実録! ブンヤ日誌

第2回 真っ赤な顔の金メダリストは

2010.02.15更新

いよいよバンクーバー冬季五輪が始まりました。やっぱりオリンピックは夏でしょ、と言うなかれ。荒川静香のイナバウアーも、原田雅彦の「ふなきぃ~」も冬でした。五輪真弓も「恋人よ」の中で「こごえる私のそばにいてよ」と歌っています...。
テレビの中の選手たちは、2度と来ない一瞬のために、せっせと調整をしています。
スピードスケートのレーンには話題の15歳・高木美帆選手の姿もあります。ポッと赤く染まった彼女の頬を見ると、ふと僕は6年前の夏を思い出してしまうのです。

2004年8月23日の午後11時30分を過ぎた頃、僕は三重県立久居高校の体育館で「きんちゃんという方、知りませんか?」と聞き歩いていました。アテネ五輪女子レスリング55キロ級の吉田沙保里の母校で行われたパブリックビューイングの会場でした。ただでさえ熱帯夜なのに、満員の場内は熱気でムンムン。スクリーンには、まさに55キロ級決勝が映し出されています。僕は、吉田が得意の高速タックルを仕掛けまくっている様子をチラチラと眺めながら「きんちゃん」なる同級生を探していました。

手掛かりは、吉田が高校時代に6回告白して6回フラれたことと「きんちゃん」という呼び名だけ。誰に聞いても見つからず、オロオロしているうちに吉田の金メダルが決まってしまいました。日付も変わります。当然、締め切りがやってきます。諦めようと思った時、1人のイケメンが「あのう、僕のことでしょうか...」と目の前で笑っているではありませんか。デッドラインは過ぎ去ろうとしていましたが、僕はすかさず話を聞いて、デスクに電話を掛けます。
「きんちゃんを発見しました!」
「分かった! 何でもいいから、とにかく5分で送れ! 1面サイドだ!」
僕は無我夢中でキーボードを叩きまくり、送稿しました。

第2回ブンヤ日誌

翌朝6時頃。どうにか見つけた安ホテルの一室で、着替えもせずに眠り込んでしまっていた僕は、テレビの音で目を覚ましました。どアップで映っているのは、吉田です。現地のスタジオに呼び出され、金メダルをぶら下げながら、衛星中継で徳光和夫さんのインタビューに答えています。すると、最後に徳さんがスポーツ報知の1面をバサッと広げて言うのです。「吉田さん、日本ではこんな記事が出ていますよ。高校時代に6回もフラれたんですってね」。金メダリストは、文字通り真っ赤っ赤な顔で「え~! 恥ずかしい~」とうつむいてしまいました。小さな画面の中で世界王者が恥じらう姿は、不思議と今も網膜に焼き付いています。

第2回ブンヤ日誌



























帰国した吉田に、今後の抱負を聞くと「これからも夢追人で在り続けたいんです」と真っ直ぐな目をして答えました。「夢追人」は、中京女子大レスリング部の部訓。彼女は、究極の夢に到達してもなお、夢を追う人で在り続けようとしたのです。そして、公式戦119連勝を飾り、北京で2つ目の金メダルを獲得しました。きっと今日も、柱に向かって高速タックルの練習を繰り返していることでしょう。気が付けば、ロンドン五輪も2年後なのです。再び主役になる夏は、意外とすぐにやってきます。

バンクーバーでは、どんなドラマが待ち受け、どんなスターが現れるのでしょう。高木美帆選手は、彗星のように現れて五輪出場を決めた時に「人生が変わっちゃいました」と言いました。その通りです。無名だった彼女はマスコミやファンから追い掛けられるようになりました。列島が熱視線を寄せています。普通の人間では、生涯をかけても巡り合わないような大きな変化が15歳には起こったのです。でも、僕には「そうじゃない」という思いもあります。もし今、自分がバンクーバーにいて、彼女と2人で話す時間があるとするならば、僕は伝えたいと思うのです。励ましを込めて。

まだ何も変わっちゃいない。人生が変わるのは...人生を変えるのは、これからなんだと。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

バックナンバー