言葉で仏の教えを紹介し、自分の考えと照らし合わせ、
 使用例や結果を正直に伝えること」

は、僕の考える「坊さん」の仕事の大本命なんだな、
ということでした。

お寺を訪れた栄福寺の信者さんも、

「テレビや会話とはまったくちがう密度や親密さが、
 本から伝わってきました。
 どうか今回みたいな仕事を続けてくださいね」

とおっしゃってくださいました。

それと同時に僕が、続けて考えてみたいと思っていることは、
「仏教」や「宗教」というものが、「正しい」から提案するのでは、
なかなか実現できない人も多いのでは?

という僕の直感から得た感覚です。
それは崇高な社会理念や思想が必ずしも、
生活者に対して「しあわせ」のようなものを
提供できなかったという歴史をみて感じていることでもあります。

そこで、僕はすごく単純に、
「うれしい」「かわいい」「格好いい」というような要素を、
なんとか仏教にも取り入れられないかと思っています。
(それは今回の本にも多分に含まれている要素だと思っています)

かつていた聖者や賢者に憧れや尊敬を持ちながらも、
自分がそこから観ると「途中」であることを、受け入れ、楽しむ。
そのようなスタンスにもなにか可能性を感じるのです。
「途中の仏教」とでも呼びたくなるような。

その試作として色々な形をもって、
仏教を表現できないか試し始めています。

第4回ミッセイさん

まず、最初に試してみたのは、
さまざまな種類の木を用いた数珠でした。

「ひとりひとりが違う個性だとしても、
 そのままで"サークル"のようなものを、
 描けることがあるかも・・・」

そんな少し密教の曼荼羅を思わせる思想をあらわしています。

第4回ミッセイさん

そして密教ですこぶる大事にされる梵字「ア」字の上に、
「Sometimes my name is you.」(時々、僕の名前は君だ)
とプリントされた栄福寺オリジナルTシャツ。
(デザインはagasuke)

これは『ボクは坊さん。』の
とても大事なモチーフになっている存在でもあるので、
じっくりとまずはその意味を感じてほしいと思います。

そして、
「祈り、という形にならない存在が、
 生命の森から1羽の鳥を生かすことだってある」

第4回ミッセイさん

という僕なりのイメージを持っている同じくagasukeデザインのトートバッグ。

このお坊さんのシルエットは、僕自身の写真を使ってもらいました。

どれも生活の中で、
身近に使ってもらいたいという思いを込めて、
実際、色々な方が普段、親しく使ってくれているようです。

木の数珠は、何度も何度も追加注文するほど、
大人気になっています。

言葉ではなかなかひとことで伝えられなかったことが、
人によっては、バッグを一目見ただけで、

「ああ、お寺って、おもしろいんだね」

と言ってくれた人もいました。

そして、こんな「お寺のTシャツ」などをみて、

「あっ」

とピンと来た人はきっと、
『ボクは坊さん。』という本のことも気に入ってくださると思うのです。

僕たちのすぐ近くに、ポップソングのように、
「仏なるもの」は今までもいたし、
これからも、いてくれると感じています。

白川密成

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白川密成(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

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