実録! ブンヤ日誌

第33回 ファーストレディーを探して

2011.09.05更新

第35回ブンヤ日誌

写真の男子学生が誰かわかりますか?
卒業アルバムの個人撮影で一輪のバラではなく菊をくわえ、時代を偲ばせるプチロン毛をかき上げる残念? な男こそ、我が国の新しいリーダーです。

8月29日の民主党代表選。第1回目の投票で海江田万里が143票、野田佳彦が102票を獲得して、両者による決選投票に持ち込まれた瞬間、デスクに「今すぐ船橋へ向かえい!」との指令を受けました。意外にも票を伸ばした野田に、前原誠司ら「反小沢」の下位連合の票が流れ込むことは明白で「野田新代表」イコール「野田首相」誕生が99%決定したから地元選挙区の千葉県船橋市に行きなされよ、ということですね。

どちらかと言えば海江田に分があると見られた勝負でしたから、代表選直後の取材も海江田首相を想定してアポイントなどを入れておりましたので、さあ大変。千葉行きの総武線快速に揺られながらパソコンを開き、直撃できそうな関係者をリストアップするような有様です。

取材の目的はふたつ。①野田佳彦ってどんな人? ②ファーストレディーになる野田仁実夫人ってどんな人? がわかるような記事を書くこと。それだけ。極めてシンプルです。

地元選挙事務所、高校の同級生、市議をしている弟さん、支援者などをひたすら回りました。で、なんとかかんとか卒業アルバムをゲットしたり、貴重なエピソードを聞き出したりして、野田さんについては「へ~こんな人なのね」的な材料がまずまず揃ったのですが、困ってしまってワンワンワワン状態になっちゃったのが仁実夫人について。何やら奥様、鳩山幸さんとか菅伸子さんと違って、表に出ることを避けたがるお方のようでして、取材は難航を極めました。とにかく写真だけでも貸してもらえないかと、事務所の秘書に2日間にわたって頭を下げ続けましたが、終始「奥さんからOK出ないとダメだよ~」とのご返事。こーゆー粘り系の取材は2日目ともなれば人情というか根負けというか「黙っとけよ」なんてささやかれてスッと出してくれたりもするものなのですが、今回のディフェンスは堅牢でした。

事務所に出入りする支援者や野田さんの弟さんから話を聞いたりして、夫人の人物像はわかってきたのですが、とにかく写真がありません。しかし会社は待ってくれない。うっかり「若い頃は浅野ゆう子似だったらしいスよ」なんて言ってしまったものですから「なんとかしろ!」の一点張り。こちらは冷や汗と脂汗でびっしょりです。ようやくとあるルートから提供を受けたのが30日の23時。ギリギリで紙面化できました。

<8月30日付社会面より>
 新しい日本のリーダーとなる野田氏とは、どんな人物なのか。高校の同級生らが明かす青春時代のエピソードから、卒業アルバムでの衝撃の1枚、政治家になってからの挫折など新代表の意外な横顔を紹介します。

 「オレ、将来は政治家になりたい。目標は総理大臣」。千葉県立船橋高校3年F組のクラスメート男性(54)は、野田少年の言葉を今も覚えている。「地味な野田が言うから、すごく意外でした。本当になるなんて・・・」

 船橋市立二宮中時代にテレビドラマ「柔道一直線」の「空気投げ」に憧れ、高校は柔道部に入部。補欠ながらも、練習は皆勤だった。同学年の部員だった神馬征峰東大教授は、寝技で抑え込まれても諦めず、もがき続ける姿を覚えている。3年で黒帯(2段)を得たが、後のロス五輪金メダリスト・山下泰裕氏と対戦した際は、あっさり「秒殺」(野田氏談)された。

 影は薄く、女子の話題にも上らなかったが、学園祭でお化け屋敷を出し物にした時は存在感を発揮。段ボール集めを買って出て、コンニャクを頭上からサオでつるすアイデアを考案し、来場者を絶叫させることに成功した。卒業アルバムの個人撮影では、なぜか一輪の菊をくわえるパフォーマンスで爆笑を誘った。隔年で開かれる正月の同窓会は必ず出席。今年は箱根駅伝をテレビ観戦し、母校・早大の総合優勝をさかなにビールを味わった。

