実録! ブンヤ日誌

第42回 不機嫌の謎、解明

2012.02.20更新

2月17日午後6時過ぎ。第146回芥川・直木賞贈呈式の壇上に上がった田中慎弥は、すーっと大きく息を吸い込むとマイクに向かって言った。

「どうもありがとうございました」

そして、頭を下げて踵を返すとスタスタとステージを去っていく。たったひと言のスピーチに会場がどよめくなか、席に戻るとウーロン茶をぐいっとあおった。司会者が「万感の思いが込められていました」とアドリブを放つと、約300人の人々で満員御礼となった会場は爆笑に包まれた。田中も微かに笑っていた。寵児を見つめる出版関係者たちの熱の中で、僕は6時間前のことを思い出していた。

話題の新芥川賞作家への道程は険しかった。取材対応は、芥川賞を受賞した直後に東京で文芸誌と一部の一般紙に応じたのみ。集英社に何度依頼しても受け入れられず「下関まで行く」と伝えても「下関での取材は御本人が受けない方針なんです」と言われる始末。しかし簡単には引き下がれない。不退転の決意で頼みまくっていると、ある時「贈呈式に合わせて上京するので、当日なら時間が取れるかも」と言われ、飛びついた。

彼が待つ部屋の扉の前に立って、僕は緊張していた。かつて、ビートたけしに「日本お笑い史」という壮大なテーマを30分で聞かなくてはならなくなった時と、少し似ていた。失敗は許されない。誰も聞かなかった、誰も聞けなかった話を、オレは聞かなくてはならないのだ。

名刺を切り、あいさつする。下関の書店で「共喰い」が入手困難になった記事を掲載した本紙を渡し、著作をすべて読んだことを伝えた。田中は表情を微動だにさせず「それはどうも」と素っ気なく言ったが「個人的には『神様がいない日本シリーズ』が最も素晴らしいと思いました」と言うと、初めて目を見てくれた。

<1月18日付本紙より>
 第146回芥川賞を受賞した「共喰い」(集英社、1050円)が20万部を突破した作家・田中慎弥さん(39)が17日、スポーツ報知のインタビューに応じた。受賞当日の「不機嫌会見」の裏側にあった意外な真相を告白。野球好きの一面など、知られざる素顔ものぞかせた。(北野新太)

◆不機嫌会見
 ――「もらって当然」と言ったり、会見での不機嫌な様子が話題になりました。

 会見のコメントは、前(1年前)に落選した直後から考えてました。受賞したら言ってやろうと決めていたので、(事前に)軽く頭の中で繰り返してあの場で言ったというだけです。だから文章を読んでいるような、不自然なインチキくさいコメントだったと思います。

 ――不機嫌の理由は。

 あんなトコ出てきて機嫌がいい方がバカじゃないですか。臆病だから大勢の前に出るのは怖いけど『逃げます』つって逃げるわけにもいかないので、ちょっと脅かして逃げようという感じですよ。発言は裏も表もなく『もらって当然』と思っていたから女優の言葉を引っ張ってきただけ。お酒は飲んでたけど、まともな精神状態だったと思いますよ。後悔はしてないです。

 ――選考委員の石原都知事を引き合いに「都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる」との発言の真意は。

 言えば面白いだろうと思っただけで。いちばんネタにして面白い人だし、聞いている人も喜ぶ。都知事の存在を拝借して隠れミノに使って乗り切ろうと。面白くて絵になる人でカリスマ性もあるし。自分にはなれないなという点でカッコイイと思います。「太陽の季節」は高校の頃に読みました。とんでもない小説。良くも悪くもとんでもない。

 ――受賞作「共喰い」は、父と子をモチーフに暴力と性を描いた。

 なぜそうなるかは分からないです。僕自身は暴力から縁遠いし、そんな衝動を実感することはない。心の闇なんてあるのか、と思いながらも(物語を)作っている。

 ――4歳でお父さんを亡くした。

 私も34歳で死ぬと思っていました。死ななかったら自ら死ななければいけないんじゃなかろうかとすら思っていた。死がやってくる恐怖はいまだにあります。

 ――なんでニート生活に。

 地方のちっちゃい大学に落ちて、働くつもりも予備校行くつもりもないので引きこもりの生活を始めたんです。親不孝だなとは思いました。小説でダメなら就職するとか考えないといけないのにそうしなかった。(書き始めてデビューまでの12年は)長かった。

 ――受賞から1か月たちました。

 怒とうのように襲ってきたのは喜びではなく、予定や取材でして。これだけ売れるのは最初で最後。(何者からか黒い粉が送られたことは)嫌な感じ。言いたいことがあるなら言った方がいい。

