近くて遠いこの身体

第34回 フリーズする瞬間

2015.02.19更新

 ふとしたと拍子に階段を踏み外すことはないだろうか。
 気がかりなことで頭がいっぱいだったり物思いに耽っているときなどに、あると思っていた段差がなくて、つんのめる。まるで大地が消えてしまったかのような錯覚を覚えて、混乱する。
 これは上りのときで、下りだとまた感覚は違う。膝を突き上げるような衝撃が身体を駆けめぐる。足裏から背骨を通り、脳天から抜けていくような衝撃だ。ふと我に返って、へっぴり腰な自分の姿勢に可笑しくなる。
 ぼやけた意識がピリッとするあの感じはとても不思議だ。唐突に背後から大声が聴こえたときや、いきなり頭から冷水を浴びたときの体感とよく似ていてるが、一瞬にしてパッと目が覚める。

 あるいはこんなときもそうかもしれない。
 麦茶だと思って飲んだら紅茶だった、あるいは牛乳だと思ったら飲むヨーグルトだった。そんなときに僕たちは一瞬フリーズする。口の中全体に広がる違和感に全身全霊で戸惑っている、そんな感じだ。
 口腔内にある液体の正体がわからなくなっているその瞬間は、味覚が機能を停止している。おそらくこのときは脳がもっとも活動的に働いていて、体感的には「直近の過去を猛スピードで振り返るためにフル回転している」ように感じられる。やがて「麦茶であろう(牛乳だろう)」という当初の思い込みが間違っていた理由に辿り着くことができれば、味覚はようやく働き始める。「紅茶だった(飲むヨーグルトだった)!」とわかる。

 この他にも、重そうな段ボールを慎重に持ち上げたらむちゃくちゃ軽かったときとか、冷めているはずの鍋を触ってしまったときとかに、身体感覚は瞬間的にフリーズする。
 これらの間はごくごく一瞬だ。わずか数秒、いや場合によっては1秒にだって満たないかもしれない。だがこのわずかな時間に身体は確実にざわついている。キュイーンと音を立てながらその内奥が蠢くのを、ヒラオはどうしても感じる。


 ぼくたちの身体感覚は何気ない日常の一コマでもかんたんに揺さぶられてしまう。このわずかな身体のざわめきがヒラオは気になって仕方がないのだ。こうなるはずだという思い込みや断定が裏切られたときのどうしようもない浮遊感は、どこか楽しい。

 いや正確には、「その瞬間」の真っ最中は楽しくなんかない。パニック状態に陥っているわけだから一刻も早く現状から脱するために必死で、心の中は焦りや不安でいっぱいになる。だが、「その瞬間」を通過していつもの世界を回復したあとは楽しくなる。ときに笑みがこぼれるほどに。たぶんこれは、予測が裏切られたことで迷い込む羽目になった異空間を、身体における非中枢的な回路で凌ぎ切ったことへの安堵がもたらす愉悦ではないか。そうヒラオは考える。不安定から安定を回復する際の身のこなしは、心地よさをもたらすものなのだと。


 ぼくたちは常日頃から「予測」のもとに動いている。「予測」をするからスムースに身体を使うことができる。たとえば込み合う駅や狭い歩道で人とすれ違うことも、信号のない横断歩道を渡ることも、近づく人や自動車の行方を予測するからこそできる。いつ崩れるかわからない吊り橋を渡るときに不安を覚えるのも予測しているからだ。
 また「これは麦茶だ」というような予測は味覚にさえ影響を及ぼす。いうなれば麦茶が口に入ることを想定し、既に口に入る前から麦茶を味わう準備をしている。いってみれば飲む前から既に味わい始めているといっていい。ここでは、感覚を開くために必要不可欠なものとして「予測」がある。
「予測」は、ぼくたちに安心を与えてくれる。
「予測」は、負担をかけることなく身体をスムースに使うためには欠かせない。

 だがしかし。
 ことはそう単純に運ばないのが身体の不思議なところである。前述したように、場合によっては「予測」という行為そのものがスムースな動きを妨げる。それは「予測」が外れたときで、そのときの身体はとてつもなく脆い。階段を一段数え間違うだけで体勢が崩れ、見間違うだけで茶色い液体の味がわからなくなる。誤った予測は「そんなはずがない」という焦燥を生み、その原因を探るべくひたすら過去を追い求めるネガティブ思考の隘路に迷い込んでしまう。
 
 外れるときもある、と見越した上でより正確に予測を立てること。もし外れたとしても、そのときに生じるなんともいえない浮遊感を楽しめばそれでいい。すべてが予測できる世界はなんとも面白みがないではないか。感覚が揺さぶられる機会を「遊び」と呼ぶのだ。
 なーんて、「つんのめる」たびにいつもヒラオはこう思うのである。

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平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

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