実録! ブンヤ日誌

第3回 右か、左か

2010.03.01更新

沢木耕太郎が13編の短編小説をセレクトしたアンソロジー『右か、左か 心に残る物語―日本文学秀作選』(文春文庫)が1月に刊行された。芥川龍之介から村上春樹まで、書き手の時代も作風も異なっているが、ある局面において「右か、左か」という選択に迫られる人々の物語が集められている。

右か、左か――。物語の主人公ばかりではない。僕らも例外なく、片方を選び、もう片方を捨てることを繰り返しながら生きている。進学、就職、結婚という大きな岐路はもちろんのこと、コーラを飲むかジンジャーエールを飲むかという迷いに至るまで、人生は選択の連続で成り立っている。
そして時に、もう片方を選んだ場合にあり得たかもしれない別の人生について思いを馳せる。もしも、あの時・・・と。

取り返しのつかないことに悔恨の念を抱くのは有意義ではない。宿命だったと思えればいいけれど、苦い選択ほど、振り返れば痛みを伴う。例えばバンクーバー五輪を見ているだけでも、ふと思ってしまうのだ。彼は、スキーに塗るワックスを別のタイプにしていれば・・・。彼女は、フリー演技の曲をもっとキャッチーなものにしていれば・・・。傍観者ならば一瞬の同情で終えられる。だが、敗れた者たちは程度の差こそあれ、胸のなかの「もしも」を4年後まで、多くの場合は一生涯抱えることになる。だからこそ、僕らは五輪に感情を移入し、夢を見るのかも知れない。

平凡な家庭に生まれ育ち、平凡に進学、就職、結婚した僕でも、30年間も生きていれば思い出深い「右か、左か」の局面はある。あれは2000年12月30日の午後7時30分頃の出来事だった。当時20歳で大学3年生だった僕は、アルバイトとして働いていた雑誌の編集部で、最後の出勤日を迎えていた。

中学時代、ある作家の本と出会い「書く」という仕事に憧れた僕は、大学に入った時からさっさと単位を取り終えて、その作家が原稿を寄せる雑誌で働こうと決めていた。理由は単純で、その雑誌は最も熱中して読む雑誌だったし、うまくいけば憧れの人と直接会って話をしたりできるかも知れないと思ったからだ。幼かったから、そんな夢想も信じられた。

幸運にも、編集部は僕をアルバイトとして採用してくれた。そして、さらに幸運なことに、原稿を受け取ったり写真を手渡しに行ったりする仕事で、何度か「彼」と会って話を交わすことも実現した。初めて会った時、彼に対する思いをつづった文章を渡すと、翌日彼は「君の文章を読んだよ。ありがとう」と言ってくれた。

そして最後の夜。偶然にも彼が編集部を訪れていた。出したばかりの新刊にサインをする仕事だった。手伝いを買って出た僕は、彼が名前を記していく扉のページに、インクが滲まないように一枚ずつ半紙を挟んでいった。会話をするチャンスは何度かあったが、目の前にいる彼に「僕、今日で辞めます」とは、なかなか言い出せなかった。

ためらっているうちに、仕事を終えた彼は急いで出て行ってしまう。
「さようなら」
音を立てて編集部のドアが閉じられた時、破裂するような衝動が胸を襲った。もう2度と彼と会うことはできないと思ったのだろう。気がつくと、僕は外へ飛び出して走り始めていた。暗い住宅街を抜けた交差点の方向に彼の背中が見えたが、なんと彼も走っていた。僕は全力で走ったまま大声で背後から呼び掛ける。彼は何事かという顔で振り返った。
「どうしたの」
「あの・・・僕、実は今日で辞めるんです。ありがとうございました」
「ああ、そうなんだ・・・辞めちゃうのか」
「あの、でもやっぱり僕の夢は文章を書くことなので、これからも頑張ります」
「そっか・・・。ねえ、君は僕の仕事場の連絡先わかる?」
「は、はい」
「じゃ、年が明けたら電話してきてよ。どっかでコーヒーでも飲みながら話をしようよ」

年が明けて、喫茶店で待ち合わせた。将来について悩んでいることを打ち明けると、彼は
「君は自分の信じる道を行けばいい」
と励ましてくれた。


あれから10年が経つが、今でも時々、あの「右か、左か」の局面に立たされた瞬間を思い出すことがある。一歩目を踏み出した時の震えや、外に飛び出した時の空気の冷たさや、走っている時の鼓動や、優しい言葉を掛けられた時の喜びのことを。
そして、あり得たかもしれない別の人生のことを思う。
もしもあの夜、扉を開けて飛び出し、沢木耕太郎の背中を追い掛けていなかったら。
沢木耕太郎が「コーヒーでも飲みに行こうよ」と言ってくれなかったら。
沢木耕太郎が「君は君の信じる道を行けばいい」と言ってくれなかったら。

僕は今、どこにいて何をしていたのだろうと。

第3回ブンヤ日誌

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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