近くて遠いこの身体

第38回 得意なプレーは言葉になりにくい

2015.07.06更新

 現役を引退して間もなくのころ、中高生に教えていたことがある。スポーツNPOであるSCIX(Sports Community & Intelligence Complex)ラグビークラブでラグビー指導をしていた。視界の歪みを抱えてはいたものの首から下は元気そのものだったので、10代のフレッシュな選手たちとともに走り回っていたのが今となってはなつかしい。

 当時は自らやってみて手本を見せるという指導が中心であった。とはいえ得意なプレーとそうでないプレーがあって、すべてを体現できたわけではない。ラグビーほどに各ポジションの役割が異なるスポーツは他に類がなく、未経験のままに現役を終えるプレーがいくつもある。たとえばスクラムやラインアウトはこれまでに一度も経験したことがない。
 したがってスクラムの組み方やラインアウトのリフティング(味方選手を持ち上げる技術)は、手順はわかっているが実践はできない。立った状態で身を寄せ合い、数人で一つの塊になって前進を試みるモールというプレーもそうだ。練習では行うものの試合で経験したことは、ほぼない。そのため手本を見せることは難しい。というかできない。

 ヒラオの得意プレーはステップワークであった。スピードに緩急をつけ、角度を急激に変えることでディフェンスを翻弄する。相手の狙いの逆を突いた瞬間に急加速して一気に前進を図り、トライをするのが専売特許であった。

 相手の間合いに入るか入らないかのギリギリの地点で脱力するかのように一瞬のスキを作るのがコツ。その「間」に相手がつられた瞬間に加速すれば、面白いように抜ける。「なにを考えているのかわからない」状態を意図的に作ることによって相手の注意をこちらに引き寄せればよいのだ。
 この状態をわかりやすくいえば「不意にボーッとする」ということになろうか。自動車にたとえれば「ニュートラル」な状態に近いのかもしれない。

 当然のことながらこのプレーは思う存分に手本を示すことができた。
 練習の締めくくりにいつも試合形式のタッチフットボールを行うのがこのクラブの慣習であった。いってみればこれはタックルなしのラグビーであって、少々の年齢差や体格差があってもかまわず一緒にプレーできる。メンバーを二つのチームに分け、コーチ陣もそのどちらかに入ってプレーする。もちろん指導することが第一なので、引っ込み思案な中学生の近くにいってはパスを放り、独りよがりなプレーばかりを繰り返す高校生がいたらパスをするように促したが、その合間を見計らってはこれみよがしにステップを踏んで、走った。

 ステップワークで大切なポイントは「急停止」と「急加速」である。指導のために、そのあたりをかなり強調してオーバーアクション気味に行うことを心がけてはいたが、現役を辞めたばかりでまだ選手気分が抜け切れないヒラオはときに夢中になり、指導を忘れて大人気ないプレーをすることもあった。試合形式の練習だけに、そこには勝負がある。やるからには負けたくない。指導そっちのけでのめり込んでしまうのも、仕方がない。大の大人が勝負にこだわる姿を見るのも学びのひとつだ。
 ということにしておいてほしい。


 みるみる成長してゆく選手を目の当たりにする。これがなんと楽しいことか。このSCIX時代にヒラオは指導者としてのよろこびを知った。現役を続けられないもどかしさを幾分か和らげてくれたのも、まっすぐなまなざしでこちらをみつめる彼らだったように思う。

 だが、ここで壁にぶち当たったことも事実である。
 手本を見せるのは現役を辞めてすぐだからそれほど難しくはない。彼ら選手たちと一緒にプレーするだけでいわば事足りる。でもそれだけでは指導と呼べないのはいわずもがなで、指導者たるもの彼らがコツやカンをつかむためのきっかけをつくらなければならない。そのためには言葉での説明が不可欠となる。要諦を整理し、言葉で指し示す。とくに意識の置きどころを示すことはなにより大切で、工夫を凝らす余地はこの「意識の置きどころ」によって決まる。なにも意識せずにただ反復するだけでもそれなりに上達はするだろうが、いつか必ず頭打ちになる。考えながらプレーすることは極めて大切で、それを可能にするにはどこに意識を置くかで決まる。

 そうなのだ。ヒラオは先ほど述べたステップワークにおける「意識の置きどころ」を、どれほども説明できないこと気がつき、打ちのめされた。それこそ「スーッとためてグイッと足を踏み出す」程度の説明しかできなかった。説明しようとしてできない自分にもどかしくなって、「こうやってやんねん」とつい手本を見せる。そうしてなんとかその場は凌ぐ。悔しいから次の練習までになんとか説明してやろうとノートを作って整理しようとするものの、それでも納得いく言葉が十分には出てこない。

