実録! ブンヤ日誌

第39回 神様への恋

2012.01.19更新

「インタビューは恋愛に似ている」。7年前、雑誌「SWITCH」「coyote」元編集長で、僕の大学時代からの師匠である新井敏記さんに言われたことがある。「好きな人のことはたくさん知りたいし、一緒の時間を過ごしたい。そして手紙を送るように文章を届けたい」。どんだけロマンチストなんすか、と言いたくもなる言葉ではあるが、実は10年間、記者を続けてきたなかで得た実感でもある。

ある作家の言葉を拝借して、ちょっと言い換えるなら「余儀のない取材ではなく、夢を見た取材は恋愛に似ている」のだ。やっぱり、興味を持った人には会ってみたいし、話をしてみたいし、仲良くなりたい。ノーマルな趣味趣向を持った健康な男子であると自負しているが、取材となれば相手が男であろうが女であろうが関係ない。時には排他的な独占欲にも陥る。惚れ込んだ対象に担当記者が20人いれば、己が1位でなくては気が済まないものだ。クラスナンバーワンの美女を、是が非でもゲットしてやろうと企む中学生と同じ。たしかに恋愛と似ている。

ある人に取材を依頼した日の夜、会社のデスクにさっそく返事のFAXが帰ってきていた。直筆で書かれていたのは以下の文章だった。

報知新聞 文化社会部 北野新太様

拝啓、時下ますます御清祥のこととお慶び申し上げます。 本日はFAXをお送り頂きありがとうございました。さて、御依頼の取材についてですが●●●●●●。変則的なお願いで誠に恐縮ですが、御検討の程をよろしくお願い致します。


なんと丁寧な返事。しかし、僕はなにも玩具メーカーの新商品広報担当者に取材をお願いしたわけではない。文末には達筆な行書で「羽生善治」と書かれていた。将棋の神様と言われる男である。

将棋を知らなくても羽生さんは知ってます、という人は多いだろう。なぜか。ちょっと考えてみると、1996年の「羽生ブーム」の時に知名度を上げたことが大きいように思える。あの年、彼は将棋界にある7つのタイトル(竜王、名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖)を史上初めて独占。どれだけの偉業かを語るのは簡単ではないが、例えて言うなら、プロ野球のどこかのチームで4番兼エースとなった男が首位打者、本塁打王、打点王、盗塁王、最多勝、奪三振王、MVPを全部獲っちゃうようなものだ。

だから、普段は限定的なファンだけに開かれている将棋という競技にも、さすがに外部から関心が寄せられた。おまけに、主人公は25歳と若い。神の頭脳を持ちながら、笑顔と眼鏡が似合う少年のような風貌で、後頭部にはピョコンとハネた寝癖。女優の畠田理恵を奥さんにもらったり、公文式のCMに出たりしたこともあって一躍、時の人となった。

あれから16年。今はどうしてるのかと言うと、実は今もなお頂点に君臨している。現在は王位・棋聖の2冠を保持。27歳の渡辺明竜王・王座という最強のライバルはいるが、棋士の下り坂と言われる40代に突入してもなお、特別な存在で在り続けている。

正月を飾る書評欄のスペシャルバージョンの取材をデスクに頼まれた時、将棋を担当する僕は無条件に「羽生善治に会いに行こう」と思った。羽生に読書遍歴や愛読書を聞こう。少なくとも、そんなテーマで彼を取材した文章はお目にかかったことがないし、神がどんな本を読んで神と成り得たかを尋ねることに価値はあると思った。何より、羽生とヒザを突き合わせてゆっくり話をしてみたかった。

<1月10日本紙掲載分より>
将棋の羽生善治2冠(41)=王位・棋聖=は棋界随一の読書家として知られる。本が与えてくれた最大の力を「平常心」と語った知の巨人。将棋との出会い、旅、結婚など、書物と共に歩んだ半生を語り尽くした。(北野新太)=文中敬称略=

◆発端
 小1の時、羽生は仲良しの高木君から不思議なゲームを教わった。「あんなにのめり込んだものはなかったですね」。将棋だった。ハッキリ決着するのが何より楽しかった。野球、サッカー、缶蹴り、トランプ、ラジコン、ダイヤモンドゲーム・・・と移り気だった少年は、将棋に没頭していく。「コツが全く見えなかったのも魅力的に映ったんです。他はコツが分かっちゃうとやらなくなる。野球盤のフォークボールの打ち方は分からないままでしたけど・・・。あれは打てないです(笑い)」

 興味の対象と出会った息子に、両親は一冊の本を贈った。時の名人・大山康晴が初めて書いた入門書「親と子の将棋教室」だった。「ものすごくよく読みましたし、見よう見まねで駒を動かしました」。一緒に買ってもらったマグネット式の将棋盤と駒で勉強した。食事中も離さず、布団でも読みふけった。「あの本と出会っていなかったら将棋をやることもなかった。大きな機会だったと思います」

