実録! ブンヤ日誌

第25回 地下生活の真実、あるいはチリ人との仲直り

2011.03.07更新

地下700メートルの坑道で69日間も過ごした男は、驚くべきことを口にし始めた。

―現場監督ルイス・ウルスアさんのリーダーシップが絶賛されました。
「ウルスア? 実は・・・まったく評価していないんだ。満足していないよ。命令系統はつくっていたがね。・・・というか、ほとんど直接話したことがないんだ。フーッ・・・(深いため息)。脱出する順番を決めたのも彼だ。なんでオレが12番目だったのかわからない」

昨年8月から10月にかけて世界的な注目を集めたチリ鉱山落盤事故から生還した33人の作業員のうちのひとり、エディソン・ペニャ(ペーニャ、の方が自然な和訳だと思うのだが・・・)さんのインタビューをする機会が2月下旬にあった。事故当時、毎日のように外電とにらめっこしていた小生だけに、ワクワクして現場に向かった。

坑道内で毎日ランニングしていた縁で、東京マラソンに参加するために来日していたペニャさん。インタビューは和やかに始まり、大ファンだというエルビル・プレスリー話で盛り上がった。ナマ歌も5曲ばかし披露されちゃうぐらいに・・・。そして、少しずつ「で、実際のトコ、地下生活ってどんなカンジだったんです?」と核心部分に迫っていくと、恐るべき発言を始めた。世紀の美談を根底から覆すような真実を語り始めたのだ

―えっ! 話したことない!? てっきり33人のチームワークはバッチリだったのかと。
「いやいや。やっぱりいろんな地方から集まっているわけだから仲良いわけないよ。特別仲良くなろうとしたこともない。僕もオンリーワン。ソロで、(周囲とは)ノーコンタクト(没交渉)だった。ケンカをする以前の問題だよ。親しくないんだから」

―でも、みんなを盛り上げるためにエルビスを歌ったって話は世界的に有名ですよ。
「彼らのためになんて歌っちゃいない。(坑道内で)エコーするから、自分を励ます意味を込めて歌っていただけだ」

あれ? いまオレってものすごいこと聞いちゃってない? 記者人生に一度あるかないかの世界的スクープの予感に、(若干大ゲサに表現すると・・・)突き合わせたヒザがプルプル震えた。「ザ・ランナー」と呼ばれた男は、めんどくさくなりそうなことは明らかに話したくなさそうな様子だったが、ここまで来たら空気読んでる場合じゃない。あらゆることを聞きまくった。

―女性問題で話題になったジョニ・バリオスさんって、どんな人?
「(笑顔でVサインをつくって)ツーワイフ・・・。でも、三角関係について僕は知らないし、話したくないね。でも(医療担当だった)彼がいなければ、我々の健康状態は問題を抱えていただろう。注射もしてくれたしね」

チョーシに乗ってナイーブな部分もグイグイ聞いていくと、次第に雲行きが怪しくなり始めた。予想されたことだが、キゲンを損ねちゃったのだ。何を聞いても「アー」か「ウー」か「ノー」。舞台挨拶後のエリカ様とトークしているような気分にさせられ、退却した。

数日後、東京マラソンのゴール後に再び話を聞いた。僕の顔を見たペニャさんは「おぅ、オメーか」みたいな顔をした(ような気がする)が、何でも答えてくれた。奇跡的な生還を果たした男として、ニュージーランド地震の被災者にエールを送ってもらおうとしたら、10分以上も熱弁を振るった。

<2月28日付本紙より>
 たった5か月前に生死の境をさまよっていたとは思えないようなダッシュで、ペニャさんはゴールラインを駆け抜けた。「坂が多くてキツいコースだったけど景色を楽しんだよ。レインボーブリッジとかね。でも、自転車で走った方がもっとエンジョイできたね」。渾身のチリジョークも繰り出し、スマイル全開だ。
 事故によって鉱山に閉じ込められていた間も、坑道を毎日走って「ザ・ランナー」と称された男。昨年11月のニューヨークシティー・マラソンに続く2度目のフルマラソンで5時間4分43秒と自己ベストを更新した。
 坑道でのランニングで痛めた左膝に爆弾を抱えての42・195キロとなり「すごく痛い」と顔をしかめながらも「でも、走る喜びを感じるよ。生きている喜び、神への感謝。いい天気の中で走れるのは喜びだ」と語り、地下生活で何より欲した太陽の方角に視線を送った。
 疲労をにじませながらも笑顔で取材に応じていたペニャさんだが、話題がニュージーランド地震に及ぶと、険しい表情に。同じような絶望的な状況から奇跡的に生還した立場から「救出を待つ人々の絶望感はすごく分かるよ。家族の方々は希望を持って待ってほしい」と同情の思いを口にした。行方不明者の生存を絶望視する声については「人間は、そんなに簡単に死んだり壊れてしまうものではないんだ。私たちの時も、わずかな望みを持って捜し続けてくれた。だから助かったんだ」と反論。捜索活動の続行を願った。
 28日は35回目の誕生日。「明日のことは来てみないと分からないね。だから今を生きるんだ」。不屈の男はこれからも走り続ける。「今度(の東京マラソン)は応援する側に回りたいけどね」。アンジェリカ夫人と見つめ合うと、再び笑った。(北野新太)


記者団を離れた後、夫人に寄り添って歩き始めたペニャさんに声を掛けた。「グラシアス」
太陽光線で顔が真っ赤になった男は、微笑して右手を差し出し「シーユー」と言った。そんな優しさが42・195キロの高揚感によるものか、チリ人特有のものかはわからなかった。僕はただ、彼の幸運を願い、遠くなっていく背中を見つめた。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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