近くて遠いこの身体

第36回 「この身体」から

2015.05.06更新

 青々とした芝生の上を走り回るのはとても気持ちがよい。楕円球を小脇に抱えて走るならなおさらだ。自分めがけて突進してくる相手を躱しながらパスをつなぎ、トライを目指す。躱しきれないときは少しでも陣地を稼ぐべくぶつかりにいく。
 そう、言うまでもなくこれはラグビーである。
 今更ながらラグビーのオモシロさをひしひしと実感しているのはなぜかというと、つい先日、OB戦に出場したからである。ラグビーファンならお馴染みの東大阪市にある花園ラグビー場で行われた「昔なつかしのOB大会」に出たのだった。
 出場資格が40歳以上の、ええ歳こいたおっさんが集結するこの大会は今年で11回目を迎える。大阪府下の高校が集まってのこの大会は風の噂で耳にしていたものの、10年以上も続いているとは驚きである。青春時代に没頭したスポーツは齢を重ねてからもその熱は冷めやらないということだろうか。走ってぶつかってこけて、起き上がってはまた走ってぶつかる。ラグビーが他に類を見ないほど激しいスポーツにもかかわらず老いてもなおプレーする人がこんなにもいるのかと、最寄駅の近鉄東花園駅からスタジアムに向かう道すがら、そして正門前の広場にぞろぞろ集まってくるたくさんの人々を眺めながら感じていた。

 ただ内実はそうでもないらしい。年々出場者は減っているのだという。会社や家族から禁止令が出される人が後を絶たないのだそうだ。骨折などの大怪我をすれば仕事や生活が差し支えるのだから「バカなこと」はやめてほしいという理屈である。
 「バカなこと」というのはいささか失敬で、ヒラオは到底、許容できないのだけれども、未経験者の戯言だからまあ仕方がないとしよう。「バカなこと」を思い切りできるのもまた一つの才能なんだぞと、この場で吠えることで気持ちをなだめておこう。ふう。

 てなわけで、見かけには活況だが実は各高校で人を集めるのに苦労しているのだと、幹事を務めるOBがボソッと口にしておられた。
 そうした経緯もあって、今年晴れて40歳を迎えて出場資格を得たヒラオの年代に白羽の矢が立ったのである。なんとかかき集めてくれへんかと言われたものの、参加したのは結果的に3人だけ。来年はもっと出ようぞ、皆の衆。

 ここだけの話だが実はヒラオはこの大会への出場を楽しみにしていた。かつてのチームメイトとともに試合をすることが楽しくないわけがないと想像していたからだ。かつてできていたことができなくなったことの悲哀をともに分かち合えるし、酒とストレスで膨らんだ腹を揺らしながら走るアイツをからかいながら汗を流せる。もしかすると、まだまだオレも捨てたもんじゃないと自信を取り戻すこともあるかもしれない。
 後遺症を煩うヒラオは激しいコンタクトプレー、つまりぶつかることはできない。だけど、そこはまだまだ衰えていない(と思い込んでいる)走力でなんとかなるはずだ。そう楽観的に考えて、ただ楽しむことだけを望んで当日を迎えたのである。

 休日の朝8時に現地集合。ロッカールームで着替えを済ませていざグラウンドへ。透き通るような青空のもとで開会式が行われ、代表者による挨拶に一同が爆笑。
「今年の目標は救急車ゼロです。間違っても勝ちにいかないでください。当たりにいかないでください!」
 当たりにいく、というのは相手にぶつかるという意味だ。肉体と肉体が激しくぶつかり合うのがラグビーの醍醐味であって、ラグビーのアイデンティティともいえるコンタクトプレーを極力避けてくださいとのっけから釘を刺されたわけだ。それに「勝ちにいく」ことすらも禁止ときた。これは勝ち負けを内包するスポーツそのものの否定を意味する。
 これには笑わずにはいられない。
 吉本新喜劇ばりにズッコケたい気分になった。
 ただ、でも、いいなあと思った。
 こうしたスポーツのかたちがあるんだよなと、ヒラオの胸の内は清々しさでいっぱいになった。シビアな勝負が繰り広げられる競技スポーツとは正反対の、健康増進や気晴らしを目的としたレクリエーションスポーツや生涯スポーツはもちろん知っている。でも頭で理解するのと身体で実感するのとではぜんぜん違うわけで、なるほど「こんな感じ」が生涯スポーツとしてのラグビーのあり方なのかと妙に腑に落ちたのである。

