実録! ブンヤ日誌

第18回 遠い国の彼の声

2010.11.01更新

ウィークデイの午前0時。ラジオをFM80.0にあわせる。彼の声が聴こえてくる。「遠い地平線が消えて、深々とした夜の闇に心を休める時・・・」。音楽に耳を澄まして、一日のうちでいちばん静かな時間を過ごす。そんな時、彼との旅を思い出すことがある。

08年6月、上海の夜が始まろうとしていた。
市場からの帰路を急ぐ人々の声。小汚いタクシーが鳴らすクラクションの音。柑橘類と青野菜が混じりあったような匂い。亜熱帯の風が吹く交差点で、彼は街を見渡していた。彼の体は夕闇の空に向かって垂直で、視線は路上に平行だった。
「行きましょうか」
大沢たかおは歩き始めた。柔らかい声のなかに、異邦人であることの恍惚と不安をかすかに感じた。
「行きましょう」
僕は12年前の彼の旅を想った。ふと、画面のなかにいた彼と目の前にいる彼とが重なったような気がした。

映画祭の会場「上海大劇院」は、夏の虫を吸い寄せる強烈な光を放っていた。広大な赤じゅうたんの周りには様々な人々が陣取っている。タキシードでめかし込んだ人からビーチサンダルの人まで。なぜか怒鳴り声を上げる男もいた。熱狂は、異国にあることで、より大きな力を持って響いた。
フォトコールの幕が開ける。誰かの名前が呼ばれ、歓声が響く。一定のリズムが与えるものは、勝負の世界の高揚に似ていた。
やがて大沢の名前が呼ばれる。眩い光の放列の中に、彼は歩を進めた。日本人は彼ひとりだった。スタッフになりすました僕はカメラを手にして背中を追った。

次の瞬間、すさまじいシャッター音と歓声が背後に向けられた。振り向くと、目の前でチャン・ツィイーが微笑んでいる。視界を覆うカメラマンの群れは、彼女のフォトフレームに入っていた僕に容赦ない怒号を浴びせてきた。
「邪魔だ、どけ」「さっさと行け」
おそらくは、そんな言葉だったのだろう。
大沢は振り返って笑い掛けてきた。
「すごいっすね」
「すごいですね」
僕もようやく笑えた。いや、笑いたいと思った。激しい声と声のなかにいる。スタジアムのフィールドに立っているようで、少しだけ胸が震えた。

7年前。初めて会った日に大沢は言った。「僕はいつでも旅をしていたい人間なのかもしれない。だから、深夜特急の旅は今でも僕のなかに大きく残っているんですよ。撮影は予定通りに行かなかったし、意見も食い違ってたくさんケンカもしたけど、だからこそ撮り終えた時の喜びは格別でした。旅をすることが俳優として生きることにつながっていくこと。それが僕の理想なんです」

高校生の頃、ノンフィクションのような手法で撮影したドラマ「深夜特急」が好きだった。伝えると、喜んでくれた。
「俳優という仕事なんて誰にだってできるんです。ただ、問題は画面のなかに映り続けられるかどうか、そしてどう映ることができるか。それだけなんですよ」
沢木耕太郎がライターについて同じようなことを書いている。僕が言うと、大沢は興味深そうな顔をした。
「へえ~」
声の調子に不思議な親近感を覚えた。

上海での夜が明けた朝。古い劇場で行われた「築地魚河岸三代目」の公式上映には、1000人収容のホールに20人ほどの観客しか集まらなかった。舞台あいさつは中止に。配給会社の上層部は、深刻な顔をして大沢の前に整列し謝罪した。静まり返った楽屋で、彼は言った。
「お客さんがいないんじゃしょうがないですね。日本に帰りましょう」

あれから2年経った。「少し休みたい」と言っていた彼は、休むことなく旅を続けている。映画に主演したり、ミュージカルで歌ったり、ギニア高地やアフリカを歩いたり。久しぶりに出演したテレビドラマは、誰も予想しなかった大ヒット作になった。彼は今、どこで何をしているんだろう。久しぶりに会って、ゆっくり話をしてみたいと思う。

遠い国から彼の声が聴こえて「ジェットストリーム」の時間が過ぎれば、僕の一日も終わっていく。明日へのフライトとしては、悪くない離陸なのかもしれない。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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