 今までどんなふうにしてステップを踏んでいたのだろうか...。
 考えに考えた。ずっと考え続けた。いつしかよくわからなくなった。
 

 そういえばタックルならわりと上手に説明できる。
 なんでやろか...。

 大学生のときに肩関節を脱臼したヒラオは、それ以降タックルがうまくできなくなった。タックルした際に右肩が外れたのだが、そのときのイメージが拭えず恐怖心がべったり張りついていた。ラグビーにおいてタックルはとても重要なプレーである。及び腰のタックルはチームからの信頼を一気に失ってしまう。このままでは選手として終わってしまうと、心にへばりついた恐怖心を克服するためにヒラオは様々な工夫を凝らした。

 脇が甘くなれば再脱臼する恐れがあるため、なるべく肘が開かないようにする。ヒットポイントがずれてもいけないので、相手をひきつけてから当たるためにできるかぎりインパクトの瞬間を手前に、自分の身体の近いところにする。ああでもない、こうでもないと意識の置きどころを探って練習を繰り返した。
 それから、怪我をしたのは右肩なのでなるべく左肩でタックルできる状況にすべく正対する相手ディフェンダーの右寄りに立つようにしたり、どうすればうまくタックルに入れるのかを常に考えていたことがありありと思い出される。

 この試行錯誤の道のりを振り返るだけで言葉が浮かぶのだ。それに自身が苦悩しているだけに、選手が感じているであろう恐怖にも想像が追いつく。感情移入しやすいことで当然、言葉も優しくなる。

 努力して身についたプレーは言葉になりやすい。これとは反対に、努力せずとも身についたプレーは言葉になりにくい。物心ついたころから、という言い回しは少し過剰にしても、ラグビー選手として始まったときにはすでに身についていたプレーがある。あくまでもこれは過去を振り返る意識の中で、ではあるが、ヒラオにはそれがステップワークだった。
 多かれ少なかれスポーツ経験者には「いきなりできたプレー」があるのではないか。
 これは身体能力に優れているからとか、先天的に身についていたとか、そういうことではない。反復練習を繰り返したのちに成就するのではなく、なにかの拍子でいきなりできてしまうことがあり得るという身体にまつわる現象を指し示しているに過ぎない。少しの練習でさっと身につくこともこの身体には起こりうる。

 おそらく天才肌といわれる人たちは、身につけたもののうち「いきなりできたプレー」の割合が多いのだと思う。だからそれらがうまく言葉にならない。「こうすればいいんだ」と身をもって示す以外に他者に伝える術がないから、地団駄を踏む。教えることの難しさを感じ、言葉で説明しようともがいてもなかなかそれが叶わない。場合によっては自信を失う。でもこれはただ術を知らないだけだから、あとになって概念や言葉を身につけて説明の仕方を学べばよいだけだ。
 と、半分以上自分に向かってヒラオは語りかける。


 自分にとって「いきなりできたプレー」であるステップワークを、少しずつではあるが言葉にできるようになってきたと、ヒラオは実感している。ようやくここまできたかという手応えを感じている反面、まだまだ物足りなさを感じているのも事実である。
 ただこの物足りなさ、つまりこの身にありありと感じているステップワークの身体実感をいまだ説明しきれていないという不充足感は、いつまでたっても消失しないだろうとは思う。かぎりなく近づくことはあったとしても、実感と過不足なく一致する説明はおそらく永遠に叶わない。感覚と言葉は相容れないからだ。このなんともいえない歯痒さが、コツやカンといった感覚を言葉にするときについてまわる独特の感懐だと思う。

 また、「いきなりできたプレー」を振り返り、言葉で説明しようとしたときには自らが崩れ去るような不安感に襲われる。身体動作のゲシュタルト崩壊である。ムカデが自分の足の動きを意識した途端にもつれて歩けなくなったというお話があるが、まさしくあれである。ステップワークの動きや感覚を分析する際に、ときどき感じた得体の知れない恐怖は忘れない。

 身体にめり込んだ技術をあえて言葉で説明するのはとても難解だ。それでもスポーツ指導者はそれに立ち向かっていかなければならないと思う。なぜなら、現役のときのようなプレーはやがてできなくなるからだ。老いてなお熟練してゆく職人とは違い、スポーツ選手は引退時期が早い。肉体の衰えとともにだんだん喪失してゆく数々のプレーは、その感覚を言葉にしておかなければ伝承されることなく虚空に消える。

 急いてはことを仕損じるとはいうけれど、焦らないことにはいつまでたっても言葉にならない。しようともしない。今こうしているあいだにもあのときの感覚は薄れていっている、かもしれない。技の伝承に言語化は避けて通れないのだと、ヒラオは自らを鼓舞する次第である。

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平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

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