実録! ブンヤ日誌

第16回 文太兄いとの静かな午後

2010.09.27更新

僕はタクシーに乗り込んで運転手に行き先を告げると、後部座席から身を乗り出しました。「とにかくカッ飛んで下さい! 一世一代の運転、見せるのは今です!」と。そう。人を待たせていたのです。家族とか友達とか会社の先輩後輩なら、そこまでは申しませんが、待たせていたのは何を隠そう菅原文太さんだったのです。「菅原文太との待ち合わせに遅れる」―。まるで「拷問」を違う表現に置き換えたギャグみたいな話です。募る焦燥感、ジワリと浮かぶ脂汗、普段はしない貧乏揺すり100連発。文太兄い! 待ってて下せえ!

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9月13日、民主党代表選前夜。デスクに「自分、明日はどんな感じで動けばいいスか?」と尋ねました。「あー、お前は結果出た後、会場からブンタ行ってくれ」「はい?」「ブンタだブンタ。スガワラブンタにハナシ聞いてきてくれ」「なるほど」。人間というものは人智を超える意外性と出会った時、妙に冷静になるものだと久しぶりに思わせてくれる固有名詞でした。

菅VS小沢のガチンコ勝負になった代表選。菅原さんは小沢支持を表明して雑誌で対談をしたりしていたので、本紙でも政治担当が取材を申し込んだところ快諾していただいたようなのです。マネージャーも務める奥様・文子さん(誤記ではありません)と事前に連絡を取ると「代表選が終わったら電話いただけますか? お会いする場所を決めましょう」と言っていただきました。

小生が今夏初めてスーツにネクタイを締めた翌日。小沢が敗れた直後に文子さんに電話をしました。すると「では○○公園の中にあるレストランでお茶をしておりますので。いらして下さい。お急がずに」とのお返事が。ヤバイ! もうスタンバってる! 僕は熱気も冷めやらぬ代表選会場を抜け出し、狂ったようにタクシーを探したのです。

永遠にも感じられる15分間の後、都心某所の公園内にある瀟洒なレストランに入りました。奥の窓際の席に見えたのは、他でもない菅原文太さんの背中です。顔を確認するまでもありません。あの77歳とは到底思えないボリューム感あふれる総髪。恐る恐る近づくと、刃物を手にしていらっしゃいました。ドス・・・ではなくナイフです。「おう、どうもこんにちは。よろしく」。ハスキーボイスという表現が陳腐に思えてならない文太兄いは、チーズの盛り合わせを口に運んでいたのです。器用な手つきでカマンベールチーズやブルーチーズをバゲットに塗り、パクッ。そしてホワイトシャツにサスペンダーというファッション。素敵です。僕は故・梨本勝さんばりに恐縮しつつ、空けられた上座に着席しました。名刺を差し出すと、自宅の住所が書かれた名刺を頂きました。ワタクシの芸能取材史上初のケースです。「まあまあまあ。疲れたでしょう。コーヒーでも飲みましょう。ケーキは?」「あっ、イヤッ! コッ、コーヒー頂きます!」。お目に掛かれて光栄です、というフレーズが実に素直に口から出てきました。

インタビューは30分程度のつもりがなんと1時間半を超えました。午後6時の広いレストランには人も少なくシーンとしています。夕暮れの光が窓に反射します。文太兄いは、ゆっくりと考え、ゆっくりと言葉を発していきます。「菅さんの演説の言葉は高校の学級委員程度にしか感じなかった。児戯に等しい。それでも国民(サポーター)は菅さんを選んだわけだから、日本人に大失望しています」。僕は「児戯に等しい」なる日本語を、ギャグ以外で初めて耳にしました。

日本の行く末についても実にわかりやすい例え話をされました。

「これでしばらくは難破船の日本が漂うのを見守るしかないのかな。アメリカの船に曳航されてね。小沢さんは羅針盤を見据え、帆を張って自らの航路を進もうとしていたのに。いつかは小沢自身でつながれたロープを切ってほしいよ。結局、日本人は軽いものが好きなんだ。ロックンロールでもカントリーミュージックでもない『嵐』みたいなのに、あれだけ集まったりする。若者だけじゃないぞ。いいトシをした30代、40代もコンサートに行ってるらしい。今の日本は生のコンニャクみたいだ」。数々の抗争をくぐり抜けてきた文太兄いから見れば、国民的アイドルグループも軟弱に映るようです。

迫り来る締め切りに若干焦り始めつつ、こんなチャンスはめったにないとばかりに「菅原さんにとって男とはなんですか?」なる質問もしてみました。民主党代表選と「男」との間にいったい何の関係があるのだという話ですが、いいのです。

「男・・・男ねえ、やっぱり闘いを望むものなのかもしれないね」

手洗いに行くフリをして会計を済ませた文太兄い。ギャランティーの発生しない取材だけに、せめてコーヒー代くらいは・・・という申し出は、言葉ではなく笑顔で断われました。

エレベーターに先に乗り「入りなよ」と促してくれましたが、こちらはカメラマンの機材があったので遠慮し、挨拶して先に降りてもらいました。こちらも隣の1台ですぐに降りて、帰りを見送ろうと思ったのですが、1階に着くとどこにも姿が見えなくなっていました。周囲をぐるりと回って探しましたが、やはり居ない。文太兄い・・・どこ行っちまったんだ・・・。知らぬ間に決闘へと向かった若頭を案ずる子分のような気分で、ふと思いました。よーし、オレも「男」を目指そ。まずは「仁義なき戦い」シリーズを全作見直そうっと。ついでに「トラック野郎」もね。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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