コーヒーと一冊の部屋

 去年から始まった『イナンナの冥界下り』プロジェクト。
 紀元前2,000年ごろのメソポタミア神話である『イナンナの冥界下り』を、原語(シュメール語)と日本語で、そして現存する世界最古の演劇形式である「能楽」をベースに上演するというプロジェクトです。

 イナンナというのはシュメールの女神です。天も地も統治していた女神イナンナが冥界に「心(原語では耳)」を向け、さまざまな霊力を身につけて冥界に赴くのですが、そこで待ち受けていたのは姉であり冥界の女王でもあるエレシュキガル。彼女の怒りに触れたイナンナは裸にされ、そして冥界の釘に吊るされてしまいます。その結果、地上は暗闇の世界になり、植物も生物も生殖活動をやめてしまいます。が、大神エンキの力でイナンナは甦り、地上ももとに戻るという神話です(後日談もあります)。

 東京と那須で4回の公演をし、来年度にはイギリスの大英博物館やリトアニアでの公演での話も進んでおりますが、この12月27日(火)には、これまでとはまったく新しい演出での上演を予定しています(演出に関しては最後にお話します)。
 このように公演を続けていくうちに、このプロジェクトを始めた時点でぼんやりと見えていたものが、その輪郭を徐々にあらわにして来ました。

 すなわち、文字によって生み出された「心の時代」はそろそろ終焉に近づきつつあり、「心の次の時代」が、もうそこまで来ているのではないかという実感です。そして、それに備えるためにも古代の神話や語り物を読み直すべきだ、ということもその確信を強めてきました。

 「心の時代」の終焉は100年後か、あるいはもっと先、1,000年後くらいかな、と思っていたのですが、どうもこのごろはそれが近いような気がしてききました...が、その話は今回は措いておき、まずは「心の時代」が終わるかも、と思ったきっかけなどをお話してみたいと思います。
 と、いっても学問的な話では全くないので、そのおつもりで。

「心の次の時代」のための『イナンナの冥界下り』(4)

2016.12.25更新

(2)神の占有物の解放

 さて、女性の話はこのくらいにして...
 前のシンギュラリティのときに起ったもうひとつのことは、「神々の占有物」の解放です。
 もっとも有名なのは、エデンの園の中央に生えている木の果実、アダムとイブの知恵の実ですね。蛇の助けを借りたイブは、神々の占有物であった「知恵」を解放したのです。
 イブを誘惑した蛇は「それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなる」と言いました。知恵の実とは「善悪を知る」実だったのです。
 老子は「大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り」と言いました。無為自然たる大道が廃れたからこそ仁義などという道徳が必要になり、智慧なんてものが出現したから、大いなる偽りも生まれたのです。能『羽衣』の天女は「いや、疑いは人間にあり。天に偽りなきものを」といいます。疑いや偽りは天にはないものなのであり、自然なままのエデンの園にもなかったものでした。

<羽衣(イメージ)>


 アダムとイブが、善悪の実からゲットした知恵で最初に気づいたことは、自分たちが裸であることと、そしてその恥ずかしさです。このときから「裸」は悪に属することになったのです。
 一度、気づいてしまったことを忘れることはできません。それはやがて伝染し、社会自体が善悪を知り、恥を知るようになります。
 言葉を知る前の小さな子どもは善悪も恥ずかしさも知りません。天真爛漫です。しかし、社会はそれを許しません。どんな純粋な子どもにも、善悪と恥ずかしさを教え、そして神の占有物である知恵を与えようとします。それは、まるで神の予言を実現するかのように思えます。
 おのれの占有物である「知恵」を解放されてしまった神は、アダムとイブに対して呪いのような予言をしました。すなわち、「女性は男を求め、男に支配され、苦しんで子を産む」。そして男は「生涯食べ物を得ようと苦しみ、顔に汗を流してパンを得る。そして最後は土に返り、塵に返る」と。
 現代の教育や労働は、まるでこのような苦しみを実現するために行われているのではないかと思うときもあります。
 さて、古代メソポタミアでも、神の占有物の解放がありました。それは「メ」の解放です。
 女神イナンナは冥界に行くときに、7つの「メ」を身につけました。それらは「神の力(divine power)」とでもいうべき宝物です。「メ」は、あるいは「霊力」や「神力」といてもいいでしょうし、「霊性」といってもいいかも知れません。また、あるときは「秩序」をあらわしたり、「神の掟」になったりもします。
 しかし、たとえば「邪気」や「都市略奪」、あるいは「虫歯」も「メ」なのです。犬も人に飼われると虫歯になるといいますね。
 また、「性交」や「口づけ」、「売春」なども「メ」だし、「聖なる娼婦(聖娼)」や「聖なる居酒屋」も「メ」です。さらには「悪口」や「お為ごかし」などのプチ策略も「メ」なのです
 これらはもともと神の占有物でしたが、それがイナンナに与えられ、そして人々に与えられました。
 ...って聞くと、パンドラの箱(正しくは甕)を思い出す人もいるでしょう。
 アプロディーテー(すなわちイナンナ)の流れ汲む美女、パンドーラーは神から「開けてはいけない」といわれた甕を開けてしまい、さまざまな災いが流れ出した、と『仕事と日(ヘーシオドス)』には書かれています。ただ、ひとつ解放されなかった神々の占有物は「エルピス」と呼ばれるもの。これは「希望」や「期待」、あるいは「予兆」などといわれていますが、本当はなんだかわかりません。
 私たち人類は「文字」と「心」の発明により、さまざまな知恵を得た代わりに、恥じや苦しみ、そしてさまざまな災禍も得てしまったのです。そして、純粋さや天衣無縫さを失い、自らが甕の底に封じ込めてしまった希望(期待・予兆)を永遠に探し求める存在になってしまったのです。
 神々の占有物の解放によって、私たちは高い建物を建てることが可能になり、鳥の目を手に入れました。遠くまで見晴るかす鳥瞰的な視点です。これは空間的なことに留まらず、時間すらも鳥瞰できるようになった。未来を見晴るかすことができるようになったのです。
 しかし、私たちはまだ時間を形容する言葉を持っています。「長い」や「短い」などの空間的な形容詞を時間にも使っています。となると、次のシンギュラリティの神の占有物の解放では、時間をもっと自在に操ることができるようになるかも知れません。
 また、やはり神の占有物である生命をもコントロールすることができるようになるかも知れません。遺伝子操作による永遠に近い寿命を獲得することなのか、あるいは生命それ自体を生み出すことなのか、それはまだわかりませんが。
 むろん、そこに横たわるのは倫理的な問題です。
 たとえば、漢字に関していえば文字ができてから「心」という文字が生まれるまでに数百年の時代が必要でした。ひょっとしたらこれも倫理的な問題があったのかも知れません。
 「おい、おい。本当に<心>を文字にしちゃっていいのか」という。


