実録! ブンヤ日誌

第49回 背番号8と自分

2012.06.05更新

テレビで姿を見る度に、祈るような気持ちになる人がたったひとりだけいる。ジャイアンツのベテラン外野手・谷佳知が打席に入ると、僕は新しいヒットが生まれることを心から願ってしまう。5年前から変わることのない習慣だ。
巨人の担当をしていた2007年、トレードで移籍してきたのが7歳年上のオールスタープレイヤーだった。番記者を買って出た僕は、毎日しつこいくらい話を聞きに行った。なぜか最初から良くしてもらった。

遠征先の夜に「行こか」と食事に誘われるのが何より楽しみだった。酒を飲まない谷に「どんどん飲んでええよ」と勧められるまま、いつも酔っ払った。ウーロン茶を手にする男は、笑顔を浮かべながら決まって言うのだ。「オレも酒飲めたら、楽しかったんやろうなあ」。時には、おどける言葉のなかに情熱を感じた。「なんでベースって反時計回りなんやろな。右利きは不利や。不公平やん」「オレな、ロッキーめっちゃ好きやねん。スタローン。男やからな」。優しくて、熱い人だった。

ある日、そんな間柄が暗転した。球場に行くと「もうお前とはしゃべらへん」と言われた。築いた関係を過信した僕が無神経な記事を書いたからだった。信頼してくれた人を裏切り、記者というより人間として猛烈な自己嫌悪に襲われた。
ちょうど巨人が中日と阪神との熾烈な優勝争いに突入する大事な時期だったが、仕事は手に着かなくなった。悩み抜いた末、何日か後に長い手紙を書いて渡した。すると翌日、通路で呼び止められた。「なんや、お前、まだ気にしとったん? アホちゃう!?」。あの笑顔を、今でも時々思い出す。

担当を外れた後も会う時間をくれた。相も変わらず、僕は泥酔しながら、谷はウーロン茶を飲みながらの席。ふとした時に「まだまだ辞めれんよ。コレまでは」とVサインをつくる谷に「なんですか、それ~」と聞く。「ホンマにアカンな。2000本やろ」

5月末、久しぶりに東京ドームを訪れた。日本ハム戦前の巨人の練習を眺めていると、阿部慎之助がティーバッティングの最中に気づいてくれた。「なんかデケー奴いると思ったら、お前かよ。相変わらず猫背だな」「いやいや、かなり改善されました」「元気してんの」「ボチボチです。チームは元気いいですね」「まあ、これからだから」。テレビ解説で訪れていた仁志敏久からは「こないだ出した本、どうだった? ちょっと中身がマニアックすぎたかな?」と聞かれた。「いや、自分楽しく読ませていただきました! 2番打者最強論のくだりなど・・・」

そして、フリーバッティングを終えてロッカールームに戻ろうとする谷に声を掛けた。「おー! やっぱお前か! なんかめっちゃ似てるヤツが立ってるなーと思ってたんや」「ごぶさたしてます。お元気そうで何よりです。今年中の2000本もある流れですね(同日時点で残り120本)」。ベンチ裏の素振りルームで、立ち止まって喋る。5年前と何も変わっていない。谷が39歳になり、僕が32歳になったこと以外は。「まあ、でも年齢を感じることもあるよ。疲れが取れにくくなったりとか」「逆に、スタメンで出てるっていう証明でもありますからね」「ま、そやな」「じゃ、スタンドから見てますんで、1本お願いします」「まあ、1本ずつやな、1本ずつ。頑張るわ。ありがとう」

新聞記者が新聞記者であることの理由について考えてみる。会社員としては他社に先駆けてスクープを放ち、良質な報道をしていくことなのだろう。でも、一個人としては少し違う。あのように、何でもないけど大切な時間を迎えるために、僕は新聞記者で在り続けているのかもしれないとも思う。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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