実録! ブンヤ日誌

第67回 新人は75歳

2013.03.06更新

文藝春秋の応接間に入ると、背筋をピンと伸ばした黒田夏子さんは、まるで大切なゲストを出迎える貴婦人のように私に微笑みかけた。『abさんご』で史上最年長の75歳で芥川賞を受賞されたばかりの御人。あまりに独創的すぎる作風から、強烈なパーソナリティーを持っているのではと身構えていたが、どうやら気さくな人のよう。ならば果敢に行くべし。聞きたいことは山ほどあるのだ。

―― 歌舞伎がお好きと聞きました。菊之介さんが結婚されるみたいですね。
 「まあ。知らなかったです。最近大変良くなられた役者さんと思っておりましたが・・・。17の頃に見始めて。私、亡くなった勘三郎さんの3歳の初舞台を見ているんです。亡くなった團十郎さんの先代の團十郎さんの海老蔵時代から見ているくらいですから、もう年数だけは長い非常に古いファンでございまして。立ち見席専門ですけど」

―― 芥川賞受賞から1月くらい経ちましたけど、実感は出てきましたか?
 「実感はないですね。芥川賞まで結び付くのは思いがけなくて、まったく考えてもいませんでした。本が思いがけず売れたりして、いまだによく分からないです」

―― 受賞作は1993年に書き上げたものとか。
 「サイズとか費用的な問題でコピーを取っておりませんでしたので、いつ火事で燃えるかわからないと、いつもハラハラしておりました。でも、思いも寄らない複数の部数になりまして。これで、かなり大きな災害があっても全部なくなることはないだろうと。それが非常にうれしいです。心配がないことは非常にうれしい」

―― しかし、10年に1作書く人が、たった数日間で受賞記念エッセイをたくさん書くのって大変じゃありませんでした?
 「エッセイと作品では違うんです。作品というのは、やり直しやり直しでやっていくもの。文章を書くこと自体が遅いわけではないんです」

―― 受賞を機に作家として変化しそうですか?
 「作品への姿勢に変化はありません。これは臨時的な期間ですから。歩調に変わりはありません。良いことも悪いことも、長い間生きているとあるんです。今回のは有難いことですけど、これも臨時的なひとつ」

―― 授賞式直前です。勝負服とか?
 「いやいや、はははは。買い物に行く暇がありません。良い物を着ようとかいう気持ちもありません。いつもパンツにセーターというスタイルなので、気楽に考えております。普段着で参ります」
 
―― 選考会当日も、そんな感じで気楽に?
 「構えてはいなかったですね。でも、受賞の確率は高いです、みたいな周りの雰囲気だったので、これは取れなかったら謝らなきゃいけないと思っておりましたのでホッとしました。東小金井の『まりも』という喫茶店で待っていました。東小金井の駅前って、来られたことあります。喫茶店がほとんどなく、あとはモスバーガーくらいで・・・」。

―― 大きな花束を抱えて中央線に乗り込んで、東京会館(会見場)に向かったらしいですね。
 「店の近くで待機されていた皆様が、受賞決定後に持ってきていただいたんです。年齢的なこともあって高揚とかはありませんでした。淡々と。ああ良かった、謝らなくて済みましたと」
 
―― 会見は緊張しました?
 「カメラのフラッシュで目つぶしにあってしまう感じで・・・。思わぬ時に光が来ると目の中に紺色のまだらが出来るんです。でも、あんまり緊張はしませんでした。あれだけ大勢の方になりますと、昔やっていた教員の時のような感覚で。相手が数人となると、それぞれの思惑を気にしないといけませんけど。特定の誰かが居るわけではないので、緊張することはなかったです」
 
―― 生きているうちに見つけて下さってありがとうございます、のフレーズは用意されていたんですか。
 「締めくくりの言葉としては、そんなところかなと思っておりました。そうしか言いようがないなと。見つけていただいた、ということが実感だったんです」

―― ちょうど1年前は田中慎弥さんが「もらっといてやる」と。
 「ああ。私、テレビをまったく見ないので他の方の受賞会見を見たことがないんです。テレビを見る習慣がないというか、テレビのある家に暮らしたことがないんです。今は一応パソコンで見られるんですけど、ウインドウズが立ち上がっていないと見られないんです。新聞は取っていますから、逸話のような形で知ってはいるんですけど。見ていないから、実際の会見は気楽だったんでしょうね」
 
―― 最高齢、最高齢と言われて。嫌じゃありません? 女性だし・・・。
 「嫌ですけど、そのとおりなんですから言われても仕方がないかなと。本を手に取ってくれるきっかけになるなら。私のような作品は、波長の合う読者に出会うためにはたくさんの方の目に触れることが必要なんです」

―― 朝井さんと安部さんの受賞作は読みました?
 「実は・・・。本屋さんに行く暇もないんです。綴りの宿題をこなしているような日々でございまして。でも、せっかく同じパーティーに呼ばれたのですから読んでみないと失礼でしょうか」

―― 聞かれすぎてウンザリかと思いますが、なぜ横書きなんですか。
 「まず、横書きと言うのは機能的で大変良い書き方なんです。数字、アルファベット、楽譜も一緒に読める。写真のキャプションは横書きですし。実用的なんですね。世の中もどんどん横書きになってきていて。パソコンでも教科書でも横書きが多くなっているのに、文学書だけ縦書きが残っている。縦になることで生まれる『これは文学作品なんですよ』という情緒とか匂いのようなものを白紙にしてしまいたかった。30年くらい前に切り替えたんです。これでいける、これでやっていくと決めました」

