ボクは坊さん。

第5回 空海の中の山と都市(トークショウ、こぼれ話)

2010.02.26更新

第5回密成さん

こんにちは。
『ボクは坊さん。』のミッセイです。

2月20日、21日で行われたサイン会、
トークショウに足を運んでくださった皆さん。

本当にありがとうございました。
たくさんの人に直接、
お会いすることができて、幸せな気分になりました。

今回のトークで、
僕が「これだけでも持って帰ってほしい」と
思っていたのは、
お布施の中でも灌頂施(かんじょうせ)という最高の智慧の話。

灌頂とは、密教でもすこぶる大事な聖水を用いた儀式ですが、
その一番根本にある目的を考えた時、
その儀式の意味は、

「その人の気付いていない、いい部分をみつけて、教えてあげること」

だと思うのです。
これは、僕が師のように思っている僧侶が、
常々、口にされることでもあります。

当日は、
時間がなくてお話しできなかったのですが、
その時、僕はその話に加えて

「弘法大師(空海)の生き方に学ぶ、山と都市」

という話もしようと思っていましたので、
ミシマガ読者の皆さんに、おすそ分けします。

弘法大師は、四国で生まれました。
今でもそうですが、
そこは多くの自然に囲まれた場所であったと思います。
弘法大師の原点は、
この生まれ育った四国の森にあるのかもしれません。

非常に頭脳明晰であったであろう弘法大師は、
その時代の超エリートコースであった
「大学」(今の大学とはちょっと性格が違ったのでしょうね)
に入学するため、京都に入ります。

つまりここで、「山から都市」に入るわけです。
しかし、そこでは、
「自分が本当に求めているもの」が手に入らないと感じた、
弘法大師は仏門を志します。

そして、朝廷から派遣される留学生(るがくせい)として、
唐の長安に入ります。
当時の長安は華やかな国際都市であり、大都会です。
ここでも「都市」が出てきます。

この大学時代から留学生になるまでの期間、
空海には、足取りのつかめない時代があります。

そこで、
弘法大師みずから書かれたものや状況から推測すると、

大師はその何年間で、
自ら孤独に山野を駆けめぐり、またその場所の修行者と交流を暖めた、
「山の時代」を過ごしたとも推測されています。

第5回密成さん

つまり、
山(生まれた四国)→都市(京都の大学)→山(山野修行)→都市(留学生として長安)

という綺麗な循環を彼の生涯は描いているのです。
それだけには、とどまりません。

長安から正式な密教を授かった弘法大師は、
京都の朝廷からも強力に重んじられ、
大きな寺の責任者を歴任し、
数々の精緻な著作をしるし、
密教の加持力を活かした鎮護国家に力を発揮します。
そして、日本ではじめて庶民が学ぶことができる
「学校」(綜芸種智院、しゅげいしゅちいん)も立ち上げました。

ここでも、「都市」の僧侶として、
縦横無尽の活躍をするのです。

普通であればそこで、
生涯を終えるというのが、もしかしたら、
多くの人が求める「エリート僧侶」としての
生き方であるのかもしれません。

しかし、また空海は山を求めるのです。

今でこそ、
立派な寺が建ち並んでいる場所ですが、

当時は深い山に囲まれたただの盆地であった
高野山を朝廷に請うて頂くと、
その場所を密教修行の静かな場所として、
生涯を終えるまで、そこに留まり続けるのです。

彼の生涯は、山ではじまり山で終えられます。

しかし、僕がそこで大切だと思うのは、
空海は「山」だけを、また「都市」だけを、
重んじてはいないということなのです。

都市でしかできないことを都市でおさめ、
山でできることを求め、山に登りました。

今回、『ボクは坊さん。』を書いていて、
何度も強く感じたのは、
「仏の教え」というものが"どちらかいっぽう"を、
選択して重要視するのではななくて、
その「両方」に価値をみつけて、
バランスをとるという考え方です。

そういった意味で、
「山」そして「都市」を循環する、
空海の生き方は、本当に僕たちにもメッセージがあると思うのです。

自分の生き方の中で、今、

「山的」とでも呼びたくなるものが不足していないか。
「都市的」なものを、求めていないか。

そんなことを考えることは、意外と意味があるように思うのです。

「仕事が忙しくて、それどころじゃないよ」

「子どもを連れて、ここからピューッと都会や山に行けるわけないじゃない・・・」

そんな声も聞こえてきそうですね。

でも僕は、そういった現実の中でも、
自分の中にある「山」や「都市」を喚起させてくれるものが、
広い意味での「カルチャー」ではないかと、ふと思ったんです。

例えばここは本屋さんですよね。

ここにあるある小説を読んで、
もしかしたら、
あなたの心はニューヨークに実際行った人よりも、
ニューヨークに行ってしまうかもしれない・・・。

山を訪れた人が経験できないような
深い闇のような山を経験せざるを得ないかもしれない。

僕の本であっても、
まだまだ未熟者ではありますが、
僕なりの「山」「都市」を込めたような気持ちもあります。

四国で生まれ育ったおばあさんのお葬式に、
千葉にうかがったことがあるのですが、
その時ふと、

「今日は、おばあさんが、生まれ育った、
 四国の風の香りや山のにおいを届けるつもりでここまで来ました」

という話をしたことがあります。

人がそれぞれ持っている、「山」と「都市」を意識する。
そんな気分を弘法大師の生き方から、
今日、学んでいただくと、うれしいな、と思いました。

そして、
「宗教」や今回の『ボクは坊さん。』にも、
そんな力があるかもしれないと、ふと考えることがあるのです。


白川密成

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白川密成(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

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