実録! ブンヤ日誌

第1回 茶碗蒸しの後の直木賞

2010.02.01更新

 51歳は少年のように見えました。1月14日午後8時の丸の内・東京會舘。第142回直木賞受賞の知らせを受けた白石一文さんの顔は、高揚のせいか赤く染まっています。
お父さんの故・白石一郎さんが初ノミネートから受賞まで8度の候補、17年間の月日を要した文学の頂。「へとへとになりました。ウチの父は忍耐力があったんですね」 

 僕は手を挙げて尋ねます。直木賞を恨んだ日々のことを。

「小さな団地で家族で知らせを待って、いつも落ちるのを見続けました。小さい頃は『直木賞なんてなければいいのに』と思ってましたよ。父は家まで来てくれた記者の人たちに頭を下げて回るんです。母は『直木賞さえもらえば、生活が楽になるのに』なんて。でも、きっと今、父は『おっ、早かったな』って言ってますよ」

 一方、作風からコワモテとばかり思っていた同時受賞の佐々木譲さんは、柔和な笑顔を見せ、優しい声で話します。「ワインを飲んで待ってたんですけど、担当編集者と旅行の計画を話したりしてるうちに、忘れちゃってたんです。そしたら電話が来て『どうやら本当に受賞らしいぞ』と。でも、まだワインを飲みたかったなあ」
 おどけたかと思えば、ふと心に残る言葉を発したりします。「小説を書くことが、きっと僕にとっていちばん楽な生き方なんだろうな」
 
 皆さんは「行列の出来る料亭」の存在を知っていますか? ラーメン屋でもドーナツ屋でも法律相談所でもありません。いわゆる政治家の通う「料亭」です。夏と冬の年2回、芥川・直木賞の選考会の日。会場になる東京・築地の「新喜楽」前には必ず報道陣の行列が出来るのです。

 午後5時の選考開始から1時間ほど外で待っていると、女将から「はい、どうぞ」とOKサイン。一気に2階の和室になだれ込みます。さらに、ふすまを隔てた隣の部屋での選考を待つこと小1時間。ここでお待ちかねの軽食が用意されます。メニューは不動の3点セット。お~いお茶、四谷・八竹の「茶巾ずし」、最後はオリジナルの茶碗蒸しが運ばれてきます。これがなんとも。シンプルな具でシンプルな味付けでシンプルにうまい。「あぁ、直木賞だ」と実感します。

 そして、迫り来る締め切りにハラハラし始める頃、日本文学振興会の女性がヒラヒラした紙を持ってきて、掛け軸に受賞作の名をペタッと貼ります。今回は11年ぶりに芥川賞が「該当作なし」だったので「おおー」と歓声が上がりました。続く直木賞がダブル受賞だったので、これまた一同歓声。選ばれた者の名は
「ほかならぬ人へ」白石一文  「廃墟に乞う」佐々木譲
と書いてありました。
 
 選考委員の講評を聞いた後は一目散に飛び出し、タクシーに乗り込んで東京會舘へ向かう。そして最高峰に立った者たちの会見が始まります。
 2005年の角田光代さんは、途中で泣き出してしまいました。
「受賞した時にいちばん最初に電話したかったのが母で...。電話しようとして『あっ、いないんだ』って。それがさみしくて、くやしくて...。どうして、もう少し頑張ってくれなかったのよって...」
 僕は、お母さんについてもっと聞きたくて、数日後に角田さんに会いに行きました。
 「『就職して、結婚して、子供を産んで』って言って、私が書くことに興味を持たなかった母でも、直木賞候補になった時は反応が違いました。だから喜んでほしかったんです。結局、母が喜んでくれることを何ひとつやってこなかったから」

 昨年、こちらは芥川賞でしたが、磯崎憲一郎さんが会見で語った言葉も忘れられません。
 「娘が生まれて僕は変わりました。人生を、芸術を肯定しようと思った」
 ちょうど妊娠したばかりの妻がいた僕は、子供が与えてくれる心の変化について聞きたくて、やはり磯崎さんに会いに行きました。

「自分より大切なものが自分の外側にいるなんて...不思議ですよね。自分の人生最良の時期は、子供が小さかった頃です。ベビーカーを押している若い夫婦を見ると、ああ、素晴らしい時期は2度と来ないなあ、と思うけど、きっとそれでいいんですよね」
あの言葉の本当の意味について、娘の父親となった今、僕は時々考えます。

 7月にはまた、新しい受賞者を目撃することになります。スポーツでも何でもそうですけど、僕は常に、何者かの最高の瞬間に立ち会い、声を聞いて、震えるような思いに落ちていきたいのです。また、あの現場の熱を感じたい。会いたい人に会ってみたい。聞きたい話を聞いてみたい。それが、それこそがブンヤ稼業の喜びだから。
 あの茶碗蒸しを味わった後に。

【開始に寄せて】

初めまして。報知新聞の北野と申します。「スポーツ紙バカ一代」の加藤記者は兄貴分で、共に読売巨人軍を担当して桑田真澄のラストイヤーを見届けた間柄です。僕は専門分野を持たない渡世人記者ではありますが、少しでも興味を持っていただけるような事柄について報告していければと思っております。今後も読んでいただけると非常に嬉しく思います。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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