実録! ブンヤ日誌

第32回 灯り

2011.08.01更新

写真のなかの工藤公康は笑っている。7月29日付本紙9面。18歳の長女・遥加が女子ゴルフのプロテストに合格したことを報じる紙面で、愛娘と一緒に記念のスコアボードを指している。かぶっているゴルフブランド「タイトリスト」のキャップは5年前に助手席から横目に見たものと同じだった。

06年。プロ野球記録の実働29年、現役最多の通算224勝左腕が巨人のユニホームを着た最後の年。故障で2軍調整が続いたため、2軍担当の小僧っ子だった僕は毎日のように顔をあわせた。同じようにファーム暮らしを送っていた桑田真澄や仁志敏久への取材と同じように、工藤に話を聞く時間は喜びだった。自分が生まれた翌年にデビューしたスーパースターに、社会人になってから取材をする。不思議だったし、幸福だった。

1軍のナイターがない日の帰り、何度か「車、乗ってけよ。ウチの近くの喫茶店で話でもしようぜ」と誘ってくれた。運転席の工藤は取材対象の野球選手というより親父のような、兄貴のような男だった。何を話題にしても面白かった。目の前には、栄光から離れた等身大の男がいた。すぐふざけたりおどけたり、トボけたリアクションを取るくせに、語ることは物事の本質をついていた。「俺はプロのピッチャーだから、誰にも真似ができないようなプロのキャッチボールをして当然なんだ」

ある時「娘さんは何を目指しているんですか?」と聞いた。
「いろんなスポーツをやって・・・今はゴルフをやろうとしているみたいなんだけど、なかなか真面目に取り組もうとしない。だから『本気でやらないなら、もう辞めろ!』って怒ったばっかり」
5年後、愛娘が出した答えは偉大な父と同じプロスポーツプレーヤーへの扉だった。

同年オフ。結婚することになったことを工藤に告げると、披露宴会場に流す祝福ビデオに出演してくれた。
「御結婚おめでとうございます。僕も、自分が結婚した時のことをよーく覚えています。結婚した直後の登板で確か、しこたま打たれて負けた。トボトボ家に帰っていくと、誰もいないはずの部屋にパーッと灯りが点いてるんだ。あれっ? と一瞬思った後に気づいたのね。『あぁ、俺は結婚したんだな・・・。俺は家族を守っていかなくちゃいけないんだな。今見えているあったかい灯りを守っていくんだ』って。その時のことはすごく覚えてる。だから北野君も、奥さんと家族のために頑張って下さい」
目の前でビデオカメラを構えていた僕は、耳にしている声を一生忘れないだろうと思った。実際、ふとした時に、ポカポカとした優しさと一緒にあの時の工藤の顔と言葉が蘇ってくる。きっと、ゴルフの道を志した少女は18年間、温かい灯りのなかで夢へと歩んできたのだろう。

あれから5年経ち、48歳になった今も工藤は現役の投手を続けている。昨シーズン終了後に古巣の西武から戦力外を通告され所属はなくなったが、秋には夢だった米球界に挑戦する。たとえ134キロの直球しか投げられなくなったとしても、真っ白い灰に燃え尽きるまで男は挑むことをやめない。きっと信じているんだ。家族7人を照らす灯りは、いつだって俺自身なんだと。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

バックナンバー