小さな会社でぼくは育つ

第2回 大企業=安定 は、本当?

2016.12.10更新

 今回は、安定とはいったいどういう状況を指すのだろう、というところからはじめます。大学生と就職活動の話をすると、多くの学生が「アンテーしたところに行きたい」と言います。いわゆる、安定志向です。
 そこで「安定って何?」と重ねると口ごもる学生は少なくありません。就活を前にした学生には、どうも「安定」という言葉だけが流布しているようです(安定を求めて入ってくる学生は使えない、と喝破した先輩を思い出しながら書いています)。

 「安定」という言葉に対しては、自分が定年するまで、勤め先の会社が存在し続けることや、ある一定の額の給料がコンスタントに手に入ることを想像する人がほとんどでしょうか。
 しかし、ある企業に就職したとしても、一生そこで安泰ということは稀です。少し詰めて考えていくと、「安定」は見聞きした話の断片を基に構築されたイメージにすぎないことに気づくのではないでしょうか。

 たしかに数字の上では、中小企業よりも大企業の倒産が少ないことは事実です。中小企業の経営基盤は大企業に比べれば脆弱であることが多いため、景気悪化などネガティブな環境変化の影響をよりダイレクトに受けがちです。

 しかし、カメラのフィルム市場で世界に君臨したイーストマン・コダック社(アメリカ)は、デジカメへの移行に対応できず、破産法適用の憂き目に遇いました。
 また、「世界の亀山モデル」を掲げ、日本の情報家電産業の雄であったシャープが台湾・鴻海に買収されたことは、記憶に新しいところです。
 企業に栄枯盛衰はつきもの。倒産に至らずとも経営状況が不安定になることは、大企業でも決して珍しいことではありません。

 個人レベルに目を向けても、安定しているはずの大企業において、過労死などの痛ましい出来事が生じています。大企業=安泰? 決してそんなことは言えません。
 逆に、福利厚生などの面で大企業に劣る、つまりそこでの勤めは生活の安定に不安があると言われる中小企業の中にも、例外はあります。たとえば、中小企業でも積極的に子育て支援を進めているところがあると聞きます。
 資金を投じた制度の拡充が無理だとしても、小さな子を連れての出勤を認め、周囲も一緒に面倒を見るような会社もあるそうです。これは幸せな例外かもしれませんが、かように、テンニースがいうゲマインシャフトの側面を残しているような中小企業には、大企業にはない安定があると考えることもできます。


 ここで示した例以外に、もちろん大企業で安定が得られるケース、および中小企業において不安定に苦しむケースも考えられます。
 ここで述べたいのは、一般論はあくまで一般論であり、それ自体に真実や意味があるとしても、それに基づくイメージが必ずしも個々人に当てはまるわけではないということです。

 安定の指標としてしばしば平均年収が挙げられますが、ここで用いられる平均値も同様です。平均値は、ある標本群の数字を平らに均したものであり、標本の特徴を表現する代表値の一つです。
 平均という概念は、僕たちの日常生活に頻繁に登場するため(割り勘など)、安易に用いられていますが、必ずしも常に正しく傾向を示すわけではありません。

 たとえば、従業員5人の会社があるとして、一人の年収が2000万円あれば、他の4人が年収250万円だとしても、この会社の平均年収は600万円となります。「平均年収600万円」と聞けば、この会社で働きたいと思う人もいるでしょうがその実態は異なるわけです。
 このように、平均値は外れ値の影響を強く受けるという性質があるので、無条件にあてになる数字とは言えないのです。

 結局のところ、一般論や平均値に普遍性はなく、参考程度のものにすぎません。金銭感覚やライフスタイルは人によって異なりますし、世の中で必要とされる安定の基準が自分にも当てはまるかどうかはわからないものです。
 さらに感覚やスタイルも不変ではなく、どのような状況や環境で、どのような経験をするかに左右されます。

 前回も書いたように、この連載は、大企業勤めへのアンチや中小企業礼賛を意図したものではありません。
 ただ、必ずしも大企業に勤めることだけが正解であるとはかぎらないということや、中小企業で働くことの可能性について、考えたいと思います。
 安定や金銭的充実を重視する価値観に囚われている方がいるならば、それ以外のものに目を向けるきっかけとなれば幸いです。


 というわけで、ここからは中小企業に少々肩入れした視点から話をします。大学生の職選びの際、金銭面と並んで重視される言葉に、「やり甲斐」があります。これにも幅広い意味がありますが、ここでは社会的意義という側面に注目します。

 事業の規模が大きい(投入される資金が多額、関与する人が多いなど)からといって、それが人の生活に影響を及ぼす、意義あるものとは限りません。
 たとえば、テレビ産業は、今でも事業規模の大きなビジネスです。戦後の復興期には、街頭テレビに人が集まり、野球やプロレスに皆で声援を送りました。その後、高度成長期に入ると、カラーテレビは豊かさの象徴として機能し、各家庭に普及していきました(自動車、クーラーと並ぶ3Cの一つに位置づけられていました)。この頃、テレビに携わっていた企業には存在意義が明らかにあったと考えられます。

 一方、今日ではテレビは各家庭に行き渡り、一家に数台ということも珍しくありません。パソコンや携帯電話など、代替的なデバイスも登場してきました。
 海外には未だテレビが普及していない国や地域があり、それらに届けていく道は残っているとしても、テレビが多くの人々にとって重要な製品である時代は、既に終わっているのではないでしょうか。

 同様に、大企業の大きさは過去の成功に拠るものです。イノベーション施策などにより、新たな広野(ブルーオーシャン)を模索してはいるものの、既に十分に行き渡った品々を、同業他社と厳しい競争をしながら販売している会社も少なくありません。そのようなところで働くのは、大変なことも多いでしょう。

 巨大な高炉を要する製鉄や、運用のための膨大な資金が必要な保険など、大企業でなければ行えないビジネスもあります。しかし、多くの物が棚に並び、時には売れ残りが廃棄される様を見るにつけ、マスマーケットを相手にした一群の大企業はある種の限界に達しているように思います。

 そのようななか、社内ベンチャーを立ち上げるなど、新たにソーシャル・ビジネスに取り組んでいる大企業もあります。社会の変化に伴って噴出する諸々の課題に対峙することには、やり甲斐を感じる人もいるでしょう。
 NPOやNGOが取り組んでいるような領域ですが、今後は、そのような役割を担う中小企業が現れることも考えられます。中小企業の小回りの良さは、細やかな動きが必要な社会問題へ対処にも向いていると思われます。

 ニーズが多様化した現在においては、ニッチな欲望にも対応できるような、小回りの利く中小企業が活躍する余地が多いにあります。
 ニッチなニーズや社会問題の解決は、小さな市場に対する取り組みであり、大きな利益を上げることは難しいでしょう。しかし、いわゆる顔の見える関係で仕事をするなど、自分の存在意義を感じながら、確かなやり甲斐を感じながら働くことはできる可能性があります。


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神吉直人(かんき・なおと)

1978年兵庫県姫路市生まれ。京都大学経済学研究科修了。博士(経済学)。専門は経営組織論。神戸大学、香川大学を経て、現在は追手門学院大学経営学部経営学科准教授。研究の傍ら合気道にも足しげく通い、フットサルもお酒も(麻雀も)たしなむ。

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