近くて遠いこの身体

第48回 左肘の仕業だったのか...。

2016.05.09更新

 新緑の季節、心地よい陽射しを肌で感じながらヒラオはひとつの気づきに心を躍らせていた。「なるほど、ここだったのか」。身につけたはずの一つの動作がいとも簡単に瓦解してゆく原因が、確かな手応えとともに腑に落ちたからである。

 なにをするにしてもだいたいが好不調に波のあるヒラオは、滑り出しは順調、後半は気が抜けて尻すぼみがお決まりのパターンである。とくにゴルフとなればそれは歴然としていて、あるときを境に突如としてボールが打てなくなるときがおとずれる。クラブヘッドがうまくボールを捉えられず、「ペチ」という鈍い音を発して芝の表面を滑るように転がってゆく。あるいは右前方に急カーブを描きながらOBゾーンへと消えてゆく。その行方を恨めしく見つめながら、いつも通りクラブを振っているのになぜこうなるのかと激しく動揺し、原因に皆目見当がつかないものだから苛立ちを通り越して怒りが湧いてくる。

 ここでその日は万事休す。冷静さを失ったゴルフは悲惨だ。スコアメイクどころの騒ぎではなくなる。一打ごとに打つのが怖くなり、楽しいはずのゴルフが一転して苦行へと成り下がる。一緒に回ったメンバーに気遣いを強いたことがさらに追い討ちをかけて、ツライ帰路になる。「もうしばらくやめとこかな」と弱気になって、自分にはセンスがないのだとレッテルを貼りそうにもなる。
 こうなるのも原因が不明だからだ。
 なぜ当たらない?なぜ右に出る?「ペチ」ってなんやねん!
 どう修正したらいいのかわからないから厄介なのだった。それがこの度のラウンドで判明したのである。心が躍らないわけがないではないか。


 と、いきなりまくし立てて申し訳ない。うれしさのあまり勢いで書き綴ってしまった。改めていうまでもないだろうがゴルフの話である。ここ一年ほど悩みに悩んできた「原因不明の突然の乱調」を克服できる糸口がみつかったよろこびに、ヒラオは打ち震えている。せっかくだから今日はそれについて書いてみたい。ゴルフに馴染みがない人もぜひ最後まで読んでみてほしい。やっと手に入れたコツをいかにして言葉にするのか、その手ほどきから某かの発見が得られることを望みつつ、筆を進めよう。


 端的にいえばそれは「左腕」にあった。もう少し詳しくいうと「左肘」、それが緩んでいた。インパクトの瞬間に緩んで、あらぬ方向にボールが飛んでいたのである。平たくいえば「手打ち」になっていたってことだ。
 スイングは文字通り「振る」という意味で、「打つ」とか「叩く」ではなく、身体全体を回転させつつクラブを振り抜くことができれば方向性は安定する。右利きのヒラオは、右の股関節を折りたたみ、身体をねじりながらテイクバック(クラブの振り上げ)に入る。そのねじり戻しを利用してボールを捉え、そのままフォロースルー(ボールに当たったあとの振り抜き)。この一連の動作を滞りなく行うこと、つまり身体全体をスムースに回転させることが上手く打つためのポイントだ。「手打ち」は読んで字の如く手だけで打っている状態のことを指し示している。

 手というか「腕」は、まあ、往々にして自己主張の強い部位である。クラブを握るという具体的な仕事を担い、身体と道具としてのクラブの接点という重大な役目を負う「腕」は、下半身や背中などの部位と比べればとてもフレキシブルだ。細かな作業にも慣れており、握り方を工夫したり、力を入れたり抜いたりと意識もしやすい。スイングがどこかしっくりこないときには、つい「腕」でなんとか解決しようとしてしまう。制御しやすいからこそつい過剰になる。

