実録! ブンヤ日誌

第23回 オグリキャップのいた風景

2011.01.31更新

馬券を買ったことはない。ただ、あの大歓声は覚えている。「オーグーリ!! オーグーリ!! オーグーリ!!」。1990年12月の有馬記念。直前の2レースで惨敗し、限界と言われたオグリキャップがラストランで奇跡の復活を遂げた後、中山競馬場の18万観衆は拳を突き上げ、不世出のアイドルホースの名を叫び続けた。まだ10歳だった僕にとってはブラウン管越しに聞いた歓声に過ぎないが、震えるくらい心を動かされたことを今も鮮明に記憶している。大人たちが誰かのために、それも馬のために贈った声が爆発的なエネルギーを有したことが信じられなかったのかもしれない。球場で繰り返し聞く「かっ飛ばせ~、OOOO!」とは明らかに違う切実さがあったのだ。

取材中、ずっと涙を浮かべて声を詰まらせ続けた人ははじめてだった。昨年7月に25歳で逝った名馬を回顧する記事を書くため、オグリの初代馬主・小栗孝一さんに会いに行った。場所は「芦毛の怪物」を輩出した岐阜・笠松競馬。「いつかは別れる時も来る。誰かが『オグリ』って呼ぶ時、僕の名前を呼ばれている気がしたんだよ。孝行してくれてありがとうキャップ・・・」。79歳になった今も馬主を続け、レースがあれば笠松に足を運んでいる小栗さんは、銅像になった名馬に優しく語り掛けていた。

小栗さんは、オグリが笠松を離れ、馬主ではなくなった後もすべてのレースに足を運んだ。中山の大歓声もスタンドで聞いた。最終コーナーを回った時は、体がブルブルと震えた。「最後やから何とかしてくれると思っていましたけど。怖いくらいでした。絵に描いたようなレース。一生涯忘れられません」。18万人もの人に自分の名前を呼ばれる体験は、恐怖に似た感覚から誇らしさに変わっていった。今でも時折、小栗さんは懐かしいビデオを見る。驚くことに、あの歓声のもたらす感情が輝きを失うことはない。

「あんな馬は2度と現れないと思いながら、現れてほしいと夢見る思いが頭のなかで常に交差しているんです」。現在も50頭もの馬を所有し、果てない夢を託している。「キャップより立派な馬はいても、キャップより幸せな馬はいません。普通の平々凡々な男もキャップのおかげで幸せになれたんです」。別れの会で小栗さんは弔辞を読んだ。「君の走る姿、すべてが思い出であります。ゆっくりと天国で休んでください。キャップ・・・ありがとう・・・」。あとの言葉は涙で聞き取ることができなかった。

笠松の馬場は、中山のような青々とした芝ではなく、目の前で見ると浜辺の砂のようにも見えるダートだった。200人ほどのファンが思い思いの時を過ごすスタンドから歓声は聞こえなかった。目の前で「オグリ」の名を冠した馬たちが駆けても。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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