 それに、「怪我なく楽しく行うことが目的」という方針をことさら新鮮に感じた事実からは、未だに自分が競技スポーツ的な価値観を有していることを再認識させられた。長らくの経験の中で練り上げた「勝利へのこだわり」や「少々の痛苦なら強引に乗り切ろうとする」といった競技スポーツ的な価値観は、わりとしつこく心の縁にこびりつくものなんですね。研究を重ねる中で、勝敗強弱や優勝劣敗を超えた世界へ足を踏み入れたつもりでいたのだが、どうやら甘かったようだ。身体の奥の奥のそのまた奥には、まだその残滓があった。

 この価値観から離れるにはまだまだ時間がかかるということなのだろうか。いや、たぶん「離れる」のはおそらく不可能だろうから、毒を撒き散らさないように優しい膜で包み込んで心のどこかにしまいこんでおかねばならないのだろう。この優しい膜は、きっと何気ない日常の一コマでの気づきが積み重なって作られていくのだと思う。このたび開会での挨拶にハッとさせられたように。

 この日、出場したのは2試合。前後半なしの10分1本を2試合だから計20分間のプレー。元日本代表としてのスピードをちょっとだけ見せつけもした。試合後にできた左膝の擦り傷も、油切れを起こしたような古傷の足首も、とても懐かしい痛みだった。ビュンビュンと吹き荒ぶ先輩風も、現役時と比べれば温帯低気圧並みに落ち着いたように感じられたのはヒラオも先輩もおっさんになったからに違いない。
 帰りの電車の中では疲れていたのか、いつの間にか眠っていた。20分ほど経ったころにふと目覚めると、車椅子に乗った男性が目に入る。とくに知り合いでもなくただ偶然に電車の中で居合わせただけだが、なぜだか彼が気になって寝ぼけ眼のままにその姿を眺めていた。
 そのときにふと思った。
 なるほど、「この身体」ってことか、と。

 当たり前だが人それぞれに身体は異なる。体型はもちろん違うし、得意とする動作や動きは100人いたら100通りある。それこそこの日のグラウンドには色とりどりの身体が走って転んでを繰り返していた。
 競技レベルが高いとは口が裂けても言えない。思わず吹き出してしまうような凡ミスだって続出する。そもそも激しいコンタクトがなく、勝利への貪欲さなど微塵も感じられない。それでも、みんながみんな懸命だった。怪我をしないようにするのはもちろん、古傷を悪化させないようにと最大限に注意をしながら走っている。誰のものでもない「この身体」を目一杯まで使おうと努めている。おそらく身体はそのときにもっとも輝きを放つ。その輝きを放つ個々の身体がときおり見事に調和して、これぞラグビーなプレーも随所に見られた。

 「この身体」を目一杯に使えば輝きを放つ。これはたとえ車椅子が必要な身体であっても言えるのではないだろうか。ラグビー元日本代表の「この身体」と彼の「この身体」に違いなどないとヒラオは思う。ここに違いが生まれるのは、私たちが住むこの生活世界を超越的な視点から見下ろすときだけである。「あの身体」と「あの身体」を比較するから違いが生まれてしまう。そんな違いに拘泥するのではなく、ただ「この身体」を掘り下げればいいのだと思う。自らの身体への意識としての「この身体」は誰にとっても平等にあるのだから。
 また来年も出場するとするか。

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平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

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