実録! ブンヤ日誌

第59回 疑惑の男との一日

2012.11.14更新

10月15日の成田空港は、午後4時を回ろうとしていた。待ち受けるテレビカメラは明らかにテレビ局の数より多かった。ズラリと並んだカメラマンの放列は、到着ゲートに現れた中年男に向けてフラッシュの雨あられを浴びせた。同じようにシャッターを切りながら、私のiPS細胞・・・いや、既存の細胞は活性化した。

来た。森口サンが来た。

ニューヨークからの長旅を終えて「いや~やっぱり日本が一番だね~。それにしても何、この報道陣。芸能人? キャー」的な笑みを浮かべる女性らの乗客たちがひとしきり通り過ぎた後、真打ち登場とばかりに姿を見せたのが森口尚史氏だった。ジェッキー・チェンのカンフー映画の序盤に出てくる「商店主A」あたりにキャスティングされていても違和感のない風貌の男は、報道陣の問い掛けに完全黙秘を決め込み、スタスタと無表情のまま「動く歩道」を足早に通過した。

実録! ブンヤ日誌「第59回 不可思議な同乗者」

iPS細胞を使った世界初の臨床応用を行ったと発表しつつ、ほとんどウソだったと告白して大論争を巻き起こした「時の人」がようやく帰国した。入管手続を終えた約30分後、到着ロビーに登場すると、現場は一大カオスと化した。押すな!引っ張るな!踏むな!倒すな!カメラのフレームに入るな!の押しくらまんじゅう。一般のオバさま方も「あ、あの人!」なんて言いつつ、スマホを頭上に掲げて即席の撮影会を開催した。ヨン様・・・古いか・・・グンちゃんの来日じゃありませんよ・・・。

場所を駐車場に移して行われた囲み取材には100人を超える報道陣が集結した。「大学に辞意を伝えました」と表明した森口氏は「(当初発表した6件のうち)1件は本当にやったんですよ。でも、証明できる人(患者)が出てきてくれない。証拠を出して『やった』と言えないのが残念です」と従来の主張を繰り返し、なぜかウスラ笑いを浮かべ続けた。そんな彼に、一部の記者は罵詈雑言を浴びせまくった。
「あなたねえ! そんな話でこっちが納得できると思ってるんですか!」「研究者だったら、ここで白黒つけた方がいいんじゃないですか!」
「もし1例もウソだったら世界中が容赦しませんよ!」
森口氏が会見を終えようとすると「逃げるんですか!」
あのー、日頃のウップンをここでぶつけなくても・・・。

ほどなくして取材は終了。通常の空港取材では、取材対象者が用意された車なりタクシーに乗って消えてしまうため、取材する側は「ハイ、これにて終了。お疲れさまでしたー」と相成るのだが、なんと森口氏は、謝罪に赴く東大に「成田エクスプレスに乗って行きます」と宣言する。・・・っておいおい。それじゃ、ついていかなきゃダメじゃん・・・。

案の定、NEXの切符売場には報道陣が殺到。森口氏は千葉県警の警察官10数名、空港警備員数名が脇を固める中、自動券売機にいそいそとお金を投入した。私も迷わずスイカでピピッと構内に入り、ホームへ。「もう取材は終わり終わり!! ダメダメ!!」 収拾を図る警官の呼び掛けに応じず、私を含む10人ほどの記者は成田エクスプレスへと向かった。

実録! ブンヤ日誌「第59回 不可思議な同乗者」

森口氏が乗車したグリーン車両の乗車口には警官が立ってニラミを利かせていたため、まずは隣の車両に乗り、出発後ににじり寄って森口氏を取り囲んだ。周りのお客さんにとっては明らかに大迷惑。奮発したはずのグリーンシートは「疑惑」とか「謝罪」などの文言が聞こえてくる記者会見場を化してしまった。ゴメンナサイ・・・。

動乱が収束し、落ち着きを取り戻した様子の森口氏は、暮れなずむ車窓の風景を見つめながら口を開いた。そんな彼に、しゃべらせるためのワイロかなんなのか知らないが「おかき」を手渡す記者もいた。「ここ2、3日は寝てませんし、何も食べてません。機内でようやく寝て、ようやく食べられましたよお」「みなさんね、こんなことやってるとJRから抗議来ますよ。ニューヨークではホテルが警察呼びましたからね」「(ノーベル賞を受賞した)山中さんとはセットみたいなもんです。山中さんは基礎研究。私(の業績)はこれからの展開ですからね」「皆さんが騒げば騒ぐほど、(実際に手術に成功したことを証明する)患者さんは出てこられなくなりますよ。ぶっちゃけ迷惑な話です」「会見で言ったことがちゃんと報道されないから疑惑のデパートみたいになっちゃってる」「すごく今、孤独です」

実録! ブンヤ日誌「第59回 不可思議な同乗者」

やがて列車は東京駅のホームに滑り込む。立ち上がった森口氏に、私は伝えた。「森口サン、昨日、アパートの管理人のおばあちゃんと会ったんですけど、すごく心配してましたよ」。以前、家賃を未払いにしたことと部屋を散らかしっぱなしにすることについて怒っていることは、あえて告げなかった。すると、彼は不快そうな顔でつぶやいた。「管理人どころじゃありませんよ・・・。みんな実家まで取材に行っちゃって。まったくもう・・・」

駅構内で再び帰宅途中のサラリーマンに包囲され、やはりスマホのカメラの餌食となった森口氏は、さすがに今度ばかりはタクシーに乗り込んで本郷三丁目の東大へと向かった。ラッシュ時の丸の内線に乗り込んだら・・・とヒヤヒヤしていたため、心底ホッとした。締め切りが40分前に迫っていた私は、15行の前文と70行の本文をパタパタと書き上げ、提稿。再び森口氏を追った。

森口氏が大学側の聴取に応じている3時間もの間、報道陣は待ちぼうけ。疲弊した記者、ディレクター、カメラマンでごった返す会見場で、ある時1匹のゴキブリが発見された。夜の侵入者はカサカサッ、カサカサッと床を這い、我々をキョーフのドン底に陥れた。
「そっち行ったぞー」「ホラ、そこそこ!」
右往左往する大の大人たちは、なぜか次第に笑顔になった。いい感じに親密になった空気のなか、こんな声が聞こえた。
「あいつ、もしかして森口サンなんじゃね?」
フランツ・カフカからは確実に失笑を買うであろうギャグに、私は不覚にも笑ってしまった。

聴取後、東大が開いた会見に森口氏は来なかった。徒労感がぶわっと会見場を包んだ。時計の針が12時を指し示そうとする頃、一連の取材は終わった。私はひどく疲れ切っていた。あ、昼から何も食べてないや・・・。

東大を脱出し、流れて来ないタクシーを求めて闇の中を彷徨い歩いた。ふと1日を振り返り、森口氏とはいったい何者なのかと考えてみたが、結論づけるには材料が足りなかった。ただ、これまでの経験上、一週間後には誰も「森口」の「も」の字も言わなくなっているだろう、ということだけはわかった(一週間後、証明された)。私は、肉体を形成する細胞という細胞をすべてiPS細胞にリニューアルして心身ともにリフレッシュしたい、という欲求に駆られ・・・はしなかったが、とりあえずタクシーで会社へと向かう20分間、何も考えずに眠りたいと思った。

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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