ボクは坊さん。

今回の「ボクは坊さん。」は、前回お伝えしました、2月21日に松山の明屋(はるや)書店大街道店さんでの『ボクは坊さん。』出版記念トークショーをお送りします。
当日は、バンクーバーオリンピックがたいへん盛り上がっていた時期にもかかわらず、入りきれないほどのお客様に来ていただきました。ほんとうにありがとうございました。
今日は、あいにく参加いただけなかった方と、ぜんぜん興味なかったけど今急に興味出てきた、という方のために、「トークショー・ライブ」を再現します。
どうぞ、会場で座っている気分でお聴きいただければさいわいです。

第6回ミッセイさん

写真 松山城と梅の花 撮影:三島















第6回 『ボクは坊さん。』出版記念トークショー 前編

2010.03.12更新

「もてる仏教」「痩せる仏教」?

第6回ミッセイさん

白川こんばんは。今日はよくおいで下さいました。四国八十八ヶ所霊場の五十七番礼所、栄福寺の住職をしております白川です。
今日はオリンピックもあるので、どれだけの人が来て下さるか心配だったのですが、たくさんの方に来ていただいてほっとしております。
私は高野山大学を卒業した後、ここ明屋書店さんで1年間働いておりました。あまりできる社員ではなかったので、ここに居づらいという気分もあるのですが(笑)、ご縁もあって今回こちらでイベントを開催させていただくことになりました。

昨日は、今治本店さんの方でサイン会をやらせていただきました。そうしたらですね、うちのお寺の檀家さんが何人か来て下さって、普通にお布施をもって来て下さったんですね。私がサインをしている隣でミシマ社・営業の窪田さんが大事にあずかってくれていたのですが、檀家さんはその窪田さんに向かって「それは君のじゃないからね」「そのお布施はお寺のだからね」とずっと言ってたので、ミシマ社さんも面食らったと思います。まぁ、そんな感じで、本当に四国というのはお寺の文化、お坊さんというのが根付いているのではないかなと思います。

今日はどんな話をさせていただこうかいろいろ考えました。皆さんに楽しんでもらえるように、例えば、こうすれば異性にもてる「モテる仏教」ですとか、巻いただけで痩せる「痩せる仏教」といったものがあればよいなと考えました。しかし、やはり僕たち僧侶にできる話というのは、シンプルに話すことなのかなと思います。

どうして住職になったのかといいますと

お坊さんの仕事はとても話すことが多い仕事です。例えば儀式、法事のときやお葬式の後に親族の方々に仏の教えを話します。最近は大学でも遍路の公開講座をすることがあります。今日もトークショーを開いています。こうやって大変話す機会の多い仕事です。
けど、だんだん、自分自身、話すことが苦手になってきているような感覚があって、実は少し困っています。だんだんシャイになってきているのかなと思うのですが、今日は頑張ってお話させていただこうと思います。よろしくお願い致します。

どうして私は住職になったかといいますと、母方の祖父がお寺の住職で、孫としてお寺に住んでいたことが大きかったと思います。なんとなく祖父の仕事を見ているうちに、皆さんもそういうことはあると思うのですが、自分が生命をもって、死んで行くことがすごく不思議なことだと思うようになっていました。そういうことって、子どものころもあったと思いますし、今もあるのではないかと思います。そして、そうやってお寺に住み、子どものころから「死」や「生」に触れ、不思議に思っているうちに、そういうことを考えて行くのがお坊さんの仕事なのではないかと思うようになっていきました。
だから自然と「そういう仕事をしたい」ということでお坊さんになりたいと思うようになりました。

そうはいっても、高野山大学を卒業した後、すぐには坊さんにならず本屋さんに勤めました。お寺に戻ってから接するのは、僧侶以外の人たちのほうが多い。高野山大学ではお坊さんとばかり接していたので、社会生活についても知っておこうと思い就職したのでした。

しかし、1年ほど働いた頃、祖父が末期がんと宣告されました。お葬式を拝んでいる途中で突然体調を崩し、始めは貧血かなにかだろうと思って軽い気持ちで病院へ行ったのですが、検査の結果「もう手術はできません」とお医者さんに言われてしまったのです。しかし、末期がんでも自覚症状がないことはあるのですね。祖父は元気に「病院のご飯は足りないから、下でカツカレー定食を食べてやったよ」みたいな話をしていました。そこで、私は本屋さんを退職させていただいて、この仕事に就くことにしたのです。

『ボクは坊さん。』はコメディ本?

「『ボクは坊さん。』はどんな本ですか?」とよく聞かれることがあります。一言で言うと、お坊さんが登場人物のコメディードラマのようなものでしょうか。僕が坊さんを志してから遭遇したいろいろな場面というのは何か現実じゃないと思ってしまう時もあるほどの、コメディーのような世界でした。

よく覚えているのは、初めて大阪までテニスの試合に行ったときのことです。
高野山大学で学生は山を下りることを「下界(げかい)に行く」と言っていました。僕はソフトテニス部に入っていたのですが、例えば、大阪で試合があるときは「今日は下界で試合があるから」と言って試合会場に向かいます。「下界ってあんた何様なんだ」と自分も含めて思うことはあるのですが、普通にみんなそう言っていました。

そうするとですね、今度は逆に弾圧されるのです。
僕たち坊さんの学生が練習を始めた途端、回りに取り囲んでいる何十人という生徒が「ボーサン、ボーサン、坊さん倒せ!」って大コールを始めたんです。

