近くて遠いこの身体

 『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)の著者で、元ラグビー日本代表の平尾剛さん。本書には世界と戦った現役時代の体験と、引退後には研究者として取り組む身体論の研究から、「身体の感覚を深め、言葉にすること」への経験知が綴られています。
 そして、本書を読んだ神奈川県立荏田高校の嘉登先生から、平尾さんへラブコールが! 晴れて2015年11月、荏田高校の全校生徒約1,200名を前に、平尾さんの講演が実現。
 その冒頭から、運動をしている人ならだれもが気になる平尾さんからの問いかけに、生徒たちは一気に引き込まれていったのでした。
 講演の模様を、全3回に分けてお伝えします。

番外編 身体を使うって面白い〜荏田高校の講演より(1)

2016.02.03更新


なんでアイツだけあんなに上手くなるんだろう

 荏田高校の皆さん、こんにちは。平尾剛です。
 僕は13歳から31歳まで、19年間ラグビーをしていました。でも今日は、ラグビーの話だけをしに来たわけではありません。長らく身体を使ってきたという意味では皆さんより先輩ですが、研究者になった今の自分から現役時代を振り返ってみると、「こういう考え方を10代のころに持っていたらよかったなあ」という想いがあります。遅まきながら引退してから気づいた「身体を使うことの面白さ」を、経験を交えながらお話ししたいと思います。

 荏田高校には体育科もあり、多くの学生が部活動をしていると伺いました。
 皆さん日々、部活動をしているなかで、いろんな疑問を感じたことはありせんか?
 たとえば、毎日同じ内容の練習をしているのに、上手い・下手の差がでてきますよね。僕は、ずっとこれを不思議に思っていました。みんな指導者の言うことを守ってるのに、なんでアイツだけあんなに上手くなるんだろう、と。ついつい「あれは生まれつき」「筋肉の付き方が違うから」と言って流してしまいがちですが、実はそれだけではないんですよね。

 では、何が違うか。
 結論から言ってしまうと、「感覚を深めていく方法を知っている」ということなんです。

 ここに野球のボールが二つあるとします。ふつうなら「同じボールが二つある」で終わると思うんですが、たとえばイチロー選手の場合は、「一つはちょっと湿っていて、もう一つは乾燥している。だから握った瞬間に、それに合うように投げ方を変えよう」と考えるんだそうです。つまりイチロー選手は、ボールの微細な、わずかな違いを感じ取る感覚を持っている。


感覚を深めていくことによって、上手くなる

 この「感覚を深める」という意識を持っているかどうかで、上達する度合いは変わっていきます。
 たとえば、ラグビーのタックルで考えてみましょう。体重80キロの人が、ただ単に100キロの相手にぶつかったら、もちろん100キロの人が勝つと思いがちですよね。でも必ずしもそうならないのがラグビーの面白いところです。「間合い」を詰めることで20キロくらいの差なら乗り越えられるから。

 80キロの人が100キロの人に当り負けないためにはどうすればよいか。物理学的にいうと、ぶつかる衝撃は「質量×速度」で割り出すことができます。体重を増減させることはできないけれど、スピードならなんとかなる。つまり相手に加速させないように、素早く相手の懐に入り込んで間合いを詰めればいい。こちらに向かって走ってくる相手選手に対して敢えて近づくわけですから、当然のように恐怖心が湧きます。失敗することだってあるし、そのときはそれなりに痛みが伴うけれども、うまくいけば100キロにだって勝てる。この間合いを掴むためには感覚が頼りになる。
 「今回は上手く入れたな」とか、「相手の身体に力が伝わってないなあ。次はそこに気をつけよう」とか、身体感覚を確かめながら練習していく。
これが、「感覚を深める」ということです。

