文学のなかの生命

第7回 石の声を聴いた詩人

2015.11.03更新

「咳 を し て も 一 人」   ー尾崎放哉


 夜中に独りで詩を読んで、救われたことがある。そこには、真実を誤魔化さずに生きることをただ見つめ、そのことによってかろうじて生を肯定する言葉があった。それは、吐き出された途端、身体からぽとりと床に落ちるような言葉であった。

「障 子 し め き つ て 淋 し さ を み た す」


 病弱で孤高の詩人、尾崎放哉の自由律俳句だった。韻律や季語にとらわれないその俳句は創造性にあふれるが、彼の作風の来歴を辿ると、試行錯誤や創意工夫といった創作の過程よりも、言葉がただ自然と抜け落ちていって辿り着いた境地のように思える。

 中学から俳句を書き付けていた放哉の初期の句は、韻律を保ちながら自然で衒いがない。

「水 打 つ て 静 か な 家 や 夏 や な ぎ」
「よ き 人 の 机 に よ り て 昼 ね か な」


 晩年の研ぎ澄まされたような洗練さはないが、何と言っても放哉の句には「嘘がない」。これは存外に難しいことである。詩人を含む芸術家は、経験を積むに連れ、表現の技術によって完成度を高めることができる。しかし、放哉はそれをどこか拒むようなところがあった。

 放哉の俳句の師匠であり、後年は彼の仕事や衣食さえ面倒を見た俳人・井泉水は放哉のほとんどの句を推敲していたことがよく知られている。大正十四年、放哉は小浜の常高寺に移住してから井泉水宛に二七十一句にも及ぶ句稿を送っている。月の平均ではおよそ二七〇句ほどにもなる。なぜ、彼はこれほどの句を書いたのか。井泉水宛の手紙に、こう書かれている。

 「只、数の多い丈けハ、御許し下さい、私としてハ、ドンナマヅイ句であつても、それが、ホントに吐いた言葉で、嘘で無いもの、作りもので無い故捨ててしまへないので、ソレデなんでも、かんでも、コミにしてアンタの処に、突つ込んで置くのです、...」

 「ホントに吐いた言葉」。純粋なものほど時に愚かに思えるが、放哉はそんなことなど気にもせず正直に、あるいはただ息をするように言葉を吐き続けたのだ。


「背景」としての心

 彼が旧満州に移り住むようになった頃から、句の韻律は次第に崩れていく。

「何 も か も 死 に 尽 し た る 野 面 に て 我 が 足 音」


 そして再び日本に戻り、兵庫県西須磨の須磨寺大師堂の堂守として過ごすようになる頃(歴史を振り返ればその死が二年ほど先に迫る頃)、詩人の句からもはやほとんどの技巧と意味が抜け落ちていく。

「烏 が だ ま つ て と ん で 行 つ た」
「大 空 の ま し た 帽 子 か ぶ ら ず」


 ただ事実を事実のままに書いた句。嘘のない句を書き続けた放哉が辿り着いた場所は、何かを「書こう」という意志すら存在しない場所にも思える。

 私たちが、何かを書こうと思う時、あるいは何かを考えようと思う時、心は「前景」に出てくる。思案し、悩み、想う、その前景なる「自己」の「こころ」と心中したのが夏目漱石のような近代文学者の懊悩であった。

 しかし、放哉の句が書かれた場所は、そうした前景から遥か遠のいた地点にある。詩人の心は、まるで完全に「背景」と化すことによって、逆にその全景に染み渡るような感情を掻き立てるのだ。寂しさを語るのではなく、寂しさがただそこに在る。悲しさを思うのではなく、悲しさがただそこに在る。

 彼は漱石の如く「自己」という病に向き合うほどの力はなく、かといって芭蕉のように自然と同一化する悟りには届かない。放哉の詩は、「個」を必然の前提とする近代に生きながら、自然との交わりをただ呆然と眺め、寂しさと悲しさが残り香のように漂う場所で、自分を他人のように見つめ、かろうじて残された足あとのような言葉たちである。