そのときは、六校ぐらい集まってのリーグ戦で、高野山大学以外は全部たまたま教育大学の学校でした。だから、さぞかし上品なテニスをされるのだろうと思っていたのですが「坊さん倒せ!」の大コールです。とても驚きました。僕の感覚からすると、何百人も囲んでいるような感覚を受けて「なんじゃこりゃ。こんなことがあるんだ」とそんな感じです。それで、先輩たちはどういう反応をしているのだろうかと思って見たら、平然と練習をしている。

「そうか、いつもの光景なんだろうな」と思って、気持ちを取り直したのですが、試合が始まれば、今度はサーブのトスをした瞬間に、こそっと「坊さんっ」とか「高野山っ」ってヤジられるんですね。「そのままじゃないか」という気はするんですが、試合だとそんな雰囲気になりました。

ただ、そのとき、試合が始まってしばらくして、一番大声でヤジっていた選手の足がつったんですね。テニスではよくあることなのですが、うずくまって動けなくなってしまいました。そのときがまた印象的で、今度は我々高野山大学の選手が全員でその選手を囲み無言で合掌です。
そのときのことを本当によく思い出します。いままで元気一杯だった学生が血の気の退いたような表情で、そのまま死ぬんじゃないかという顔をしていたのが思い出深いですね。まぁ、思えばあまり徳のない話ですが、こういう話も少し書かせていただきました。

第6回ミッセイさん

あまり徳のない話ということで、もうひとつ話しますと、坊さんのバリカンについての話も少し書きました。お坊さんの世界というのは特殊な世界で、お坊さん専用のカタログというものがあります。そこで住職の方々は作務衣とか数珠を選んだりできるのですが、下の方に「住職の電動バリカン」というラインナップがあるんですね。

まぁ、それを知って何を得するということもないのですが、多分皆さんそういう世界って普段あまり触れることはないと思うんですね。なので、気軽に「そんな世界があるんだ」と思って、楽しんでもらえたらうれしいです。
ですので、今回はたっぷり「知られざる」といいますか、そういうお坊さんの世界についてもできるだけ親しみやすく書いてみました。

僕が実感として感じている、「死」にまつわる風景

そんな感じで、この本にはひとつ「坊さんの世界を楽しんでほしい」という思いがあります。そして、もうひとつ大切なことがあります。やはり僕はお坊さんですので、自分が経験した「死」にまつわる風景や、今感じている実感というものはどうしてもお伝えしたいと思っていました。

誰の死も、予定表に書き入れておくことはできません。お坊さんという仕事は、いつ何時、その場所に呼ばれるか、まったく予想ができない仕事です。

人が亡くなると「ミッセイさん、お葬式です」と呼ばれ、枕経(まくらぎょう)をあげに故人の自宅に向かいます。行くと亡骸が寝かされています。私は、まずその前に座り、そして、顔にかけられた白い布をのけてさしあげる。次に樒(しきみ)の葉を水にひたし、唇に水をつけて亡者の喉の渇きを潤します。そして、観念で髪を剃髪するイメージを心にもって、静かに偈(げ)を口にする。

初めて身内以外の死者の身体に触れ、その儀式を行ったのは24歳のときでした。それは自分にとって本当におおきな体験でした。
遺族にとっても大事なシーンです。そこで僕が何を言えるのだろう? 私に何ができるのだろう? 切実な問題がまさに現実のものとして降り掛かって来ました。

しかし、そういった重大な状況がある一方、亡骸を中心に縁のある人が集まった「死の場面」では、僕は何度も不思議な感覚をもちました。今まで自分にとって「死」というものは、単に辛く、悲しい、怖いものでした。けれど、地元のみなさんと、この死の場面に偶然居合わせ、儀式をするなかで、深い悲しみが充満しながらも、何かそこには悲しみだけじゃないものを感じることがありました。僕たちが生きていることを底の方から励ましてくれるような、そういう何かやわらかい、温かい感触というものを何度も感じることができました。

葬式の日というのは、遺族にとって辛い日です。私にとっても知っている方の死は辛い。けれど、現実にその場所にいると、同時にここは何か悪い場所ではないと強く感じるのです。「死」というものに触れて、葬送の儀式の中で心を込めるということ。その現場自体には、とても温かいものが含まれていると思うのです。

考えてみると、これはお坊さんの責任でもあると思いますが、例えばブッダ、釈尊がどんな言葉を残されたか、皆さん意外とご存知ではないのではないでしょうか。しかし、本当にありがたいことに、弘法大師が書かれたものは残っています。そして、ブッダが話したことも、こういうことなのではないか、ということはしっかりと伝承されて来ています。それも、難しい言葉だけではなく、普段の生活の中で活かせるものがたくさんあるのです。
ですので、そういったお釈迦さんが残された言葉や、弘法大師が実際に書かれた言葉というものを、テニスでヤジられた話や、僕が経験した死の現場の話などとおり交ぜながら、この本の中に盛り込ませていただきました。

(次週につづきます!)

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白川密成(しらかわ・みっせい)

1977年愛媛県生まれ。栄福寺住職。高校を卒業後、高野山大学密教学科に入学。大学卒業後、地元の書店で社員として働くが、2001年、先代住職の遷化をうけて、24歳で四国八十八ヶ所霊場第五十七番札所、栄福寺の住職に就任する。同年、糸井重里編集長の人気サイト『ほぼ日刊イトイ新聞』において、「坊さん——57番札所24歳住職7転8起の日々——」の連載を開始し2008年まで231回の文章を寄稿。

栄福寺ウェブサイト 「山歌う」

ボクは坊さん。

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