 普通の小学生みたいに漫画は読まなかった。というより、読めなかった。「ウチは田舎(東京都八王子市だが、最寄り駅まで車で30分以上かかった)だったので、漫画が流通しないんです(笑い)。『コロコロコミック』は都会の子が読むもので『ドラえもん』も『あしたのジョー』も『キャンディキャンディ』もテレビでは見るんですけど、漫画は・・・。ファミコンも発売前でしたしね」。でも、退屈ではなかった。夢中になれるものを見つけていたから。

 小6で奨励会に入会してからは、千駄ケ谷の将棋会館までの往復3時間が読書の時間になった。「『詰将棋パラダイス』(月刊誌)を読み、あとは『将棋図巧』、『将棋無双』(江戸時代の詰将棋作品集)ですね。根気よく考える習慣は、今に生きていると思います」
 将棋を教えてくれた高木君は小3で転校したが、中学で再び一緒に。再会した時、旧友は驚いた。あの「よしはるくん」がいつの間にか、数々の小学生タイトルを奪取。奨励会で圧倒的な成績を収めて棋士への道を駆け上がる新星となっていたからだ。

◆旅
 将来の名人と期待され、羽生は1985年に棋士になる。加藤一二三、谷川浩司に続く史上3人目の中学生棋士だった。年齢は15歳だが、立場はプロ。対局やイベントで全国を回った。移動に次ぐ移動。そんな頃、偶然出会ったのがノンフィクションライター・沢木耕太郎のユーラシア紀行「深夜特急」だった。「中学生だから、1人きりで大阪に行くのも不安なんです。だから、移動中に旅の本を読むことに魅(ひ)かれたのかもしれません。沢木さんのことは全く知らなかったんですけど、アジアのゴチャゴチャした風土の描写が非常に面白くて、いくつかの国には自分でも行きましたよ。もちろん行ってない場所もたくさんあるので、これからまた行けるかなと思っています」
 全国行脚に慣れると、同世代の棋士たちと気ままな旅をするようになった。高千穂峡(宮崎県)を旅した時は、アクシデントに見舞われた。「ボートをこいでいる時、滝を回避できずに全員で打たれたこともありましたね。分かっているのに吸い込まれてしまって」。森内俊之、佐藤康光、先崎学、郷田真隆・・・。一緒に旅をし、笑い合った仲間たちは、20年以上たった今も、タイトルの覇権を争う好敵手たちだ。
 その後も旅をテーマにした本は好きで、有名投資家が世界旅行を記録した「冒険投資家ジム・ロジャーズ 世界大発見」も愛読した。「ロジャーズのように、紛争地帯とか危ないところはなかなか行けないですけど。海外ではオーストラリアのパースが印象に残っていますし、20代の頃はバックパッカーの人たちも面白いなあなんて思っていました。南米は一度行ってみたいですね。日系人の方が多いので、ブラジルとか行ったら歓迎していただける気がします。ここはさすがに行けないなあ、という場所は本で読むことにします」。40代の今は、旅への憧憬を書物に託している。

◆頂点
 史上最年少(当時)の19歳でタイトルホルダーになり、90年代を迎える。巻き起こった羽生フィーバーの中で、最も冷静だったのは本人だったのかもしれない。「どんな場面、状況でも平常心を保つために、いろんな本を読みました」
 21歳の時に読み、愛読書となったのが三浦綾子の小説「氷点」だった。キリスト教における「原罪」をテーマにした作品だ。「あの頃、ずっと年上の方々は喜怒哀楽を上手にコントロールしてやっていると思っていたんですけど、全然そうじゃないんだと『氷点』で知った気がして、非常にスッキリしました。遠藤周作の『沈黙』とも共通項があるのかなと思っていて、生まれながらにして罪があるのは寂しいな、つらいなと考えさせられたんですけど、(物語は)100%の絶望ではなく、希望を残している。深みがありました」

 96年、史上初の7冠完全制覇。対局、取材、イベントと多忙を極めたが、限られた時間の中で、羽生は読書を続けた。「本を読んで得たものが、煮詰まった局面を打開する時の余裕や安心を生んだりするんです。たとえ実際には使わなくても、平常心を保つことにつながる」。もちろん本を読んで勝てる将棋はない。ただ、羽生は本を通じて高めた人間力を盤上に生かそうとした。「城山三郎さんが東急の五島昇を描いた『ビッグボーイの生涯』には、気迫や迫力を学んだ気がします。あと、単行本ではないのですが『広告批評』(月刊誌)は毎月読んでいました。CM作りのプロセスが全て創造的な話なので、いろいろ参考になるんです。休刊になって非常に残念です」
 雑誌には大切な思い出もある。94年、健康雑誌「いきいき」の対談で後に妻となる理恵さんと出会った。「ウチの奥さんは動物が好きで、『ムツゴロウさんに会いたい』とリクエストして対談の約束をしたんですけど、ムツゴロウさんが体調を崩して入院されて、急きょ僕が代打になったんです。奥さんは『全然知らない人が来ちゃった』みたいな感じでした」今は夫婦でムツゴロウさんに感謝しているとか。