 こうして感覚を一つひとつ深めていくことによってだんだん上手くなる。意識的かどうかはさておき、皆さんは部活動を通じてすでに実践していると思いますよ。
 感覚を深めるというのは「できなかったことができるようになる」ってことです。上手くなったときのなんともいえない充実感がたまらないからスポーツを続けている人って、多いと思うんです。極端に言えば、どんな練習メニューであったって「感覚を深める」という意識を持ってさえいれば、必ず上手くなります。


伝えることの難しさ

 先ほど嘉登先生から、将来、教師やスポーツ指導者になりたいと思っている生徒さんが多いと聞きました。なので、感覚を伝えることの難しさについて少し話したいと思います。

 たとえばバスケットでは、ドリブルシュートをするときのコツとして「ボールを置く」というものがありますよね。ボールを放り投げるのではなく、そっと置いてくるように手から放す。そうするとうまくできる。この絶妙な感覚は、おそらく僕なんかよりもバスケット部の皆さんのほうが優れていると思います。

 けれど、このコツを実際に初心者に教えるとなったらどうでしょう。水泳だとクロールの「水を掴むように」とか、バレーボールだとオーバーハンドパスのときの指先の微妙なタッチとか、サッカーだったらパスをトラップするときの力の抜き加減とか、いろいろなコツがあると思いますけれど、うまく伝えられる自信はありますか? 難しくないですか? 指導者にならずとも、たとえば後輩に教えるときだって同じで、伝えるのに苦労した経験を持っている人は多いんじゃないかな。

 ドリブルシュートがうまくできない人に、リングの上にボールを「置くような感じ」と伝えても、できない人からすればよくわからない。「置くって言ったってどうすればいいねん、実際には投げてるようにしかみえへんやんか」と思うわけです。「スーッて置いたらいいねん」「スーッてどうやねん、それができへんから聞いてんねん」となる(笑)。


言葉の重要性に気がついた

 僕は現役のとき、ステップが得意でした。ステップというのは、タックルしにくる相手を躱すプレーです。僕のなかには、間合いは「これくらい」、スピードを上げるタイミングは「ここ」、力を入れすぎず「スーッ」と行けば抜ける、というのが感覚としてあるんですね。たとえ論理的に説明できなくとも確固たる実感がある。でもそれを感じるままに話をしたところで相手には伝わりません。僕にとっては、「スーッと走ってパッとステップを踏めば」躱すことができる。でも、これじゃ明らかに言葉足らずなんです。
 引退したあと、いざ教える立場になってもっとも教えるのに苦労したのがこのプレーでした。得意とするプレーなのにうまく教えられないのはなかなかつらいです。当初は指導者に向いていないのではないかとさえ思いましたから。

 つまり、言葉が足りない。圧倒的に足りない。ここで初めて「言葉」というものの重要性に突き当たったんです。
 間合いってつまりは相手との距離だから、最初はだいたいこの距離でステップを踏んでみる。距離にして3mくらい。その次は、一歩だけ手前で。次は、逆に半歩近づいてみる。距離感がなんとなく掴めてきたら、次は方向転換の仕方。そのときに意識するのは腰の向き。人は股関節の向きに逆らってまっすぐ走ることができないから、まずは腰の向きを進行方向に向けなければいけない。ときには腰の向きと顔の向きを逆にすることで相手を騙すこともできる。トップスピードで走って行って急ブレーキをかけるというのも有効。
 というふうにだんだんと言葉にしてゆく。

 これをもとにして指導すると、反応が全然違うんです。おそらくこれは言葉による説明をとっかかりにして、選手自身に工夫する余地が生まれたからですね。敏捷性も走る速さも筋力が一人一人違うから、当然のように最適解はありません。だから自分にとっての適切な距離感は練習を繰り返しながら自身でつかむしかない。でもそのためには言葉での説明がいる。工夫するための材料がいる。話を聞いていて、「なんとなくわかる」ような気になれば挑戦してみようと思うでしょう。

 たぶん、こんなふうに感覚って受け渡されていくんです。
 これは僕が引退してからずっと考え続けているテーマでもあります。


(つづきます)

   

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平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

近くて遠いこの身体

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