近くて遠いこの身体

第49回 スポーツに健やかさを

2016.06.14更新

 スポーツには健康のイメージがつきまとう。スポーツが健康を維持、増進するための一つの手段であることに私たちはなんとなく合意している。「スポーツ」と「健康」は、そのほとんどが折り重なるものとして捉えている人が多いようだが、果たして本当にそうだろうかとヒラオは疑念を抱いている。というのも、自らのスポーツ経験を振り返れば一概にそうとは言い切れないからである。
 13歳から始めて31歳で引退するまで、ヒラオは人生の過半をラグビーに費やしてきた。その前半は中学、高校、大学でクラブ活動として取り組み、後半は社会人として仕事をする傍らで競技に没頭した。引退するまでの最後の四年間は契約選手として、ラグビーそのものを仕事とする「半ばプロ」だったのだが、これらスポーツ実践の形態にかかわらずそのすべてのあいだでたくさんの怪我を経験した。入院も数回、全身麻酔を必要とする手術だって受けた。

 ヒラオの身体には数本のボルトと一枚のプレートが未だに埋め込まれたままだ。左手首と右腕には骨折した箇所をつなぎとめるため、右肩には脱臼癖を解消するために、身体の奥深くにそれぞれ静かに埋まっている。講演や講義などでたまにこの話をすると、決まって「空港での身体検査で引っかからないのですか」と訊かれるのだが、これまで一度もそういうことはない。その気遣いに感謝しつつも心配には及ばないことを、先にここで報告しておく。

 他に「埋め込んだままで大丈夫なんですか」との質問もよく受けるが、執刀してくれた医者によれば「素材がチタンなので人体にさほど影響はないから取り出さなくてもよい」そうである。身体に再びメスを入れるのはやはり嫌なので、医者の言葉を信じてそのままにしている。
 医者が言うのだから間違いない、とは思うのだが、実感としては金属が埋め込まれた身体というのはなんとなく気持ちが悪い。「金属だから冷えやすいのではないか」と単純に考えて、実際に雪山に行ったときには六本ものボルトが埋まった右腕がなんとなく冷たく感じられもする。気休めかもしれないと思いつつ、その感覚に従ってカイロを貼り付けるなどのケアはしている。

 今も引きずる症状といえば「脳震盪の後遺症による視界の歪み」がもっとも顕著で、体調如何によっては容赦なく表出してくるから厄介だ。読み書き中心のデスクワークなど普段の生活を送るなかではさほど気にならないにしても、たとえばラグビー指導などで首を動かしながら四方八方に視線を動かすと視線がじわーっとずれ始めて、人物やボールが二重に見え出す。ひどいときは見上げた月がくっきり二つに見えるときもあり、胃のあたりが気持ち悪くなるから正直なところちょいとしんどい。まるで村上春樹の小説『1Q84』の世界だよなと、自らの状況を客観視して楽しめるようになったのはごく最近のことだ。
 こんなときはどうするか。
 なにも見ないようにしばらく目を閉じたあと、瞬きを数回繰り返す。それから目の周辺の筋肉を刺激するように、眼球を右回り、左回りに動かす。するとずれ方が落ち着いてきて、どうにかこうにかその場は凌げる。十年くらい格闘するうちに、どうにかこうにか折り合う方法を見つけたわけである。
 長い道のりだった。
 こうしてあらためて言葉にしてみると自分がどれだけ不健康であるかがよくわかる。スポーツが健康を増進するなんてどこのどいつが言ってやがると、ヒラオが息巻く気持ちを少しでもわかっていただけたのなら幸いである。苦しみや痛みは、独りで抱え込むよりも誰かに受け止めてもらうだけで軽くなるもの。たとえそれが気休めにすぎないとしても。


 確かにラグビーを、あるいはスポーツをしていてもあまり怪我をしない人もいる。全員が全員、ヒラオのようにたくさんの怪我を経験するわけではない。この点からいえばヒラオは誠に身体の使い方が下手くそだったと言わざるをえない。目一杯に、いつのときも120%の力を出して無理をしすぎた結果が、こうした現状を招いてしまったのだろうと思う。
 全治3週間と診断されても大事な試合が間近に控えていればテーピングをして出場したし、ある試合では1試合で3度も脳震盪をしながらノーサイドの笛が鳴るまで出場し続けたこともある。そういえば左手薬指を骨折しながら痛み止めの座薬を入れて出場したこともあったっけな。そもそもレギュラーになりたい、あるいは試合に出たいと切に願う選手ならば少々の怪我だとチームに隠すもので、痛くないと嘘をつき、我慢しながらプレーすることもしょっちゅうだった。

 それに、スポーツ界には痛みを押してプレーすることが美徳だとされる風潮もある。無理をすればできなくもないのに大事をとって休めば、「心が弱い」とか「心の靭帯を損傷している」と後ろ指をさされる。周囲の冷ややかな目が突き刺さるあの空気は、とてもじゃないが耐えきれない。今から思えばこうした無言の圧力を意に介さず自らの身体感覚を重んじるのが真のアスリートだといえるのだが、当時はそれがわからなかった。否、薄々感じていながらも実際に行動するまでには至らなかったというのが正直なところだ。
 休むという決断を下せない自らの意志の弱さを認めたくないから、無茶をする自分を肯定する。痛いのに頑張っている自分に陶酔してたあのころは、アスリート未満でケツの青いガキンチョだった。そう、若かった。