◆不惑
 40代になった羽生には、本を買うこと、読むことについて独自の哲学がある。「本はお菓子みたいなものでしょうか。たとえ読まなくてもお釣りが来るもの。買うか買わないか迷ったら買うと決めています。多い時は月に30冊くらい買っているんでしょうか。本屋は広すぎてもダメで、ほどほどがいい。書斎の本棚の許容量を超えた本は、捨てるか人にあげるかしています。読むスピードは本の種類にもよりますけど、1時間で70~80ページぐらいでしょうか。斜め読みはしませんが、読まなくてもいい箇所だなと思ったら、飛ばして次の章に行っちゃいます」

 読書傾向は多彩だ。村上春樹の読者でもある。「『1Q84』は、すごくエンターテインメント性を考えて書かれていますけど、ものすごくややこしいことを背景に書いているとも思いました。村上さんは何冊か読みましたけどいちばん面白かったですね。あとはマーク・ブキャナンの『歴史の方程式』、『複雑な世界、単純な法則』。出来事は偶然によって起きるのかというテーマで、例えば第1次大戦は、オーストリアの皇太子の運転手が道を間違えたことから本当に始まったんだろうかとか。すごく面白かったです」

◆未到
 題名は忘れてしまったが、何かの本で読んで心に刻み、20代前半から座右の銘としている言葉がある。「運命は勇者に微笑む」。米国のことわざだが、古代ローマの賢者プリニウスの言葉という説もある。「分岐点で勇気を持って選択する姿勢は、やっぱり大切なんじゃないかなと思うんです」

 勇気を持って運命を切り開いた勝負がある。弱冠17歳だった1988年のNHK杯では大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠という名人経験者4人を破って優勝。衝撃を与えた。「実力的には劣っていたと思うんですけど、どんどん踏み込んでいったから勝てたんだと思います。アクセルを目いっぱい踏み込んでいく感覚は、やらないと忘れてしまう。長くやっていると長年の習慣にのみ込まれていく。若い頃は怖いもの知らずですけど、今だからこそ大切だと思うんです」

 2012年も、勇気を胸に戦っていく。現在の通算タイトル獲得数は80期で、大山康晴と並ぶ歴代1位。新記録樹立の期待がかかる1年を迎え、羽生は穏やかな顔で抱負を語った。「大山先生は偉大な目標。ひとつの記録の目標として頑張っていく気持ちはあります」
 生まれて初めての本と出会ってから36年。将棋の世界へと導いてくれた「親と子の将棋教室」の著者を超えた時、羽生は名実共に「史上最高の棋士」となる。

 <羽生善治>(はぶ・よしはる)1970年9月27日、埼玉・所沢市生まれ。41歳。6歳で将棋を始め、12歳で奨励会入り。15歳で史上3人目の中学生棋士に。89年の竜王戦で初タイトル。96年史上初の7冠制覇。通算タイトル獲得数は80期で歴代1位タイ。竜王以外の6タイトルで永世称号を持つ。家族は元女優の理恵夫人と2女。


羽生は、ふたつの対局を終え、疲労困憊していたにもかかわらず、2時間も相手をしてくれた。何を聞いても率直に答え、こちら側のちょっとした脱線を笑いに変えてくれた。

別れ際、あることを聞こうと決めていた。記事のなかにも出てくる少年時代からの盟友・先崎学から、こんなことを聞かされていたからだ。

「20代の始めの頃、羽生君と一緒に酒を飲みましてね、珍しく彼が酔っぱらったんです。帰り道、ちょうど雪が降っていて歩道の路面が凍結しているんで、羽生君は何度も滑って転びそうになるんですよ。で、私は手を貸そうとするんですけど、なぜか絶対に借りようとしない。自分で立って歩こうとするんです。無意識なのかなんなのかわかりませんけど、何かを見たような気がしました」

なぜ手を借りなかったのかを、どうしても知りたかった。

羽生は「あ~。そうですね~。そんなことが札幌であったような・・・」と前置きし、続けた。「そうですね。路面が凍結していて転びそうでしたね。でも、自力でなんとかするのが私の基本的な考え方なので。どうしようもなくなったら助けを借りますけど、そうでない限りは自分でなんとかするものだと思っていますから」

ずっと温和な笑顔を浮かべていた羽生は、もう笑ってはいなかった。あの瞬間だけ、盤上をにらんでいる時と同じ目をしていた。僕は、なんと返事をしていいのかわからず「ありがとうございます」とだけ言った。言いながら「また羽生に会いたい」と思った。まだ会っているうちから、また会いたいと願う感情は、やはり恋愛に似ていた。

分野日誌 第39回 神様への恋

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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