 早大政経学部で新自由クラブのボランティアを経験し、卒業後は松下政経塾へ。1期生として故・松下幸之助氏から直々に薫陶を受けた。ガスの点検員などを経て、87年に千葉県議に初当選した。
 「地盤・看板・カバン」なし。駅前の「朝立ち」に命を懸けた。86年から財務相の就任前日まで24年間続けた。
 96年衆院選で落選。ショックで酒量が増えた。友人に「次も落ちたら居酒屋『政経塾』を開く。政治に詳し過ぎる店主を客が不思議に思う店にする」と語ったことも。
 自衛官だった父の影響で格闘技観戦が趣味。ジャンボ鶴田最強論者だ。1日2箱を吸うヘビースモーカーで、財務相時代の「たばこ増税」は断腸の思いで断行した。時代小説は司馬遼太郎、藤沢周平、山本周五郎が好み。カラオケの十八番は「水戸黄門のテーマ」だ。

<8月31日付社会面より>
 野田新首相の誕生でファーストレディーとなる仁実(ひとみ)夫人(48)にも注目が集まる。県議時代から野田氏の政治人生を支えてきた糟糠(そうこう)の妻を、周辺は「古き良き大和なでしこ」と評す。一方、野田氏の実弟で千葉県船橋市議の剛彦さん(50)は「誠実で優しい兄」と語る。

◆一歩下がって支えるタイプ
 野田首相の周辺による仁実夫人の評は、どれも「古き良き大和なでしこ」「一歩下がって支える人」といったもの。夫より存在感を発揮することすらあった鳩山幸、菅伸子両夫人とは異なるタイプのファーストレディーになりそうだ。
 関係者の話を総合すると、東京・江戸川区の町工場の家に生まれた夫人は、音大で声楽を専攻。都内企業で社長秘書を務めていた1988年ごろ、野田氏と共通の知人のパーティーで知り合った。野田氏は、当時のトレンディー女優・浅野ゆう子似の美貌に一目ボレし、宴席で披露された美声を聴いて運命の人と確信。「一世一代の大勝負。プッシュプッシュでした」(周辺)という熱意で交際にこぎつけた。

 結婚前、六本木でデートした時のこと。仁実さんはおめかしして出掛けたが、連れて行かれたのは焼き肉店。オシャレな服が煙まみれになるのを知人が目撃。後にチャチャを入れると、野田氏は「なんで知ってんの!」と幸せそうにテレたという。
 千葉県議2期目で結婚。直後に国政に進出した夫を陰から支えた。駅前の「朝立ち」では極寒の冬でもビラ配りを手伝った。96年衆院選で落選し「ただの人」となった4年間は活動費を捻出するため、家計を切り詰めた。

 障害児支援のボランティアに励む一方、ピアノが得意で趣味は合唱と音楽鑑賞。持ち前の美声で、議員夫人らの会合で司会を務めた時はプロに間違えられた。クラシックを聴きながら立つキッチンでは、冷蔵庫の残り物をごちそうに変える腕前。野田氏は、お手製のカレーライスをこよなく愛す。
 サッカーに励む息子(大学生と高校生)を育て、野田氏の父親が病気で倒れた際は自宅で看病を続けた。家庭内権力は夫人が握り、野田氏の晩酌が進みすぎるとグラスを没収。喫煙場所は換気扇の下に限定させているという。

◆いじめられた弟のため上級生やっつけた優しい兄 
 《船橋市議・野田剛彦さん》 首相指名のテレビ中継を見ながら、剛彦さんは「あの兄が・・・。なんか現実じゃないような気がしますけど、感無量です」と喜びを口にした。
 小学校に上がったばかりの頃、剛彦さんがかぶっていた野球帽を6年生が奪い、ふざけて地面に叩きつけたことがある。目の前で目撃した4年生の佳彦兄さんは帽子の汚れを払って弟に渡すと、一回り体の大きい6年生に向かって突進。倒してしまった。「ケンカが得意だったわけじゃないのに。優しい兄なんです」

 プロレスごっこが大好きで「ジャンボ鶴田が本気で戦えば一番強いんだ」が口癖だった兄。保育園入園の面接で「総理大臣になりたいんです」と言って母親の度肝を抜いた。
 代表選を制した29日の午後9時頃、兄から電話があった。「大変なことになっちゃった。でも、オレ頑張るよ」。剛彦さんは「とにかく国民のために精いっぱい働いてほしい」と一人の政治家としても期待している。


仁実夫人は、まだ表舞台にお顔を出されておりません。でもファーストレディーたるもの、外交などで登場せざるを得ません。とりあえず僕は浅野ゆう子に似ているかどうかを注視したいと思います。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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