実録! ブンヤ日誌

第27回 被災地を巡って 2

2011.04.18更新

成人してから泣いたのは1度か2度と記憶しているが、3月23日午前8時頃、宮城県南三陸町の市街地に続く長い坂を車で下りている時、ふと涙腺が緩んだ。見渡す限りのガレキの山が視界に飛び込んできたからだ。もっと正確に言えば、目の前のガレキの下に眠っている小さな子どもたちのことを想ったからだ。

僕はたった12日前に高さ30メートルの津波が襲いかかった路上で、あの瞬間を想像する。マグニチュード9.0の揺れに襲われた時、例えば1歳の赤ちゃんは家のなかで泣き出しただろう。地面が揺れるという未知の感覚や、倒れてくるタンスや、見たことのない母親の様子を見て、わめくように泣いただろう。未熟な心で「何か大変なことが起きている」と直感して恐怖に襲われていただろう。そして約30分後に、あの津波がやってくる。やっと立つことができるようになったばかりの子どもは、部屋のなかで、あるいはベビーシートを装着される時間もなかった車の助手席で、為す術もなく激流にのみ込まれていく。家屋の木材、樹木、車、電信柱やらが押し寄せ、すさまじい力で容赦なく小さな身体を破壊していく。そうして、油まみれの海水のなかで多くの命が失われていったのだ。現地で知覚したことだが「津波に襲われる」ということは「波にのまれて溺れる」ということ以上に「激しいスピードで流れている事物に衝突される」ことを指している。幼い命が目にした恐怖を、僕は何度も何度も想像した。

写真家の藤原新也は、被災地を取材した時のブログで「神はいない」と書いていたが、僕もまったく同じことを思っていた。なぜ、どうして、いかなる理由から、あの子どもたちの命が失われなくてはならないのかがわからなかった。別に大人よりも子どもの命の方が大切だと言うつもりはないが、現実をより身近に理解するために、僕は子どもたちのことを想った。そして無宗教、無神論者ではあるが、仮に神様のような存在がいるならば救ってくれてもいいじゃないかと思った。どれだけ考えてみても、目の前に広がる風景から、いかなる理由も教訓も見出すことはできなかった。

毎日、肉体的、精神的な疲労で追い詰められていた僕は、通算15日間、走行距離4020キロに及ぶ旅の車中で、ひたすら音楽を聴いた。現地で取材しているメディア関係者は、常にカーラジオで震災のニュースをチェックしていたが、僕はまったく聴かなかった。ただ持ってきたCDを聴き続けた。そうしていないと、ちょっとオーバーかもしれないが頭がおかしくなりそうだった。

ある日、被害の少ない内陸部に戻った時、古本屋に立ち寄り、CDコーナーでサザンオールスターズの「バラッド2」が1400円で売られているのを発見し、購入した。別に熱心なサザンファンというわけではなく、他にめぼしいものがなかっただけの理由だった。

ところが、1枚目7曲目の「海」という曲を聴いた時、数日前に流したばかりの涙が再び押し寄せてきそうになった。1984年、まだ20代の桑田佳祐は叙情的に、かつエネルギッシュにミディアムバラードを聴かせてくれた。27年ぶりのメロディーラインだった。発売当時、母親が聴いていたカセットテープの歌に、まだ4歳だった僕も耳を澄ませていた。そんな記憶が蘇ってきた。

移り気なあなたに 抱かれてしびれた ほんのちょっとだけで こんな気持ちになるなんて 悪い人だと思うけど シャララ 夢のように暮らしたものさ 心から恋してる

偶然にも被災地と同じ海辺の情景、出来事を歌った歌だった。だが、描かれた世界は対極にあった。どこまでも淡く、どこまでも美しかった。何度も何度もリピートで聴きまくった。そして、あるいは馬鹿げている結論かも知れないが、僕はもう一度、世界を肯定しようと思った。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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