 他の選手と比べてヒラオがとりわけ怪我の多い選手だったことは認めるとして、ただ、一度も怪我をしたことのない選手はどのスポーツにおいてもおそらくいないはずだ。なんらかの怪我を抱えながら選手はパフォーマンスの発揮に努めるもので、怪我をすれば医者の診断を受け、一日でも早く復帰するためにリハビリに取り組む。場合によっては手術も厭わない。ヒラオのように引退後になんらかの後遺症と付き合いながら日々の生活を送っている人もそれなりにいるだろう。低気圧の接近に伴ってかつて怪我した首筋が疼くから、「オレは天気予報ができるんや」と豪語する先輩や後輩がヒラオの周りには何人かいる。
 これがおおよそスポーツ選手のスタンダードだといっていい。スポーツ経験者には軽重の差はあれども怪我はつきもので、裏を返せば怪我をする覚悟を厭わずパフォーマンスの向上に努めなければならないのが、「競技スポーツ」の本質である。ここを無視してナイーブにスポーツは健康に資すると考えることは、ヒラオにはとても危険だと思われる。


 同じようなことを元アテネ五輪銅メダリストの元水泳選手である森田智巳氏が語っている。五輪を目指す選手を「健康と真逆の人間」と断言し、「スポーツが健康にいいなどという風潮が怖い。毎日、命を削ってけがをするかどうかぎりぎりのラインを攻めて勝負している。スポーツと言ってひとくくりにされては困る」と。

 対戦相手やチーム内での競争相手に勝つためにはパフォーマンスの向上が不可欠で、そのためには練習で余力を残してなどいられない。全力を出し切るからこそ上達への道が開かれるわけだ。さらにいえば「短期間」でそれを成し遂げたければ全力以上の、生理的限界を超えるギリギリまで追い込こまねばならない。アスリートがよく口にする「身体をいじめ抜く」という言葉遣いからもわかるとおり、自らを鞭で打つようにして練習に取り組む必要がある。場合によっては非常事態でこそ発揮される「火事場の馬鹿力」を意図的に引き出さねばならず、そのためには追い込みをかけるのが不可欠だ。
「命を削る」「身体をいじめる」という激烈な言葉遣いがつきまとうのがスポーツである。ここにカラダを害する危険が潜んでいる。


 これはトップアスリートによる競技スポーツでの論理だろう。部活動やスポーツ少年団ではそこまでは求めないし、そもそも競技力の向上ではなく児童や生徒の教育が目的ではないか。こう反論する方がおられるかもしれないが、果たして本当にそうだろうか。
 たとえば「甲子園」をはじめとする各スポーツの全国高校大会は、建前では教育的スポーツの一環として行われている。観戦者は高校生が懸命にプレーする姿に感動を覚えるというが、生徒の立場からすれば先に述べた競技スポーツに近い活動を余儀なくされているのではなかろうか。
 たくさんの部員を抱えるチームでは、一部のレギュラーを除くほとんどの生徒は試合に出ることが叶わない。畢竟チーム内のレギュラー争いは苛烈なものとなる。レギュラー争いから脱落しないようにと怪我を隠し、痛みを押してのプレーを美徳とする風潮からかんたんには練習を休めない。休日が年間を通して盆と正月のみという学校だってある。心身の発達が成長途上にある十代での「無茶」は、そのまま身体が損なわれることを意味する。 
 全国大会出場の常連校など、なによりもまずは勝利が求められるチームの指導者は、生徒一人一人の教育への配慮よりもチームの勝利を優先せざるをえない状況におかれている。ここに「競技スポーツの論理」が入り込む。生徒一人一人の成長を待つのではなく、短期間でチーム力を上げることに重きが置かれると、プロ選手ほどの目的意識を持っていない生徒を焚きつけるような厳しい指導が為されやすい。ときに怒号が飛び交うほどの外圧的指導にさらされ続けた生徒は、やがて自らの頭で考えることを諦めるようになり、「指示待ち」を内面化するようになる。

 これのどこが教育的だというのだろう。むしろ競技スポーツの側面が浮き彫りになってやしないだろうか。
 森田氏のように「毎日、命を削ってけがをするかどうかぎりぎりのラインを攻めて勝負している」ほどではないにしても、仲間意識が強く競争心の強い十代の子供たちにとってみれば「主観的には命がけ」なはずだ。仲間の期待を裏切ることを恐れ、後ろ指を指されることを全力で忌避しようとする彼らは、どうしても競技的な取り込み方をせざるをえない。
 表向きは教育を目的としながら、その実は競技的な要素を大いに取り込んでいるのが多くの部活動の実態で、十代の子供たちが心身を疲弊させるという点においてとてもじゃないが健康に資するとはいえない。


 スポーツが内包する優勝劣敗の思想は本質的に心身の健全な発達とは相容れないものである。「水と油」といってもいいかもしれない。ここを踏まえなければ真の意味での健康的なスポーツは構築できないだろう。だから手放しでスポーツが健康に資すると断言するのは間違っている。
 そもそもスポーツは心身に悪いのである。
 ただ、だからといってスポーツを否定するのではないことは強調しておきたい。行い方次第でそれは達成できる。優勝劣敗がもたらす害毒を自覚しつつ取り組む限りにおいて、健康や教育を目的としたスポーツは構築できるはずだ。それにはまずスポーツを腑分けする必要がある。「職業としてのプロスポーツ」と、「部活動など教育としてのスポーツあるいは健康的なスポーツ」を明確に切り分けなければならない。
 同じスポーツでありながら両者は別物であるという見方を、われわれの常識に登録すること。ここから始めなければ、健康や教育を目的としたスポーツなどありえるわけがない。スポーツは多様だ。すべてをこの一言でくくってしまえば、肝心なことが覆い隠されてしまうとヒラオは思う。スポーツに「健やかさ」を取り戻したいと切に願う、今日この頃である。
 

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

近くて遠いこの身体

バックナンバー