「風 吹 く 家 の ま わ り 花 無 し」

「切 ら れ る 花 を 病 人 見 て ゐ る」

「爪 切 つ た ゆ び が 十 本 あ る」

「墓 の う ら に 廻 る」


 パチリパチリと爪を切り、自分の指が十本あることに気づく。自分が畢竟「手」を有する人間であるという自明な、しかし逃れがたい事実に気づく。そして、それだけのことである。墓の前に立つと石に名が刻んである。形になった死(墓)を真っ直ぐと見ることができない。墓の裏に回って、死を背後から見つめる。見知らぬ誰かの終わってしまった人生を後ろから眺めるような行為だけが残る。それもまた、それ以上のことはない。

 なぜ、尾崎放哉の、何かを造型しようとする意志さえないような、ただこぼれ落ちてしまった言葉に救われるのだろうか。

 心が惑い揺れるとき、私は無理にそれを解きほぐそうとするよりも、「空が青い」とか「風が吹いている」とか「手が動いている」とか、目の前に見えるただ端的な事実をただそのまま言葉にするようにしている。

 そうすると、そこには自分を脅かすものも惑わすものも何もないことに気づく。私たちが、不安な気持ちになるときは大抵の場合、不安の対象は過去のことや未来のことで、今目の前の瞬間には、ただ事実そのものが広がっているだけである。在りもしないものではなく、在るものを在るままに見ることは、現代では案外難しい。

 なぜ私は生きるのか。そう問うて答えの出ない時、人は「意味」に救われる。何々のためではないか、と。しかし、意味は時に暴走する。何々をしなければ意味は無い、と。その時人は再び「無意味」によって治癒される必要があるけれど、無意味は時にまた絶望にまで至る。

 人間の多くの悩みと闘いは、この意味と無意味をめぐる灼熱のような煩悶に由来するように思う。放哉は、意味と無意味が生成する静かな空白の場所で、揺れつ流れつぎりぎりの狭間をふらふらと放浪している。


石の声

 考えてみれば、自然そのものに意味はない。雨が降る。風が吹く。光が照る。それに何の意味があるだろうか。切れ目のない自然に意味を作り出すのは生命の仕事である。生命は、無限の差異としての自然のなかからその身体の形式に対応した認知的なまとまりを見つけ、意味を取り出す。

 そして、自ら作り出した意味によって自らを拘束することによって生きる。

 放哉は、意味が生まれるか生まれないかの瀬戸際で言葉を紡ぐ。いや、言葉を紡ぐのでさえなく、ただ言葉を聴く。なかでも彼が愛したのは、石の言葉であった。

「なんで、こんなつまらない石ッころに深い愛惜を感じて居るのでせうか。つまり、考へて見ると、蹴られても、踏まれても何とされても、いつでも黙々としてだまつて居る......石は生きて居る。...よく、草や木のだまつて居る静けさを申す人がありますが、私には首肯出来ないのであります。何となれば、草や木は、物をしやべりますもの、風が吹いて来れば、雨が降つて来れば、彼等は直に非常な饒舌家となるではありませんか。処が、石に至つてはどうでせう。雨が降らうが、風が吹かうが、只之、黙又黙、それで居て石は生きて居るのであります。」


 尾崎放哉には、草花の声さえうるさすぎた。石のささやかな声が心地よかった。石の声を聴くこの詩人には、静寂でさえざわめきのように聴こえただろう。

「咳 を し て も 一 人」


 コホッ、と一人で咳をする。これは、静寂を歌った詩ではない。石の声を聴く放哉にとって、咳の音は大きすぎる。小さな咳は、古びたお堂に鳴り響く。彼は、このあまりに大きな咳の音に包まれながら、一人だったのである。

 あなたには、石の声が聴こえるか。私は、尾崎放哉がそうしたように、意味と無意味の狭間で、息を吐くように、こぼれ落ちるように生きたいと思う。


参考文献
尾崎放哉『尾崎放哉全集』(筑摩書房)

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下西風澄(しもにし・かぜと)

1986年生まれ。東京大学大学院iii博士課程在学。ESMOD JAPON非常勤講師。専門は科学哲学。主にシステム論/現象学アプローチから生命や意識を探る哲学研究。 「むき出しの知性」(『建築雑誌』2013年9月号)、「色彩のゲーテ」(『ちくま』2014年8月号)など。

http://kazeto.jp

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