実録! ブンヤ日誌

第47回 スカイツリーと老人

2012.05.07更新

上ってきましたスカイツリー。え、開業は22日でしょ? なんでもう登れるの? とお思いでしょう。むひひ。メディア内覧というのに行って参ったのです。新スポットを早々にチェックすることにあんまり興味はありませんが、さすがに仕事でタダで行けるなら行きます。

感想は「350メートル展望台はさほどでもないが、450メートル展望台はけっこうすごい」です。下にある「天望デッキ」の眺望は東京タワーの高い方の展望台から見える風景と大きな違いはないように感じてしまいましたが、上の「天望回廊」は、ちょっとビビリました。壁にくっついたチューブのなかを歩く構造になっているので、足元がフワフワとして落っこちそうな感覚がするのです。シースルーの超高速エレベーターとともに、体験する価値アリなんじゃないでしょうか。

スカイツリー関連の取材をするなかで、どうしても話を聞きたかった人がいました。

<スポーツ報知 5月3日社会面掲載>
 「世界の王」の肉体をつくった逸品が、東京スカイツリーの目の前で味わえる―。東京・墨田区の中華料理店「五十番」の店主・関五一さん(90)が、今も調理場に立って提供する「肉そば」は、早実時代の王貞治さん(71=現福岡ソフトバンクホークス会長)が愛した思い出のメニューだ。「毎日のように食べてくださいましたねえ」と懐かしむ関さんに、王さんは心のこもったメッセージを寄せた。(北野新太)

 重たい中華鍋を勢いよく振る関さんの腕は、90歳とは思えない筋肉に覆われている。視線は鋭い。60年以上作ってきたメニューでも、スープの味見を繰り返す。「おまちどおさまです」。テーブルの上に出されたのは「世界の王」が愛した「肉そば」(600円)だった。
 スカイツリーから約400メートル。墨田区業平の商店街に並ぶ「五十番」は1962年、同区八広にあった王さんの父・仕福さんの店から、一番弟子だった関さんがのれん分けしてもらって開いた店だ。「ちょうど今年で50年になりましたか。私と同じくらい古い店です」
 太平洋戦争で3年間の従軍を終えて帰国した47年、関さんは「五十番」に住み込みの見習いとして働き始めた。「王さんは小学校2年生くらいでしたでしょうかねえ。小さいのに出前を手伝ったり、すごいなあと思いました」

 年の差19歳の2人をつないだのは、野球好きという共通点だった。51年に後楽園球場に連れ出したのが、「世界の王」にとって初めてのプロ野球観戦だった。「ダッグアウト脇の通路で、与那嶺選手に王さんが『サインくださーい』とお願いしたら、応えてくれたんです」
 その後、王さんは早実に進学。練習を終えて帰宅すると、関さんに肉そばを注文するのがほとんど日課だった。「おいしい、おいしいと食べてくださいました」。今も鮮明に脳裏に浮かんでくる大切な思い出だ。

 王さんが巨人に入っても、868本塁打を積み上げても、WBC優勝監督となっても、「肉そば」の味だけは変わらなかった。「お師匠(仕福さん)から教わった当時のままですねえ」。しょうゆ味と塩味の中間をいくような独特の風味。名前は「肉そば」だが、肉以外にもキャベツ、タマネギ、ニンジン、もやし、ピーマンと野菜がたっぷり入ったヘルシーさで女性にも好評だ。

 王さんとは今でも時折、連絡を取り合う。「いつも『関さん、お元気ですか』と言ってくれます。兄弟のような方です。王さんも頑張っているし、まだまだ私も調理場に立ち続けなきゃいけません」。5日には地元枠でスカイツリーに上る予定だったが、家族旅行と重なって断念。「でも、機会を見つけて上りたいです。王さんと同じ世界一ですからね。どんな景色なんでしょうか。ちょっと考えられません」

◆福岡ソフトバンク・王貞治球団会長
 おいしいものを作ってお客さんに喜んでもらおうという誠意が伝わってくるような「肉そば」でした。おいしかったし、お客さんも、関さんの思いがこもった「肉そば」を食べることを楽しみに来られ、満足して帰っていかれたことを思い出します。

 とにかく野球の好きな方で、仕事の合間によくキャッチボールの相手をしてもらいました。後楽園球場には貴重な休みの日に連れて行ってもらい、バックネット裏で観戦させていただきました。その時のプロ野球選手は、同じ人間とは思えず、神様のように見えたものです。後楽園球場での観戦は、その後、野球に夢中になるきっかけとなった貴重な体験でした。

 野球に携わるきっかけを作ってくれた恩人の一人と言っても過言ではありません。
 関さんは戦争という過酷な時代を生き抜き、復員後は中華そば一途(いちず)に生きてこられました。人間の生きざまとして、一つのことに打ち込む、こんな素晴らしいことはないと思います。90歳という年齢でも、思いは年をとることはありません。これからも多くの人においしい肉そばを作り続けてほしいと思います。(談)


取材を終えて店を出ようとすると、関さんは店外まで見送りに出てきてくれました。お別れの挨拶をして押上駅に向かって商店街を歩き始める。50メートルほど行ってから振り返ると、まだ関さんは店先に立って、僕に手を振ってくれています。
一礼をして踵を返し、歩く。商店街から抜ける地点まで来たから、もう一度振り返ってみると、まだ関さんはいました。うれしそうな笑顔で、また手を振ってくれています。胸がいっぱいになりながら、僕はふと思いました。

自分は今、55年前のある朝、家を出発して早実に向かう王貞治が見た風景と同じものを見ているんじゃないかと。振り返っても、振り返っても「五十番」の前に関さんがいる。手を振っている。時を超えて、変わらないシーンが繰り返され、重なり合っているんだと信じたかった。関さんの頭上の空には、ピカピカの巨大な塔がそびえてはいるけれど。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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