実録! ブンヤ日誌

第20回 寵児

2010.11.29更新

一年前の師走の夜。僕は都心の高級ホテルのカフェで「ふーっ」と深呼吸ばかりしていた。緊張していたのだ。正月用の特別企画として掲載するインタビューのため、野村克也と会う約束をしていたからだ。無理もない。いったいどこの記者が初対面の野村克也と会って取材をする直前に平然としていられるだろう。特に、当時のノムさんは楽天2位躍進、ボヤキの大流行、監督解任騒動で、まさに時の人。余計に肩に力が入る。当時、野村番だった(「スポーツ紙バカ一代」で健筆をふるう)加藤弘士記者が横から「だからぁ~。大丈夫だって~。緊張しなくても~」と言い続けてくれるのだが、こちらの脳裏によぎるのは不安ばかり。質問に食いつかなかったらどうしよう、同伴するサッチーが激怒したらどうしよう・・・。プレッシャーが限界に達した時、思わず加藤記者に「だって、今年のマン・オブ・ザ・イヤーなんスよ!」と言い放った。下らない表現に先輩はウケてくれ、僕の重圧は若干軽減された。そして図らずも思った。そうだ、僕らの仕事は時代の寵児を追うことなんだ、と。

また一年が経ち、2010年は終わろうとしている。今年も様々な個性を持った人物が出現したが、ひとまず象徴的なひとりにマツコ・デラックスを挙げることは可能だろう。テレビで見ない日は、ほぼないと言えるし、最近では男性週刊誌もこぞって特集記事を組んでいる。

マツコとはじめて会ったのは一年半前の夏だった。衆院選について語る文化人連載のひとつだったのだが、正直、頭の良さに驚かされた。
「もう政治家に国民的アイドルは必要ないの。もう長嶋茂雄は出てこないのよ。原・・・いや坂本でいいのよ。もっと地味に松本? 誰よそれ。たとえテニスサークル出身のボヤッとした人が首相になってもさ、よくできた地方公務員みたいにやるべきことをやってくれればいいのよ。低空飛行になったんだから身の丈に合った人でいいの」

ひっそりと掲載された記事は社内で妙にウケて、他部の上司からも「またマツコやってくれ」と何度も言われた。他人の仕事に干渉したがらない新聞社には珍しいことだった。僕は、ことあるごとにマツコに取材を願い出るようになった。ウェンディーズ好きと聞けば、日本撤退の日に電話した。
「チリ(牛肉と豆の煮込み)は私にとってみそ汁みたいな存在だったのよ。たぶん通算1トンは食べたわ。こないだ『つくってあるの、全部ちょーだい』って頼んだら『10杯分以上ありますが』って言うから、さすがに・・・と思って4杯だけ食べてやったわ。苦しかった若い頃の味よ・・・青春の思い出ね」

ところが、ある日、いつもの調子で取材依頼の電話を掛けてみると「あんたとはもう仕事はしないわ」と言われた。あっけに取られて理由を尋ねると、僕の書いた記事に傷ついたというのだ。西武のルーキー・菊池雄星のファッションについて論じてもらったものだったのだが、僕が書いたマツコの一人称の語りがステレオタイプなオカマキャラとして描かれていたらしい。読んでみると、確かに指摘に対して頷かなくてはならない恣意的な部分があった。気づかないうちに、自分が書くものをマツコは許容してくれるに違いないというような幻想が僕のなかに芽生えていたのだろう。謝ったが、聞いてはくれなかった。

自己嫌悪に陥り、途方に暮れていた1時間後、マツコから電話があった。「ごめんなさいね。ただ、あんたには私のことをわかってほしいと思ったのよ」
それからマツコは、偏愛するあまり誰にも語ってこなかったフィギュアスケートについて論じる取材を、僕に許してくれた。
「真央ちゃんがフリーの曲に選んだラフマニノフの『鐘』は、すごく難解で表現しにくい。大学の演劇部しか経験したことのない人が、いきなり帝国劇場で座長公演をやる無理難題を押しつけられたようなものなの。でも、タラちゃん(真央を指導するタラソワ・コーチ)には、あの曲に対する思い入れがあるんだろうね。(成功すれば)キム・ヨナが完ぺきな演技をしたとしても、勝てるものになると思ったんだと思う」
僕にとってのマツコ・デラックスとは、変わっているようでいて、実に真っすぐで優しい人物なのだ。もしかしたら、既に多くの人が画面越しに同じような思いを感じているのからこそ、マツコは愛されているのかもしれない。

日本一多忙を極める師走になるだろうが、また取材を願い出てみようと思う。また話を聞いてみたいと思える人物だし、時代の寵児を追うことは僕らの仕事であり、喜びなのだから。もちろん「マン・オブ・ザ・イヤー」なのか「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」なのかは、本人の意向を聞いてみないとわからないけれど。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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