(3)失うものもある

 文字シンギュラリティは何かを獲得するだけではありませんでした。失うものや弱体化する機能もありました。
 甲骨文には月蝕のときのことを書いた記事があります。そこには「聞」という漢字を見ることができます。月蝕は見るものではなく「聞く」ものだったのです。月蝕を聞くということは、なかなかイメージしにくいと思うのですが、かつてハワイ島で皆既日蝕を体験したとき、まさに「蝕を聞く」体験をしましたが、その話は長くなるのでまたいつか~(別連載の「プロに論語」で、このお話に触れる予定です)。


 能もそうですが、古典芸能の玄人の稽古では最初は文字は使いません。聞いて覚えます(今は変わりつつありますが)。アイヌの人たちのユーカリも「聞けば覚える」と、文字が必要ではないということをいっています。『古事記』を誦習した稗田阿礼もそうだったでしょう。
 文字というものは「見る」ものです。文字の発明によって、私たちの感覚は視覚優位になり、「聞く」能力が急激に衰えていったのではないでしょうか。
 これは、私たちのいう、いわゆる「聞く」能力だけに限りません。
 天照大神が天岩戸に入ってしまったときに、たくさんの神々の声が五月のハエのように鳴り響いた(萬の神の聲<おとない>は五月蠅なす滿ち)と『古事記』にあります。さまざまな事象に宿る、さまざまな神の声々が、最後の女神、天照大神の力によって封じらたということを、この神話は意味するのかもしれません。
 また、「大祓(おおはらえ)詞」には、ニニギ命の統治以来、「おしゃべりをしていた岩や樹木や、そして葉までもおしゃべりとやめた(語<こと<問ひし磐根、樹根立、草の片葉をも語止めて)」とあります。
 かつて人々は、岩や樹木、そして草の声までも聞くことができたのです。
 「お花がお話している」なんて、いま言ったら「アタマおかしいんじゃないの」と言われてしまいそうです。「詩人だね」と言われるかもしれません。
 岩や草木の声が聞こえても、今では「幻聴」として片付かれてしまいます。
 ところが文字を知る前の古代人は、現代の私たちには聞こえないことが聞こえ、見えないものが見えていた可能性があったということが『古事記』や『大祓』からは推測することができます。
 キリスト教の宣教師であるダニエル・エヴェレッは、アマゾン(マイシ川流域)に居住する無文字民族のピダハンにキリスト教を宣教しに行きました。そのとき、ピダハンの人たちが向こう岸を指差して「精霊がいる」というのですが、彼にはまったく見えません。
 そのとき彼は、「わたしには、川岸には誰もいないとピダハンを説得することはできなかった。一方彼らも、精霊はもちろん何かがいたとわたしに信じさせることはできなかった」と『ピダハン――「言語本能」を超える文化と世界観(みすず書房)』にあります。
 ピダハンにとっては、これはいわゆる「幻視」ではなく、本当に見えていたのです。私たちは、何かを見るときに「目」という器官を使って見ると思っています。しかし、夢を見るときに「目」を使う人はいません。また、幻覚剤などによる刺激によっても、何かが見えるとも言われています。
 「目で見る」以外にも、さまざまな「見る」があるのです。
 能『羽衣』の漁師は、ある朝、三保の松原に行ってみると、虚空からは花が降り、妙なる音楽が聞こえ、霊妙なる香りが四方に漂っていたと謡います。
 見るだけではなく、音が聞こえることもあれば、香りを聞いたり、何かに触れられた感じをすることもあります。このような、感覚器官を使わないオルタナティブな感覚が、かつてはもっと解放されていたのでしょう。脳内AR、脳内VRです。
 実は日本は、この脳内AR能力をつい最近まで(今も)持ち続けている稀有な民族です。たとえばそろばん教室で暗算をする子は、空中にそろばんを出現させて、それを使って計算をします。また、能は観客の脳内ARの発動を期待しているからこそ、大道具も照明も使わず、単純な松の背景だけを置いています。枯山水の庭もそうです。
 また、大名庭園は、このような脳内ARの訓練装置でした。

