実録! ブンヤ日誌

第57回 宇宙飛行士と歩く地球

2012.10.03更新

宇宙では想定外のトラブルが発生していた。
星出彰彦が上空400キロメートルの漆黒の闇を遊泳しながら困難と格闘している時、私の目の前にいたのは山崎直子だった。東京・京橋のオフィスの一室で、日本人2人目の女性宇宙飛行士に聞く。
「さっきニュースで見たんですけど、星出さんが大変なことになってるみたいですよね。たしか同期選出ですよね」
7月17日から国際宇宙ステーションに滞在していた星出は8月30日、船外活動の最中にアクシデントに見舞われた。故障した電源装置の交換作業をする際、船体に取り付けるためのボルトを閉めることができず、8時間以上に及ぶ作業の末、一時撤退を余儀なくされたのだ。

「ボルトですよね。過去にも何度も悩まされてきたので、あー、また起きてしまったのかと。想定通りに動いてくれないんですよ。大変だろうなあ」。トラブルについて語っていても、山崎の口調は達観したように穏やかだった。「でも、うらやましいです。私も船外活動をしてみたかったので。同じ訓練はしていたんですよ。これからチャンスがあれば、ぜひやってみたいなと思っているんです」

著作「宇宙飛行士になる勉強法」(中央公論新社)のためのインタビューとして与えられた時間は20分。悠久の時が流れる宇宙と比べると、あまりにもミクロなスケジュールだったため、私は担当編集者を通じて事前に「山崎流・勉強法7か条」を考えておいてもらう約束を取り付けていた。ところが、当日会って「で、7か条はどんな感じで?」と尋ねると、山崎は「え・・・?」と絶句。宇宙の果てで困難な作業に従事する星出も青ざめるに違いない窮地に陥った私は、地球への帰還を目指すアポロ13号の乗組員にでもなったつもりで絶望的局面に挑み、なんとかかんとか危機を脱した。

取材後、短すぎた時間を哀れんだ編集者が「これから山崎さんは京橋の丸善まで行くので、5分間くらいですけど歩きながら質問していただいても構いませんよ」と提案してくれた。せっかくの機会なので、ご一緒させてもらうことにした。

私が最も聞きたかったのは、勉強法についてなどではなく、宇宙体験がどんな精神的な変化、価値観の変化を帰還後に与えたかという一点に尽きた。学生時代、立花隆の名著「宇宙からの帰還」に感化された人間にとっては、宇宙飛行士に会ったなら確実に尋ねてみたくなるイシューだったのだ。京橋通りをスタスタと歩き、道行く人々をかいくぐりながら山崎は答えを探していた。そして赤信号で立ち止まった。「私も『宇宙からの帰還』には影響を受けました。宇宙がお好きなんですね。私の変化ですか・・・当たり前かも知れないですけど、自分っていうのは、なんてちっぽけな存在なんだろうということを考えるようになりました。そして、また宇宙に行ってみたいと強く思うようになったんですね。次は月や火星にも」。うーむ。答えはまだ、打ち上げられるスペースシャトルのように出発点にしか達していない。腰を据えてじっくりと話し込みたかったが、交差点を渡ると、もう丸善だ。あぁ・・・。

そうして私の25分間の取材は終わった。別れ際、横断歩道を渡ろうとした時、なにかを思い出したようにくるりと振り返った山崎は、私に手を差し出し、両手でフワッと包むように握手をしてくれた。たった15日間の宇宙飛行のために、四半世紀もの年月を一心不乱に歩んだ宇宙飛行士の手は、意外にも頼りないくらいか細かったが、優しい温かみがあった。

あれから1カ月。星出は今も宇宙に滞在している。地球にいる山崎は、きっと空を見上げて宇宙を想っている。小さな自分の存在を感じながら。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

バックナンバー