実録! ブンヤ日誌

第29回 被災地を巡って 4

2011.06.06更新

息をのんで、僕は見ていた。目の前にいる王貞治がバットを構えるのを。そして右足を高々と上げるのを。微動だにしない姿勢と真っすぐな視線は、神々しいまでに美しかった。子どもたち、父兄たちは「お、おおお・・・」と言葉にならない声を上げる。時間にして2秒あるかないか。それでも、光り輝く何かを被災地ではじめて見たような気がした。

震災の津波によって大きな被害を受け、多数の死者・行方不明者を出した岩手県釜石市と陸前高田市を訪問する「世界の王」に密着した。各小中学校を行脚して野球教室を開催する途中での出来事だった。釜石市立平田小学校で打撃指導をしている時、司会者に促される形で、王は一本足打法を披露したのだ。球団関係者は「すごく珍しいことです」と驚きを隠さなかった。

体育館を出て、次の会場に向けて急いで車に乗り込もうとする王に、決死の覚悟で声を掛けた。取材陣への通達では、全社による囲み取材にしか対応できないと伝えられていたが、そんなことを言っている場合じゃない。聞くのだ。

僕「お、王さん、い、一本足打法を・・・」

王「ああ、ホント、よくできたもんだねえ」

僕「子どもたちは『真似したい』と」

王「うん。やってもらうのは結構なこと。でも、そう簡単にやってもらっちゃってもね(笑)。でも、何事も一度やってみるってことはとても大事なことなんですね。ぜひやってみてほしいです」

ふと気がつくと、王は足を止めて僕を見ていた。ならばと、愚問を承知の上で聞いた。

「王さんにとって、一本足とは何なのでしょうか」

口に出してみたら、愚問と承知したものが愚問であることを確信した。渥美清に「寅さんとは何ですか」と聞くようなものだ。でも一方で、僕は大事なことを聞けた、とも思った。そして答えを聞きたいと思った。未知なるものに遭遇したような表情の王は、0.8秒くらい考えた後に言った。「もちろん、僕のすべて。だから、誰にでも自分だけの何かを見つけてほしい。そして実行してほしいんだ」。初の国民栄誉賞受賞者は、僕の単純な問い掛けを被災者の子どもたちへのメッセージに変えた。

1977年。王は世界新記録となる通算756号本塁打を後楽園の夜空に架けた。右翼席に向かう打球を目で追いながら、両手を広げる王の姿は、後に昭和の象徴となった。戦後の焼け野原から出発した日本が驚異的な復興を遂げ、高度成長期(どうでもいい話ですけど、僕は妙にこの単語が好きなのです。不器用だけど激しい、純粋な熱のようなものを感じませんか?)を越えて「俺たちの国は、ついにここまで来たんだ」と物語るアーチだったと思えてならない。

あの震災が起きてから「自分に何ができるのだろう」と標語のように言われるようになった。ふと立ち止まり、自分についても考えてみるけれど、正直わからない。募金をしたり、節電したりすることはできるけど、誰かを本質的に救うことはできないのかも知れないとも思う。

ただ少なくとも、王貞治は一本足打法を見せることで目の前に人々に希望の欠片を与えていた。「元気づける」「勇気づける」という、いつもは表層的にしか感じられない言葉も、あの時だけは信じることができた。

ならば、我々も探さなくてはならないと思うのだ。王が言う「自分だけの何か」を。なにも被災地や被災者への思いばかりではない。自分は大切な人に対して何ができるのか、という問い掛けにもつながる。

一夜明けた朝。ヤフーのトップページに載った写真は、僕が撮った王貞治の一本足打法だった。キャプションには「希望の一本足」とあった。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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