http://inanna.blog.jp/archives/1043767997.html

 次のシンギュラリティでは、これらはARやVRを使って実現しようとしていますが、そのような人工的なARやVRはつまらない。それよりも脳内ARを刺激して、各自が自由な拡張現実(AR)を出現させる仕組み、そんなことが次のシンギュラリティでは実現されるかもしれません。
 そうすると私たちの感覚は、いまの五感から少なくとも倍になることになります。

■日時 12月27日(火)18時15分開場 19時開演
■場所 セルリアンタワー能楽堂(渋谷駅より徒歩5分)
■料金 全席自由5,000円(てんらい会員は1,000円引き)
   ※指定ご希望の方は1,000円にて承ります。

■予約 てんらい事務局 
    event@inana.tokyo.jp
    080-5520-1133(9時〜20時)

■「イナンナの冥界下り」とは
これは、紀元前3500年ごろに起こった世界最古の都市文明、古代メソポタミアのシュメール文明、そこで語られ、楔形文字で記録された、現存する最古の神話のひとつです。

いったい、どういう神話なのか。ざっくりとお話しましょう。

(1)天と地を統べる女神イナンナは、唯一自分の手の及んでいない冥界に、7つの「メ(神力)」を身につけて向かった。

(2)イナンナの突然の来訪に怒った冥界の女王エレシュキガルは、イナンナの「メ(神力)」をすべて剥ぎ取って裸にし、冥界の釘にぶら下げた(地上は暗黒の冬世界となる)。

(3)大神エンキが差し向けたクルガラ、ガラトゥルの力によってイナンナは甦り、地上にも春が戻った。

■今回の上演の特徴
今回の上演は、今までにご覧になられた方にも楽しめる「新バージョン」です。これまでとどう違うのかを簡単に説明します。

●祝祭儀礼性が増す
古代の叙事詩は、薪の火によって妖しく彩られた祭りの場(にわ)で上演されたと思われます。これは、もう薪能そのものです。

薪能は、本来は春の神様をお迎えする祝祭儀礼でした。それは、イナンナの死によってもたらされた冬の季節が、その甦り・再生によって春の季節を再び迎える『イナンナの冥界下り』の神話にぴったりです。

今回の上演では、天地を統べる女神イナンナに奥津健太郎(能楽師狂言方)、エレシュキガルに杉澤陽子(観世流能楽師)を迎え、能楽の要素を前面に押し出すことにより、より祝祭儀礼性が増した上演になります。

●楽しさが増す
今回、新たに加わった場面は冥界の祭り、クル・ヌ・ギ祭です。

古代の祭りの場(にわ)では、人々は怪しい薬草の入った霊酒を飲み、生贄に捧げられたお下がりの肉を喰らい、酩酊、興奮状態で観た、というよりも参加したはずです。

実験道場(芝居×ダンス×お笑いの次世代最強集団)の皆さんをお迎えし、皆さまが酩酊、興奮状態になるような楽しいパフォーマンスをご覧いただきます。

※でも、これを再現するために貞観の大嘗祭や日本書紀などを参考にしました。

●音楽が多彩に
音楽は、能管の槻宅聡に加えて、今回は電子音楽のヲノサトルも参加します。能管は縄文の石笛(いわぶえ)を模したともいわれている笛。最古の笛の音に、最新の電子音楽が重なります。

●シュメールの竪琴が登場
大英博物館に収められているシュメールの竪琴を、アメリカのハープ作者に依頼して再現しました。チューニングや弦の問題もあり、今回はまだ使えませんが、象徴として舞台に出現します。紀元前2,000年の竪琴がどんなものか、とくとご覧ください。

■この舞台は発展途上です
「イナンナの冥界下り」はアーツカウンシル東京の長期助成を受け、イナンナプロジェクトとして2015年から3年計画で上演しています。2017年度には欧州ツアーも予定しており、シュメールの遺物をもっとも多く収蔵するイギリスの大英博物館やリトアニアなどでの上演を目指しています。


※おかげさまで満席となりました。

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