近くて遠いこの身体

第54回 ラグビーに求められる声

2016.12.12更新

 ここんところ「声」について書き進めている。
 声そのものの手触りについて、竹内敏晴氏を引きながら書いたのが前々回。私たちが日常的に行っている「声を出す」「聞き取る」という営み、その身体実感を具に観察すれば声は単なる音声ではなく、デシベル数では決して説明できない「物質性」が備わっているのではないか。鼓膜を震わせているはずなのに聞こえない、聞こうともせず、聞きたくもないのになぜか耳を突く。こんなことがなぜ起こるのかについて考えてみたのだった。

 前回はスポーツ場面での声を、やや急ぎ足で思いつくままに各種目を概観してみた。たとえばゴルフやテニスだと、声を出すことは単なる感情の表出だけにとどまらず、相手を威圧する、自分を鼓舞する場合もある。スポーツを楽しみ、高いパフォーマンスを発揮するためには発声がつきものとはいえ、その内実は大きく異なることをヒラオは改めて認識したのだった。
 それを受けて今回はラグビーでの声を考察してみたい。前回の連載で告知していた通り、ヒラオの専門競技であるラグビーで求められる声について、今回は書く。

 結論から言ってしまえば、ラグビーに不可欠なのは「呼びかける声」である。パスをつなぐにしろ、ディフェンスをするにしろ、複数人での共同プレーが連続することで成り立つラグビーでは、味方同士で掛け合う声は不可欠だ。

 ヒラオには忘れられない出来事がある。
 あれは神戸製鋼ラグビー部に入って間もなくのころだった。
 当時の神戸製鋼は人気と実力を兼ね備えるトップチームだった。元木由記雄、増保輝則、大畑大介など日本を代表する選手を擁し、神戸製鋼スタイルの元に彼らはその能力を如何なく発揮していた。すでにヒラオも日本代表選手だったのだが、まだ選ばれて間もない駆け出しだったために、異次元にも捉えられる彼らとは比べものにならなかった。
 練習にはミスを厳しく咎める雰囲気が漂っていた。ケアレスミスなどをしようものなら容赦なく怒号が飛ぶ。「一つのミスで負けることもあるんやぞ」と怒鳴られたことは数知れない。ミスと呼ぶには大げさすぎるほど細かな不具合に対しても、積極的に修正を試みる態度がチーム全体で共有されていた。これが常勝チームのカルチャーなのかと、驚いたことがありありと思い出される。

 人間ならば怒鳴られて気分を害しないわけがない。だが当時はそうではなかった。怒られながらも、どこか心が躍るのだ。自らの至らなさを的確に指摘され、課題がたくさんみつかる。言い換えればそれは自分にはまだ伸び代があるということだ。怒られた不快感よりも未来に広がる可能性に、ヒラオはワクワクしていた。
 煌びやかな実績を持つ先輩選手たちに囲まれてのラグビーは、それはそれはエキサイティングだった。100%の力を発揮できる悦びを当時のヒラオは存分に感じていたのだ。


 みつかった課題の中で、とくにヒラオが苦労したのはパスのレシーブである。
 ヒラオが務めるWTB(ウイング)、FB(フルバック)というポジションの役割は、平たく言えばトライを奪ることである。右に左にステップを踏んで相手を躱し、スピードに緩急をつけながらゴールラインまで走り切るのがその務めだ。自ら言うのもなんだが、いわゆる花形のポジションである。痛みを伴う肉弾戦がその役割のFW(フォワード)とは対照的で、彼らからは「ええとこどりしよってからに」という暗黙のまなざしをいつもどこかに感じていたような気がする。

 ただ、あくまでもラグビーは集団競技である。突出した身体能力だけで通用するほど甘くはない。巧みなステップや足の速さだけではトライを奪えない。トライシーンが華やかなだけにそこだけがクローズアップされがちだが、本当に大切なのはその情況に至るまでのプロセスにある。端的にいえば「いいパスをもらえるかどうか」が鍵になる。相手ディフェンスを翻弄する絶妙なパスをもらってこそ、WTBやFBは自在にその力を発揮することができる。

 このときに重要となるのが「声かけ」である。いかにいいパスをもらうことができるか、それにはボールを保持している味方に対して的確に「呼びかける声」が必要だ。
 入部当初のヒラオはこれに苦労した。いくら声をかけようともパスが回ってこない。どれだけ声量を上げても一向にいいパスがもらえない。もともと声が大きなヒラオだから、パスの放り手に聞こえていないわけではない(はずだ)。なのに、パスがこない。たとえパスがきても、こちらが走り出すタイミングとずれているから、思い通りのランニングができない。