―― カギ括弧はないし「。」は「.」です。カタカナも多い。
 「カギ括弧なしは高校時代からやっています。カギ括弧で描くものは、喋っている本人の本心ではない。地の文と均質な形で書きたかったんです。あとは走り読みができないようにしています。どうぞ一語一語辿って下さいましと。漢字があると拾い読みができちゃうんです」

―― 赤坂のお生まれとか。
 「今は賑やかですけれども、当時は静かな住宅街でした。幼い頃は空襲がすごかった。絵本を読むことくらいしかすることはなかったのですが、やはり物語を書きたいというのはありました。5歳の頃には、飼っていた金魚が死んでしまう、といったような話を書いていたようです」

―― 死ぬときは死ぬという諦念が小さい頃からあったとか。
 「学校の帰り道にいつ爆弾を落とされるかわからないので、その頃の子どもは誰しもそういうところはありました。空襲警報が出て、いつどこで足止めされるかわからなかったので、水筒、炒り豆、薬品、防空ずきんをいつも持って歩いておりました。鼓膜が破れず、目玉が飛び出さないようにする練習もしましたし。隠れキリシタンのような学校で、いつもキリストの話を聞かされて、死というものについて考えさせていました」

―― 玉音放送の記憶は。
 「雑音だらけのラジオで聞いていました。これで電気が付いて本が読めると、ひたすらうれしくて。よく聞き取れなかったんですけど『終わったのかな』と思えました。父もうれしそうでした。それまで、電気の光が漏れないように窓に黒い紙を張っていたくらいですから。やっと終わったという開放感はありました」

―― 少女時代はどんな本を読んでいたんですか?
 「宮沢賢治、小川未明、坪田譲治などですね。終戦後に出版物が出るようになって、回し読みをしていました。でも、あふれるように新しいものを読めるわけではありませんので、同じ話を何度も何度も読むんです。プルーストの『失われた時の流れを』をようやく読めた時は嬉しかった」
 
―― 女子高時代は校内誌の取材で川端康成に会ったとか。
 「まだ川端さんは50代でいらして。ちょうど『千羽鶴』が出たばかりで『女学生の手記をもとにしたんだよ』とか教えてくれました。ひとつひとつ聞きたいことを聞けました。高校生で遠慮はありませんでしたから」

―― 世代としては、23歳で芥川賞を取った石原慎太郎や大江健三郎と重なります。
 「賞によって世の中に出て行く、という形が石原さんや大江さんで示されましたね。有吉佐和子さんとか曽野綾子さんもいらっしゃいましたし。でも、芥川賞は意識したことはないですね。ものを書いて暮らしていくのがいちばん楽で良い道なのだろうと当時から思っていたのですけど、今になれば非常に難しいことだというのがわかります」

―― 当時から結婚の意思はなかったとか。
 「初めからありませんでした。机に座る時間はあっても、意識は縛られてしまう。何十年も生きていれば、いくつかの恋愛もありましたが、こっちが絶対に籍は入れたくないと頑張ってきましたので、いまだに結婚したことはないです。」
 
―― 歌舞伎以外に趣味はあるのですか。
 「絵を見るのは好き。クリムトみたいに様式をくぐったものがいいですね。写実でも抽象でもないような。スポーツは、勝ち負けに興味がないのであまり興味はないです。子どもの頃から勝つとか負けるとかってことにピンと来ないんです」

―― では運動もされない?
 「歩いてはいると思います。乗り物の乗ることより歩くのが好きなので、必要なくても歩いています。大人になってから大病はしていないですね」

―― よく、気持ちは幼女の頃のままだと。
 「子どもの時から意識はつながっていまして。家庭も持たず、お勤めもしてこなかったので、幼児期から大人になる区切り目はなかったような気がするんです」

―― 文学とは。
 「熱中できることは書くことだけ。ずっと言葉を連れ立っている。よく、言葉を疑うとか、言葉に反逆しないといけないというような事をおっしゃる方もおられますが、私の場合は言葉が好きで、いつも連れ立っているんです」
 
―― 生きてきたなかで後悔したことはないか。
 「勝手な性分ですけれども、後悔はしないんです。いつの時点でも生きることを肯定するしかないと思っています」

―― それは芥川賞に縁がなくても?
 「今回は有難いことでしたけども、このまままったくの無名で終わったとしても後悔はなかったです」

―― これからの目標。
 「休憩が長引いていますけれども、次の作品を書くことです」


正直言うと、私は『abさんご』を3回繰り返し読んだが、ほとんど理解できなかった。同じような人は多いかと思われる。上記の一問一答が、書き手と読み手の距離を少しでも縮めるガイドになるのなら、これ幸いと存じます。

芥川賞受賞会見に臨む黒田夏子

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北野新太(きたの・あらた)

1980年1月、石川県七尾市生まれ。
学習院大学法学部政治学科在籍中に雑誌「SWITCH」で雑誌編集を学び、卒業後の2002年に報知新聞社入社。以来、編集局勤務。担当遍歴は、日韓W杯—常総学院—柏レイソル—社会—映画—音楽—アテネ五輪—社会—読売巨人軍—和田アキ子 —NHK—社会(現所属)とムチャクチャ。猫背の完治が生涯の目標だが、巨人・原辰徳監督に「生き方が曲がってなければいいんだ!」とエールを送られたため、とりあえず先延ばし中。好きな言葉は「人間には、燃え尽きる人間と、そうでない人間と、いつか燃え尽きたいと望み続ける3つのタイプがあるのだ」

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