近くて遠いこの身体

第46回 感覚の受け渡し

2016.03.21更新

 スポーツの世界では「名選手、名監督にあらず」とまことしやかに囁かれている。選手として卓越した実績を残した選手が必ずしもよき指導者になるわけではない。競技力と指導力は別もので、むしろ相反する部分さえある。この考えはスポーツ界の中だけにとどまらず広く人口に膾炙していると思われる。
 長らくラグビー選手だったヒラオは、現役生活を通じてこの考えの正当性を肌で感じてきた。輝かしい実績を残したコーチの指導には困惑させられることも多く、なかには目から鱗が落ちたこともなくはないが、大概は煙に巻かれたように感じたものだ。

 ところどころではなんとなくわかる。
 でも総じればなにが言いたいのかはよくわからない。
 ときに皆目見当がつかないこともある。
 とくに「オレが現役だったころはな...」という枕詞で始まる長々とした自慢話には辟易とした。温故知新の大切さは重々承知しているが、酒の席ではあるまいし同じ話を何度も聞かされてはたまったものじゃない。だからといってその方の選手実績を軽んじるわけではないのだが、こよなく上達を望む選手の立場からすればそこからどのような知見を汲み出せるのかが知りたいのである。でもそれがよく掴めない。素材のままではなくいくらか調理した上で差し出してはくれないものか。「また始まった...」と右から左に言葉を聞き流すしかなかったあの時間は、ヒラオには苦痛でしかなかった。

 おっと、つい愚痴っぽくなってしまった。失礼。
 とにかくわかりにくかった。もう少しわかりやすく説明してくれたらなあと、ずっと願っていた。現役生活19年を振り返れば総じてそんなだったから、選手と指導者の資質には大きな隔たりがある、競技力と指導力は水と油のように混じり合うことはないものなのだと、ナイーブに信じ込んでいたのである。


 現役時代には信じてやまなかった「名選手、名監督にあらず」という信憑だが、引退して10年が経とうとする今ごろになって訝しむようになった。よくよく考えればやはりこれは間違っているのではないかとさえ思い始めている。どの世界でもその道に長けた人は後進を育てる役割を担っている。武道でも能楽でも宮大工の世界でも優れた師匠の元で弟子は育つものだし、音楽や絵画、パティシエやシェフなど特殊技術がものをいうすべての世界でこれは常識だ。なぜスポーツ界でだけこのような信憑が囁かれているのか、どう考えても不可解なのだ。

 てなわけで「名選手、名監督にあらず」すなわち競技力と指導力の関係性について、今回は掘り下げて考えてみたい。
 座学で知識を学ぶことと比較すれば明らかだが、スポーツは技術を身につけなければならない。頭で「わかる」のではなく、からだで「できる」のがゴールである。だから指導者は、選手が「できるようになる」までを面倒見なければならない。
 そこでは「感覚の受け渡し」が不可欠となる。大仰にいえば「わざの伝承」、平たくいえば「コツを伝える」になる。これがなかなか困難を極めるのだ。たとえばラグビーにおけるステップには「スピードの緩急」「急激な方向転換」、そして「間合い」が大切なのだが、感覚を伴うこれらの技術指導は一筋縄にはいかない。緩急のつけ方、方向転換をするタイミングといった感覚(コツ)は、そのすべてを過不足なく言葉で象ることは難しい。

 ヒラオの経験則では「スーッと相手に近づき、相手の出方を見極めた上でパッと方向を切り替える」というように、擬態語および擬音語(オノマトペ)がどうしても混ざる。「ビュッと走る」と「スーッと走る」の違いは、その語感から誰もがなんとなく想像できるはずで、「パラパラ降る雨」と「ザアザア降る雨」、ドアを叩く様子を形容する際に「トントン」と「ドンドン」を用いた場合では、受ける印象は明らかに異なる。その語感が身体を揺さぶるようにして感覚を芽生えさせるのがオノマトペの効用だが、これを省いた指導がヒラオにはできないでいる。
 これに続いて「『膝かっくん』をされたときのように倒れこむ」というような譬えも、つい口をつく。「膝かっくん」という比喩に託しているのは武術的な身体運用としての「膝の抜き」なのだが、この難解な感覚を伝えるための適切な語彙をヒラオは今のところ持ち合わせていない。過去に一度でも経験したことのある感覚を思い出させることでコツをつかむきっかけになるのではないかと、この比喩を好んで用いているが、うまく伝わっているかどうかは教えられた本人だけが知っている。伝わっているのかどうかは気になってはいるものの、逐一確認することはしない。動きの変化を観察するなかでこちらが気づくしかない。