 持ち前のステップとスピードを披露することができず、モヤモヤとする日々が続いた。
 どこかもどかしさを抱えながら練習をしていたある日、先輩から「お前の声は聞こえへんねん、もっと声を出せ!」と言われた。これには正直、驚いた。自分では精一杯に声を張り上げていたつもりだったのに、なんとその先輩の耳には届いていなかった。おそらくデシベル的には十分だったはずだ。なのに届いていない。
 なぜか。
 このときのヒラオは独りよがりだったのだ。ただ自分が望むタイミングで声を出していた。だが、それでは「遅過ぎる」のだ。

 というのも、ボールを持った選手は自ずと相手ディフェンスに意識が向く。タックルされないように、ボールを落とさないように注意しながら、自ら前進するかキックするか、パスにするか、幾つもの選択肢の中から判断を下す準備段階としての逡巡のうちにある。そんなときに「独りよがりの声」が聞こえるはずもない。最適な判断を下すために身体感覚を研ぎ澄ませている選手には、「なんか後ろの方で言うてるなあ」くらいにしか意識されない。
 ボール保持者に届けるための声は、「自分が欲しいタイミング」で出すのではない。ボール保持者と歩調を合わせながらお互いにとっての最適なタイミングで、まるで矢を射るようにしてそっと出さなければ届かない。「歩調を合わせる」というのは情況判断を同期するということで、目の前のディフェンスの散らばり方を察知した上で有効な攻撃オプションを選ぶということに他ならない。
「この場面ではパスだ」という判断が両者のあいだで下されようとする頃合いを見計らって、「その少し前」に声を出す。こうした声は身体の芯を貫く。さすれば自ずとパスは通る。
 そこからヒラオは徹底的にパスの放り手である先輩選手を観察し始めた。ある先輩は、相手ディフェンスに隙をみつけたら、そこに味方がいてもいなくてもパスを放る。このパスは「そこに走ってこい」という意志表示である。だからそのパスをどうしたらキャッチできるのかに工夫を凝らした。その先輩をフォローするときにはいつもより走り出しを早くし、いつくるかわからないパスに備えて神経を張りつめた。

 こちらから声をかけようとしたり、まだ発声している途中なのにパスがくるのは、その先輩は声を聞いてからではなく自らの状況判断の元にパスを出していたからだ。だからヒラオに必要なのは「自分はきちんとそこに走りこんでいますよ」という確認の声で、「右」とか「左」とか彼から見て自分が立っているポジションを、パスがくるよりはるか事前に、それこそまだその先輩がボールをキャッチしていない段階で、それとなく伝えておくだけで十分だった。

 それとは違う別の先輩は、こちらの意図を汲むようにパスをくれた。少々無理な体勢でも、こちらの声に呼応するかのようなタイミングでパスがくる。だからきちんと呼びかけなければならない。短い言葉で相手の後頭部を射抜くように声をかける必要がある。それには相手ディエンスの陣形を見極め、そこに自分がどのような角度で走り込みたいのか、ボールをキャッチした瞬間にトップスピードになりたいのか、それともキャッチしてから徐々にスピードを上げたいのか、それを練習で何度も刷り合わせなければならない。この先輩とは、パスが失敗するたびにお互いの意図を確認し合った。
 こうしたプロセスを経て、ヒラオは神戸製鋼ラグビー部の一員としてだんだんパフォーマンスを発揮し始めたのである。


 自らが専門とする競技なのでつい経験則に頼りがちにはなったが、しかし経験則だからこそ骨身に染みているわけで、つまりラグビーに必要なのは独りよがりの声ではない。味方を慮ることで初めて声は相手に届く。
 自分のポジションをこっそり伝えるときはソフトに、今まさにこの瞬間にパスが欲しいという意志を伝えるときは空気を切り裂くほど鋭利に声を出す必要があるが、それにはまずその声が届くための回路を開かなければいけない。それは相手のプレースタイルや性格を知ることであり、一言で言えば信頼を築くことだ。声の出し方を工夫するよりも前にすべきことが、ラグビーにはある。

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平尾剛(ひらお・つよし)

1975年大阪生まれ。神戸親和女子大学講師。元ラグビー選手の大学教員だが、現役時から7kg痩せたものだから当時の面影は残っておらず。マラソンは大の苦手。

同志社大学時代は長髪にあご髭を生やしてグラウンドを疾走。卒業後は三菱自動車京都を経て神戸製鋼所に入社。ウェールズで行われたW杯日本代表メンバーに選出され(1999)、社会人大会&日本選手権で優勝(2000−01)、新たに創設された日本ラグビートップリーグでは初代チャンピオンのメンバーとして活躍。(2003−04)。

引退時期がちらつき始めた頃に自らの怪我が引き金となって「身体」への興味が湧き、あれこれ研究を開始する。毎日新聞関西版の夕刊でコラムを連載(「平尾剛の身体観測」2006-2011)。その後は『ラグビークリニック』(ベースボールマガジン社)や『考える人』(新潮社)に寄稿するなど、楕円球をペンに持ち替えて奮闘中。

著書に『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『合気道とラグビーを貫くもの』(内田樹氏との共著、朝日新書)がある。

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