実録! ブンヤ日誌

第35回 青春を奨励会に賭けて

2011.10.24更新

千駄ヶ谷の瀟洒なカフェで、僕はひとりの女子高生と向かい合っていた。法に触れる関係・・・ではない。れっきとした取材行為だ。ショートカットの似合う彼女の名前は加藤桃子ちゃん。16歳。会話はこんな感じ。

「えっ、何でも食べて良いんですか。じゃ私、ハンバーグ~」「昔から白米が好きだったんですけど、今はゴルゴンゾーラパスタが大好きなんです」「音楽はですね、(元ジュディマリの)YUKIかな~。意外と竹内まりやも好きです」「最近、洋服を買うのが好きになってきたんですよ。前はあんまり興味なかったんですけど」「前は嵐の櫻井くんが好きだったんですけど、愛は完全に冷めました。今は韓流ドラマにハマッてて、ソ・ドヨンがカッコイイなって思います。知ってますか? 春のワルツ。冬のソナタと同じシリーズで女同士の戦いが・・・」。

話す表情も何もかも、どこにでもいる女の子のようだけど、実は普通とはちょっと違う人生を生きている。生きるか死ぬかの世界を生きる勝負師なのだ。ある時、彼女はブラッドオレンジジュースをすすりながら言った。「この頃の私、自信にあふれてます。絶対に負けないっていつも思ってます」

将棋の「奨励会」という組織をご存じだろうか。
「えー、皆さん。将棋っていいものですよ。ぜひやりましょう」などと奨励してくれる会合などではない。プロ棋士を養成する機関だ。さらに言うなれば、あらゆる勝負事のなかで最も過酷で最も非情な生存競争を行っている集団である。

全国の将棋クラブなどで無敵の実力を誇り「神童」とまで言われ、よーしそれならとプロ棋士を志す少年たちが受験し、一部のみが入会を許される。原則的に「7級」という身分から奨励会生活をスタートさせる彼らは、月に2回開かれる「例会」という対局で自分と同じような神童たちを相手に好成績を挙げ、一定の基準を超えると6級に昇級する。もちろん給料などない。将棋の研究、対戦相手の棋風の勉強をしなくちゃならないからバイトで荒稼ぎする時間もない。ギリギリの生活を続けながら夢を追う。そして何年もかけて6級、5級、4級、3級、2級、1級、初段、二段、三段まで昇段して、プロ棋士となる四段に王手を掛けると、待ち受けるのが「奨励会三段リーグ」だ。

年2回にわたって行われる三段リーグは、地獄で蜘蛛の糸をたぐり寄せようとするような若者たちの戦いの場だ。30数人が総当たり戦を行い、上位2名しか四段に昇段できない。じゃ、何年でもかけていつかは・・・と思いたいところだが、年齢制限が設けられている。原則的に、26歳になって四段に昇段できなかった場合は退会を命じられる。小中学生で奨励会に入会しても、三段に上がる頃には多くが20代に突入しているため、1回1回、1局1局が人生を賭けた大勝負になる。彼らの多くは、大学どころか高校も卒業しないで、ひたすら毎日将棋を研究してきた者たちだ。将棋のこと以外は何も分からず、学歴も資格もない26歳の彼らが、一夜にして社会に放り出される。泣いてもわめいても、夢は戻ってこない。

丁寧な手つきでハンバーグにナイフを入れ「おいしー」を連発する彼女は、そんな世界で11歳の時から天才少年たちと戦っている。現在は奨励会1級。毎日6時間将棋の勉強をし、通学時間すらもったいないから高校は通信制だ。

「棋士」とは違い、女性のみで組織される「女流棋士」という道も選択することができたが、加藤は「棋士」にこだわっている。高校の女子サッカー選手が「なでしこリーグでMVPになってもまったく意味ない。Jリーガーになって日本代表くらいにならないとダメ」と主張するようなものだ。「亡くなった父が奨励会員だったんです。4級までしかいけなかったけど。父は勝負師に向く性格じゃなかった。だから、私が棋士になって2人分の夢を叶えたいんです」。挫折しそうになる時、重圧を放り出したくなる時、脳裏に浮かぶのは一昨年、急性心不全で亡くなった父・康次さん(享年51歳)の顔だ。

女性は過去15人が奨励会入り(現在は加藤を含む4人が在籍)したが、棋士まで辿り着いたのは一例もない。惜しいところまで行ったことすらない。「私が、女性として初めての棋士になりたいんです」

取材の3日後。加藤は、第1期リコー杯女流王座戦5番勝負第1局に臨んだ。女流棋士の新しいタイトル戦だが、女性奨励会員や一般のアマチュアにも門戸を開いたため、加藤も出場。女流棋士を相手に難なく4連勝して清水市代女流六段(42)との決勝戦に進出した。清水は四半世紀にわたって女流棋界をリード。かつては「女・羽生」と呼ばれ、通算タイトルを43期も獲得している歴代最高の実績を誇る女流棋士だ。

序盤から両者とも相手陣に攻め入る激しい将棋。女同士の殴り合いのような力戦を制したのは加藤だった。難解な終盤で清水を完全に攻略。終わってみれば、持ち時間を1時間も残す完勝だった。終局直後は「緊張してしまって深く読む事ができませんでした。でも、勝ってるなって気もしました」とあっからかんと語った。

加藤は自身をこんな風に語っている。「感情的な将棋になることが多いんです。プライドが高くて、自信があるからかもしれません。相手がカンタンに指してくると『私はこんなに勉強しているのに』って感情的になってしまう。冷静になれない」
穏やかな笑顔は、いつの間にか狂気をはらんだ顔に変わっている。

僕は奨励会という存在に惹かれている。そんな場所に青春を賭けて戦う彼女にも惹かれている。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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