 ――生活は今も同じ。

 毎日書く。元日も、震災の日も書いてました。だいたい午前2時間と午後4時間。鉛筆で書く。(パソコンも携帯もない生活も)物欲ないんで。

 ――野球を題材にした作品もある。

 ささやかに(広島)カープファンです。栗原はよく残ってくれたなと。本当はメジャー行きたいのに。が、今年も望みは持てない。

 ――巨人は・・・。

 好きではないけど、石原さんと同じで悪口の言いがいがある。杉内を引っこ抜いたのはえげつなかったですね。DeNAは中畑が面白いだけですし。メジャーも午前中の中継を見てしまう。仕事する時間なんですが。(ダルビッシュについて)あそこ(レンジャーズ)はメジャートップの打線ですから。でも、中4日で大丈夫なのかなと。(何勝するか)そんなの絶対言えませんよ、怖くて。書くでしょ?

 ――映画も好きとか。

 (人生最高作は)「ゴッドファーザー」。「セント・オブ・ウーマン」はアル・パチーノの最高作ではないけども(座右の銘とする)『足がからまっても踊り続けろ』というせりふだけは印象に残ってます。

 ――家を出て家庭を持ったりしないのか。

 自分のことしか考えてないんでムリじゃないですか?
 
<田中 慎弥>(たなか・しんや)1972年11月29日、山口県下関市生まれ。39歳。県立下関中央工高卒業後、全く仕事をせずに実家生活を続け、20歳から小説を書き始める。2005年「冷たい水の羊」で新潮新人賞。08年「蛹」で川端康成文学賞を史上最年少受賞。同年「切れた鎖」で三島由紀夫賞。12年、5度目の候補作「共喰い」で芥川賞受賞。下関市在住。家族は母。
 
◇不機嫌会見VTR 1月17日夜、受賞会見に臨んだ田中さんは「(米女優)シャーリー・マクレーンが何度も落とされた後でアカデミー賞をもらった時に『私がもらって当然』と言ったそうですが、だいたいそういう感じ」と大胆に第一声。さらに、選考委員の石原都知事をネタに「ここらで断ってやるのが礼儀なんですけど、断って気の小さい選考委員が倒れたりなんかすると都政が混乱しますので、都知事閣下と東京都民各位のためにもらっといてやる」と豪語。「もうこんなのやめましょうよ~」と繰り返す不機嫌な様子が話題となった。
 
◆拍子抜け贈呈式 ひと言あいさつ
 田中さんは17日夜、東京・千代田区の東京会館で行われた第146回芥川・直木賞贈呈式に出席した=写真=。
 「不機嫌会見」の次は「ひと言あいさつ」だった。壇上のマイクに向かって大きく息を吸い込むと「どうもありがとうございました」と言っただけで深々と頭を下げた。午前中のインタビューで「ものすごく面白くなくて、なんだよ、と拍子抜けすることを言いますので」と予告した通りのあいさつに会場はどよめいた。「道化師の蝶」で同時受賞の円城塔さん(39)と「蜩ノ記」で直木賞を受賞した葉室麟さん(61)も笑顔を浮かべた。
 今回で選考委員を退任する東京都・石原慎太郎知事(79)は欠席。田中さんとの対面は実現しなかった。


泣く泣く不掲載となった村上春樹評はこんな感じ。

「熱心な読者にはなれていません。でも、あの世界にスーッと入っていく読者は多いと思う。そうなれない私は古いタイプの読者なんでしょうね。何かがそこにはあると思う。あの文章とあの世界に。私は、これはなんなんだろうと思って入り込んでいけない。何かがあると思ってしまう。まとめて読む時間があってもいいと思うけど、読まない方がいいかもしれない。影響されちゃうかもしれないから」

1986年の日本シリーズについては、こんなことを言っていた。

「あの頃ってシリーズがデーゲームだったでしょ? 西武が強くなっていく時期で、清原がデビューした年で秋山、石毛がいて。第6戦、第7戦、秋ですから、西武球場のマウンドに西日が差していく。そこに渡辺や工藤が立っているのが僕にとっての日本シリーズ。ああ、工藤ならもう広島は勝てない・・・と。絵になりましたね、あの頃の日本シリーズは」

僕が最後に「会見では、足が絡まっても踊り続けたんじゃないか」と聞くと、ふと気づいたような顔で「そう言われてみればそうかもしれない。言われてみれば、というか言ったのは私か」と答えた。田中慎弥は、初めて人間らしい表情を浮かべ、控えめに、でもうれしそうに笑っていた。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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