実録! ブンヤ日誌

第54回 闇から始める 1

2012.08.27更新

第54回 闇から始める 1

息を切らして真夏の坂道を登る。途中、目の前に現れた瀟洒な洋館に、倉本聰はいた。エレベーターを降りると、既に部屋のドアを開けて廊下側に顔を出し、こちらを覗き込んでいる。ホームパーティーの主催者のような趣きの顔で。

「やあいらっしゃい。入って入って」

僕の不必要な緊張は緩んだ。

名字が「北野」である点とはまったく関係ないが、小さい頃から「北の国から」の熱心な視聴者だった。当然だ。1980年に生まれて、いったいどうしたら「北の国から」に目もくれずに人生を歩めると言うのだろう。いや、純や螢や五郎やれいちゃんや草太兄ちゃんばかりじゃない。うっかりすると「駅 STATION」まで繰り返し見てしまう。大晦日、倍賞千恵子の小料理屋を高倉健が訪れ、カウンターを挟んでふたりで乾杯する。小さなテレビが映すのは、もちろん紅白歌合戦だ。八代亜紀が歌う「舟歌」に、静かに声を合わせた倍賞が「私、この歌好きなのよね」と言う。画面、厳寒の北海道の海に切り替わって間奏のボリュームは上がる・・・。要するに、倉本聰が描く倉本聰的な世界に心が共鳴するらしいのだ。シナリオを文学として読むことは、倉本作品と出会う以前はなかったし、以後もないだろう。

会いに行ったのは「倉本聰の姿勢」という新刊の著者インタビューとして。

「いろいろやっていますけど、貫いている姿勢は変わらないんだけどな、というのはあります。僕の座標軸は海抜ゼロに戻るということ。富士山は五合目から登ると2300メートル地点から登るわけですから、3776メートル登ったことにはならないんですね。エベレストだって同じで、カトマンズからじゃ全部は登っていない。で、実際にベンガル湾の向こうから登った人がいるんですね。本当に登るってことは、そういうことなんじゃないかなと思うんです。僕は北海道に来て、寒さに耐えることから、闇に耐えることから始めた。そこから始めるしかなかったんです。暗中模索してきたんですね」

77歳の左手には2本目のマイルドラーク。21年間、43万本を吸って書いたのが「北の国から」だった。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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