実録! ブンヤ日誌

第37回 叱られた人

2011.11.21更新

2006年2月のある夜、巨人軍が春季キャンプを張る宮崎市内の居酒屋での出来事だった。小紙巨人担当記者(むろん「スポーツ紙バカ一代」加藤記者もいた)の前で地元名産・黒霧島をグイグイ呑み、頬を若干赤らめた中年の男は、僕に「君(きみの『み』の部分を1音階高く発音する宮崎弁)はジョン・ローンに似とると言われたことないかね?」と聞いてきた。

はて、ジョン・ローン? とっさに顔は浮かばないが、過去に「似ている」と言われたことがないことだけは間違いない。「ラストエンペラーの俳優だよ。そんなことも知らんのか」。あー。あの愛新覚羅溥儀の人。ビミョーである。「愛新覚羅溥儀似」と言われ、フクザツな気持ちにならない男は相当な満州マニアであろう。しかし、とりあえず僕は「ありがとうございます!」と頭を下げといた。ともかく、20代半ばの記者に対してフランクな物言いをする中年男に、僕は「けっこういい人じゃん」という印象を抱いた。彼の職業は読売巨人軍球団代表。名前を清武英利と言った。

我が読売グループに激震が走ってから早1週間。時の人となった清武前代表は、巨人担当時代の取材対象だった。とはいえ、下っ端も下っ端だった僕が日常的に面と向かって会話を交わせるような相手ではなく、ときどき会見に出席するといった程度。思えば、宮崎での夜が最初で最後のパーソナルな接点だった。

ところが4年後の2010年10月。社会部に復帰していた僕は、何の因果か書籍の著者インタビュー欄で清武代表を取材することに。巨人軍球団代表室をノックし、扉を開けると「おー。なんだ君(相変わらず一音階高め)かー」と笑顔で出迎えてくれた。まさか覚えてくれているとは思わなかった。

球界の人々の名言を紹介する「こんな言葉で叱られたい」という著書に関する取材だったのだが、実に率直に何でも答えてくれた。当時不振を極めた内海に原監督が送った携帯メールの内容などもコッソリ明かしてくれた。別れ際には、こんなことを言っていた。

「君がもしプロ野球の、そしてジャイアンツの担当に戻るようなことがあったら、いつでも代表室をノックしてくればいい。出入口に座り込んで待つような真似はしなくていいんだ。聞きたいことがあったら聞いてくれればいい」

僕は清武前代表について、ほとんど何も知らない。一緒に黒霧島を飲んだことがあるのと、インタビューを1度したことがあるだけだ。だから今、多くのメディアで報じられているような「独裁者」の横顔は伝え聞くだけで、実際のところは正直わからない。今回のことも、なんでまたこんなことをおっぱじめてしまったのだろうかと首を傾げるほかない。

言えることはただひとつ。「悪質なデマゴギー」という言葉で叱られたくなかったなあ、と思っているのだろうな、ということだけである。


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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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