 ただこれはスランプに陥る以前からわかっていたことで、だから「腕」には自然にクラブを握ることだけを任せて、いざスイングする際には下半身や背中に意識を置くことを心がけていた。
 とにかく全身を使って、振ろう。大きく、振ろうと。
 この心がけが功を奏してか、当初は驚くほどスイングが安定した。ハーフで43をマークしたのも、ちょうどこのこのころである。だが、これが一ラウンド続かない。あるとき突然、崩れるのだ。とくにラウンドも後半になってから。

 ちなみに43のときは後半で60を叩いた。「ペチ」が出始めたらもう修正不能なのである。
 それにしても後半になって突如として崩れるのはなぜか。ゆっくり振り返って考えてみたところ、下半身の疲れからくるのではないかという結論に行き着いた。上体のねじり上げとねじり戻し、それらを支える下半身はホールを重ねるにつれてだんだん疲れていく。斜面を下りたり上ったり、足場の悪いバンカーショット、歩く距離が長くなるにつれて、知らず知らずのうちに疲労が蓄積される。ごくわずかに違和感や倦怠感として自覚されるこの疲労のせいで、スタート当初ほどに大きなスイングができなくなるに違いない、と。
 無意識的にそれを補おうとして「腕」を使い始める。「腕」が自己主張し始めるのである。あくまでも無意識的にではあるが、それがヒラオの場合は「左肘が緩む」という現象として表出した。なにかの拍子でそれに気がつき、いつもより「左肘を突っ張るようにして」打ってみたら、なんのことはない。修正できたのである。

 左腕をまるでつっかえ棒のようにしてスイングしたときに感じたのは、その窮屈さを解消すべく体幹部分がうまく回転するようになったということ。左腕をあえて使えなくすることによって疲労を溜めて鈍くなった下半身がキレを取り戻した。さらに下半身の疲れをかばうかのように今度は腹や背中などの部位が働き始めた。左腕を起点として、下半身から体幹部の連携が見事に回復したのだ。ショットの瞬間、足裏から頭の先までを一筋のなにかが通り抜けるような体感が襲った。なにかがこの身に降りてきた、というのはやや言い過ぎかもしれないが、まさにコツをつかんだ瞬間だった。
 特定の部位だけに頼ることなく全身を協調させて使うことで身体はそのパフォーマンスを最大化する。コツをつかんだときの快感ほど筆舌に尽くしがたいものはない。あえて使いにくいように腕を意識することで結果的に全身が協調する、というのが今回の気づきであった。


 左肘を突っ張るようにする。しばらくはこのコツを大事にしながらゴルフを楽しむことができるだろう。だが身体というのは複雑で、いずれまたどこかでうまく立ちゆかない情況がおとずれる。なぜなら身体は絶えず変化を繰り返しながら、生きているからだ。身長は変わらないものの体重は日々刻々と変化する。体内の水分量も変る。血流の様態も異なる(酒を飲んだ翌日の血流など想像したくもない)。凝っている筋肉は十分に機能してくれないし、そうなれば各部位の連携にも影響を及ぼすだろう。それこそ分子レベルでみれば一秒たりとも同じ状態にはないのだ。
 だからこそその都度、その日の状態に合わせてアジャストしなければならない。日々おこなう反復練習は、その状態を確かめながら行う限りにおいてその効果を発揮する。毎日同じようにスイングすることができるのは、身体運用という面から考えれば筋肉系や神経系や精神などを総動員させた微調整の賜物といえる。
 左肘の調整だけでいつまでもつのかはわからない。だが、身体の使い方が以前よりもバージョンアップしたことだけは確かだ。確実に以前よりも精密に身体を使えるようになった。この実感こそがゴルフの、スポーツのオモシロさだ。

 意識の宛先を下半身にしたり、また腕に戻したり。あえて窮屈な状態を作ることでそれ以外の部位が活性化したりと、まことに身体は複雑怪奇である。意識するポイントをどの部位におけばいいのか、それを探り当てるのもまた練習や稽古の目的で、こうして身体感覚で遊べればおそらく一生楽しめる。
 次はいつラウンドしようかと、ヒラオは気分上々である。

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平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

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