 そしてときには「僕の経験だと、すきま風が吹いてくる方向に向かえば相手を躱せた」などと、ヒラオだけに固有の感覚を口にすることもある。それを聞いた学生および選手は決まって困惑した表情を浮かべるが、それでもよいとヒラオは思っている。そんな感覚ってあるんだと頭の片隅においておくことで、将来的にそれと似たような感覚を手にすることがあるかもしれないからだ。これはあくまでも直観にしか過ぎないが、こういうことは往々にしてある。

 こうした経験から、感覚を受け渡すための指導言語は必ずしも論理的でなくてもよいのだとヒラオは考えている。ただ論理的でないことに安住するのとは違う。大きく違う。ここを見過ごしては大間違いを引き起こす。
 論理的に伝えようと努めるなかでどうしても説明しきれない部分を、オノマトペや喩えや経験則で補うのだ。論理的な語法も指導言語の一つの形態であって、それを含めた様々な言い回しを駆使するのがスポーツ指導の要諦だろう。伝えきれないという不可能性を抱えたままに、身をよじりながら伝えようとする構えが指導者には求められるのだと思う。

 繰り返すことになるが、スポーツ指導では指導者と選手のあいだでの共感、すなわち「感覚の受け渡し」が目指される。頭ではなく身体で理解することが目的なのだ。これには個人差もあり、それなりにまとまった時間が要る。飲み込みの早い人は直ちに実践できても、そうでない人は試行錯誤する時間が必要なのだ。言葉の意味を考え、それが指し示すものを想像し、それらをもとに練習や稽古を積み重ねた先に初めて感覚が芽生える。個人差はあるものの、コツが萌芽するにはそれなりに時間がかかるのだ。
 先達の立ち居振る舞いを見つめ、身をよじりながら訥々と語られた言葉から選手は学ぶわけで、それにかかる時間の射程が他の分野に比べてスポーツは極端に短い。たとえば能楽では60歳でようやく一人前として認められるという。能楽特有の身体感覚を醸成するための時間の射程は、極めて長い。だがスポーツはそうではない。競技毎の違いを考慮しても、おおよそ人生の半ばまでに現役生活は終わる。となればコツが萌芽するまで悠長に構えている暇などない。短い時間のなかで競技力を最大限まで向上させなくてはならない。そのためにはコツを促成栽培しなければならない。
 中学、高校の部活動だと3年、大学だと4年でレギュラーになる、あるいは大会で優勝するなどの結果を残さなければならない。しかもスポーツに取り組む生徒や学生は、心身ともに成長途上にある。言葉を理解する力もまだまだ未熟だ。こうした環境だと、単なる反復練習や根性論による指導、場合によっては暴力的な言動で選手を追い込む指導のほうが効率がよい。選手が指導者の言葉を吟味しつつ創意工夫を試み、自らの力で身体知を身につけるまで、呑気に構えてはいられないのである。

 つまりスポーツ界には数十年に亘って感覚を醸成するという習慣がない。スポーツ経験者の大半は過酷な環境に追い込まれるなかで短期的にコツを身につけてきた。言葉を吟味し、自らの身体と対話してきたわけではない。(主観的には)自動的に身についたコツを大半の指導者がうまく言葉で説明できないのは、だから当然である。このことが「名選手、名監督にあらず」という信憑を生み出した主因ではないか。 
 競技経験者としての指導者は、自らの身体に潜在する豊富な身体感覚を言葉にする努力を怠ってはいけない。うまく言語化できないもどかしさを抱えながら、それでも言葉で伝える努力を続けることが指導者としての責務だと思う。かつては「できた」ことを誰かに「わかる」ように語れてこその指導者だろう。つい怒鳴り散らしてしまうのは、この努力を怠った自らへの苛立ちに過ぎない。

 かくいうヒラオもたまに苛立ちを覚える。「なんでわからへんねん」と心が乱れる。そのたびにスポーツ指導の難解さが突きつけられてシュンとなる。でもここでのんびり時間をかけようと頭を切り替えるようにしている。学生スポーツは、短期間での勝利を義務づけられたプロスポーツではないのだから、腰を据えてじっくり時間をかければいいのだと。
 還暦になるころにはいっぱしの指導ができるようになればいいかと、呑気に構えることにしたヒラオである。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

近くて遠いこの身体

バックナンバー