近くて遠いこの身体

第37回 緩めるために、固める

2015.06.02更新

 最近よく肩が凝る。アリナミンEXのテレビCM、柳葉敏郎さながらに肩から首の辺りがバキバキに固まって往生することがしばしばある。ひどいときはそれが腰にまで広がって、背中全体がまるで鉄板を背負っているかのごとく重くなるから厄介だ。
 うん? 今もまだ柳葉敏郎だったっけ?
 と、ネットで調べてみたら違った。西島秀俊だった。失礼。

 このCMでは、銅像のように固まった身体が卵の殻を破るように回復する様が描かれているが、今のヒラオにはあの感じがとてもよくわかる。銅像のように固まる感じは実体験、内側から殻を破る感じは願望として。あんなふうに身体が軽くなればどれだけうれしいことか。あれはおよそ肩凝りに悩む人たちを虜にするには十分な表象だろう。

 肩凝りがこんなにもつらいものだとは思わなかった。
 ただ身体論者のヒラオとしては身体の変調は大切な研究資料のひとつである。「なるほど、これがデスクワークのもたらす疲れか」と、鉄板を背負いながらもわりと冷静に体感を観察していたりもするから呑気である。

 肩凝りの体感は「痛み」というよりは「怠さ」あるいは「違和感」の方がそぐわしい。そしてこの怠さは、筋トレ後に襲う筋肉痛ともラグビーの練習後のそれとも異なる「鈍重さ」があって、それがなんともいえず不快だ。
 それから肩凝りは眼精疲労からもくるといわれるが、なるほど眼の奥と肩とがそこはかとなく連動している気配はたしかにある。
 凝りがひどいときは左右に首を傾ければ背骨が軋むけれど、その軋む音の響き方で体幹が肩や腰や背中の区別なくひとつでつながっていることが実感できる。身体に分節線を引くのはあくまでも頭なんだなあ。
 などと身体を内側から探って楽しんでいる。

 ま、でも、こんなふうに呑気でいられるのはこの肩凝りがさほど酷くないからであって、聞くところによれば頭痛を引き起こすほどの激しい凝りもあるそうで、そこまでひどくならないためには時間を見つけて継続的に運動を続けなければとは思う。
 いくら研究資料とはいえ怠くて重いのは勘弁願いたいから、同じ姿勢を取り続けることはできるだけ避けて、走ったりストレッチをしたりバランスボードに乗ったりしよう。身体を整えるにはやはり「動くこと」が一番である。

 それにしても身体は律儀だと思う。現役時には肩凝りなど縁遠かったヒラオが、引退後デスクワーク中心の生活を送るうちにいつしか悩まされるようになるのだから。あえて言うまでもないことだが、身体はどのような生活を送るかによってその内実がかたちづくられる。

 肩凝りを患うようになって改めて思うのは、身体は決して固めてはいけないということ。同じ姿勢を崩さずに長時間いることが身体にもたらす害悪は想像以上に大きい。
 デスクワークのみならずグラウンドでの指導でもそれを実感する。突っ立っての指導の方が、選手として練習をしていたときよりもよほど疲れる。心拍数は上がらないし筋肉も疲労しないが、練習後には妙な怠さが身体全体を襲う。
 ずっと立つ、あるいは座るといった不動の姿勢は「鈍重な怠さ」を伴う疲労感を生む。現役時のように競技力向上のための厳しいトレーニングは別として、適度に動いたときの方が明らかに疲れ方がさわやかだ。この感じは引退して10年近くが経っても同じである。

 そういえばサッカー日本代表の長友選手は雑誌のインタビューでこんなことを言っていた。「鍛えて固めるだけのトレーニングでは通用しない」と。
 固いものはより強い負荷がかかれば折れてしまう。だから自らが推奨している体幹トレーニングの目的は、固めるためではなく緩めるため、脱力するため。たとえば腹筋を固めても、首や顔や背中は緩んでなければいけないと。

 体幹トレーニングに取り組んだことのある人ならクエスチョンマークがつくような話だと思う。肘をついて身体を一直線にするなどの体幹トレは固めるために行うもの、そう勘違いしている人はヒラオの見立てではおそらくたくさんいる。
 でもそうじゃない。緩めるために、あえて固める。ここがポイントだ。

「首や背中などの体幹部を緩めるために腹筋を固める」というこの長友選手の感覚は、武術でいうところの臍下丹田を意識することに類似している。
「肚」に力が込められるようになれば、あらゆる動きが可能になるしなやかな身体になる。この感覚は実はヒラオの中にもあって、「肚の中に拳大の石のような塊があってそれを握り込むように力を入れる」というイメージを描いている。

 ちなみに長友選手は同じチームに所属する南米やアフリカ出身のサッカー選手について次のように語っている。彼らは固めることをとにかくいやがるらしく、ロッカールームでは音楽に合わせて踊るのだという。
 身体が固まればうまくパフォーマンスができないことを彼らは本能的にわかっていて、それを忌避するが故の行動ではないか、そう彼は分析している。
 さらにエトー選手やマイコン選手については、彼らが筋トレをやっている姿を一度も見たことがないらしい。言われてみれば筋トレは身体を固める行為だ。なるほど。

 緩めるために固める。どっちやねんと突っ込みたくなる気持ちがわからないでもないけれど、身体にまつわることというのはこうした矛盾がつきものである。トレーニングや健康法などで方法や理論が単純明快なものは、単純明快であるというそれだけでヒラオは眉唾ものだと判断するようにしているのは、余白のない方法や理論はなにか大切なことを捨象していると思うからだ。矛盾的な言明を理解するのは頭ではなく身体である。

 いずれにしても身体をよりよく使うには緩める、脱力することが必要だ。肩の力を抜いていこう、と肩凝りに悩まされるヒラオは自らを鼓舞するのである。

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平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

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