実録! ブンヤ日誌

第52回 若い棋士の肖像

2012.07.24更新

至高の頭脳が集う将棋界を取材している時、常に頭の片隅に、意識の底に眠る言葉がある。実に単純で、しかし重要な2文字。「天才」である。天才と呼ばれる男たちは、なぜ天才と成り得たのだろうか。
そんな思いが、ふとした時に顔を出してくる。文字通り、天が与えた才能なのか、導かれた運命なのか、偶然と運による産物なのか、それとも――。

羽生善治が史上初の七冠完全制覇を成し遂げた1996年、不世出の天才を輩出した道場「八王子将棋クラブ」には連日、将来の名人を夢見る子どもたちが殺到した。慣れない手つきで駒を持ち、盤へと向かう幼い顔のなかに、中村太地という名の7歳の少年がいた。

「僕、負けず嫌いだったんです。ルールくらいしかわからない時に5歳上のいとこに負けて、悔し泣きして。強くなろうと」

テレビに映る羽生の対局姿に憧れ、知れば知るほどわからなくなる盤上の世界に魅了された中村は、サッカーを辞めて将棋に没頭した。そして、いつからか棋士を志すようになる。七夕の短冊に「名人になりたい」と書いた。小学生名人戦で準優勝し、中学2年で養成機関「奨励会」に入会。
学校の休み時間は、いつも紙将棋の検討に充てられた。紙に引いた升目に駒を書き入れ、一手ごとに書いては消すことをくり返した。休日に、友だちと遊びに行った記憶はない。将棋について考えることが同時に人生だった。

「やっぱり羽生先生が憧れでした。強くて、カッコ良くて、華がありましたから」

神童たちによる弱肉強食の世界を突破し、高校2年で棋士に。早実の同窓生が「ハンカチ王子」という名の英雄になる数カ月前のことだった。

将来を嘱望されながら、プロ入り後は目立った活躍ができなかった。そして悩み抜いた末に「振り飛車党」から「居飛車党」への転向を決める。打者で言えば左右の打席を変えるくらいの大きな変化は次第に実を結び、プロ5年目の昨年度に覚醒。

通算40勝7敗で歴代2位の勝率・851を記録。第83期棋聖戦5番勝負で初めてのタイトル戦に出場する権利まで得た。相手は他の誰でもない。幼い日からの夢、羽生である。少年は16年かけて憧れの人と同じ舞台まで辿り着いたのだ。

決戦前の中村に千駄ヶ谷のドトールで話を聞いた。モデルのような体型の現代的な風貌の男は、対局室を離れれば勝負師の危うさを微塵も感じさせない。低すぎるほど腰が低い好青年だった。

途中、最も聞きたかったことを単刀直入に聞いた。

「あの頃、八王子将棋クラブに行った子どもたちのなかで、なんで中村君だけ棋士になって羽生さんに挑戦する所まで行けたと思う?」

と。天才とは何かという命題に、あるいは肉薄できるかもしれないという思いがあった。控えめな24歳は直截な言葉を避けながら、とても印象的なことを言った。

「才能がないと棋士にはなれないってよく言いますけど、僕は違うと思っているんです。辞めていった奨励会員のなかで、限界まで努力して棋士になれなかった人は見たことがない。でも、自分に今、常に100%の努力ができているのかと問うたら、100%とは思えない。思えないから、近づけるようになりたいんです。
 4年前くらいに居飛車を始めて、最近ようやく板についてきたのかなと思えるようになりました。よく、何事も1万時間勉強すれば身につくと言いますよね。まあ・・・僕が本当に1万時間勉強したかどうかはわかりませんけど・・・。オールラウンダーになりたかったんです。
 知らず知らずの間に羽生先生を見習っていたのかもしれません。そして、羽生先生みたいに情熱を持って闘いたいんです。今は将棋が楽しい。今までの楽しみが半分以下だったと思えるくらいです」

ほかの子より努力したから、とは中村は言わなかった。しかし、言葉の裏には歩んだ日々への確かな自負があった。ある棋士の中村評を思い出した。

「太地君は本気で毎日10時間研究していますから」


棋聖戦は3連敗に終わった。第1局は最終盤まで優勢に進めながら、中村のわずかな緩手を発見した棋聖に「羽生マジック」で逆転された。第2、第3局も熱戦ではあったが、越えられそうで越えられない壁を羽生は築き続けた。あの日の王者は16年後も絶対的王者だった。

島根県江津市で行われた第3局は、羽生の通算獲得タイトル81期という不滅の新記録を生んだ勝負でもあった。原稿を書いている時、目の前を中村が通りかかったので声を掛けた。和服から私服に着替えていた中村は、相変わらずの様子で
「あっ。お疲れさまです。わざわざ遠くまで足を運んでくださってありがとうございます」
と言った。なんと語り始めればいいかと考えながら
「タイトル戦での羽生先生はどうでした?」
と聞くと、挑戦者は答える。
「いや・・・。正直、覚悟していた以上に強かったです。こんなに強いのかと・・・」

続く王座戦でも、中村は渡辺明王座への挑戦者を決める決定戦に進出した。が、またしても立ちはだかったのは偉大な先輩であり、憧れの人でもある羽生だった。羽生が盤上に描いていく駒の連隊は、一寸の乱れもなく確実に中村を追い詰めていく。狩人の棋譜だった。

勝率8割5分の男でも、対羽生戦は0勝5敗。おそらく棋士になってから最大の無力感と屈辱感が包んでいるのだろう。でも、中村の棋士人生はまだまだ序盤だ。一局の将棋で言えば、戦型の展望が見えてきたくらいだろうか。神様を攻め倒すまでの過程には、無限の可能性がある。
あの対局直後、中村に告げた。

「でも、いずれは羽生先生を越えていかなきゃいけないんだろうね。これから10年は羽生先生と中村君の時代になるかもしれないんだから」

時代、という大仰な言葉も決して過剰ではないと思えた。恐縮したように笑い、頭を下げる若い棋士は
「そんな風になれるように頑張ります」
と言った。そして、わずか5メートルほどの場所で関係者と談笑する羽生善治の、あの底抜けに無邪気な笑顔を見つめていた。


お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

バックナンバー