コラム道

コラムニストの小田嶋隆さんが「寺子屋ミシマ社」で語った、小田嶋流文章論。最終回では、参加者からの質問にこたえていただきました。「才能とモチベーション」から、「江川のひょい投げ」まで、お楽しみください!
(聞き手:三島邦弘)

前回「『コラム道』番外編・その2」はこちら!

第10回 「コラム道」番外編・その3(質疑応答編)

2010.07.06更新

人は締め切りがあるからものを書く

質問者1最近ビジネス書で『朝四時起きで成功する』なんて本が売れてます。また朝起きたらツイッターでつぶやく「ヨジラ―」というような人たちも増えているそうですが、朝型夜型でいうと、小田嶋先生の仕事の時間帯は朝型ですか夜型ですか? リズムは決まっていますか?

小田嶋割と昼間ですね。そして、リズムは決まっていません。結局、締め切りが発生したときに書く(笑)。そう。そのことをちょっと言おうと思ってたんです。

結局「なぜ人はものを書くのか」という話をすると「書きたいものがあるからだ」というのは一応建前としては正しいんですが、実は私も含めていろいろなライターさんを見ていると「締め切りがあるから書く」ということだったりするんですね。

ライターには内在的に「書きたい」という欲求があって、それが原稿になると思ってる人も多いかもしれません。確かにそういう時期はありますし、若い頃は言いたいことがたくさんあって、それを外に出さないと気持ちが悪いという内なるものがあったりする。それはそれとして、あってかまいません。

ですが、人間に才能というものがあると仮定すると、それって負荷をかけないと出てこないものなんですね。その負荷が、具体的には何なのかというと、物理的な締め切りだったりするわけです。

なぜこんな話をしているかというと、私が知っている大手出版社の編集者、もう少し枠を広げてテレビ局の社員さんって、要するに優秀な人たちなんですよ。ものすごく難しい試験を通った人たちですし。それに、いろいろな編集者さんを見ているなかで私が感じたことを言うと、大手の人たちは、おそらく潜在能力も高い。「この人はやればできるんだ」という意味での潜在能力です。でも、けしからんことに能力を潜在させたまま50代になってしまう人が多い。潜在能力というのはそういうことなんです。能力が潜在しているということは、要するに頑張ってないということなんです。

―― なるほど。

小田嶋大手の出版社に入れば、おそらく30代で年収1500万円とかいう話でしょ。そんなに給料をもらっている人が必死でものを書くかといったら書かないですよ。そういう人が多いんですね。「こいつやればできるのに」という気はするんですが、いいオフィスに行って「編集者です」と言ってれば、打合わせをしているうちになんとなく日々が流れていく。誰がゴリゴリものなんか書きますか。

―― (笑)。そうですよね。

小田嶋立派な会社というのは、ある意味すごく才能をスポイルする。彼らだって小突き回されて「書かないと食えないぞ」とか「一生懸命書かないと暮らせないぞ」という場所に身を置けば、けっこうなものを書くかもしれない。しかしながら、とにかく才能のある人に限って尻に火がつかないと動き出さないわけです。私も若干才能ある人ですから(笑)。

―― すごい才能ある人ですよ(笑)。

小田嶋いや、だけど本当に、追いこまれるとか電話がガンガンかかってくるとか、電話の向こうで誰かが金切り声をあげているとか、そういうことがないと、ものって書かなかったりするわけです。そういうところに自分を置くべきかどうかわかりませんが「現状がすごく恵まれてない」ということは、ものを書いたり、何かを生産したりすることにはとてもいい状況なんじゃないか、と考えると良いのではないかと、いい話として実はこの話を用意していました。

―― おお! 用意していただいてたんですね。
たしかに、締め切りですよね。書くというのは。

小田嶋そうです。作家さんでも、特に漫画家さんに顕著ですけど、10年前はすごくおもしろかったのに、つまらなくなる人っているじゃないですか。「才能が枯渇したんだ」という言い方をする人もいますが、才能って実はそんなに枯渇するものではない。おそらく枯渇しているのはモチベーションなんですよ。

貧しくて無名で、なんとか世に出てやろうという野心や怨念があった時代に一生懸命ゴリゴリやっていたきつい作業は、年収4000万円とか年収2億とか、世田谷に豪邸を建てたという人ができる作業じゃないんです。あまりにも地味だし、あまりにもきつい。「こんなきつい仕事はできない」と言ってアシスタントに投げてしまう。普通の人はおそらくそうなりますよ。

―― なるほど、なるほど。コラム道でも一度「才能はモチベーションだ」ということを書いてくださっていますよね。ぜひ一度読んでいただけたらと思います。ありがとうございました。

「書き手として生きる」とはどういうことですか?

質問者2今のお話につながると思うのですが、小田嶋さんにとって「書き手として生きる」とはどういうことですか。少し別の角度から言うと「書く」ことについて私が最初に思い浮かべるのは「小説や文学で世界をつくる」ということで、それに憧れることがあります。そこで、小田嶋さんは、どういうものを書いていきたいと思っていらっしゃるのかうかがえたらと思います。書いて何を目指されているのですか?

小田嶋私も若い頃に小説を書こうと思ったことがないわけではありません。でも小説家を目指していたわけではまったくありませんでした。自分と同世代の人たちというのは、小説をすごく偉いものだと思っているんですよ。だから、小説は自分の中ですごくハードルをあげすぎてしまったので、あまりみっともないものは書きたくない、という気持ちが強いんですね。もっと若いときに書いて失敗をたくさんしていればできたかもしれませんが、もうできなくなったかな、という気はしてます。

「小説を書く人たち」と「コラム、エッセイ、散文といった文章を書く人たち」は、何か資質の違いがあると私は思っています。あるときから「自分は小説を書く人じゃないんだな」ということを思うようになりました。

小説を書く人たちに不可欠な資質というのがある。ものを書くというか、文章を書くなかでストーリーを動かし、情景を描写し、同時に多様な表現をしていくことは、とても知的な作業です。ところが、頭が良いだけではダメなところがある。すごく感情を揺さぶる部分とか、あるいは情念を持っているような、悪く言えば愚かなところがないとダメなんですね。それが自分にはないんじゃないかと思うんです。はははは(笑)。

―― そうですか(笑)。

小田嶋小説家のなかには「ちょっとこの人大丈夫か?」というような人たちが何人かいます。そういう人たちは「人間としていかがなものか?」というような、非常に欲深かったり嫉妬深かったり、女たらしだったり権力欲が強かったり、良い意味でも悪い意味でも、何かそういう性格的偏向を抱えている。そういう方がおそらく小説家に向いているんだと思います。けれど、そういうものを持っている人は普通、頭が悪いからちゃんとした文章を書けない。「曲った人間でありながら頭がいい」という難しい立ち位置にいる人たちが小説を書くんだと思います。私は頭はいいけれど、まともな人間だから。

―― なるほど(笑)。すごい分析をされましたね。でも、コラムの中で十分狂った感じを毎回出されてると思いますが。

小田嶋私生活をあけすけに書くことはあまりやらないでしょ。そこをどんどん書けたり、どんどん突っ込んでいけたりして「よく恥ずかしくないな」と思うような人っていますよね。そういう神経の持ち主であることがある意味必要なんだと思います。度胸の問題も少しあるかもしれませんが、何かをあきらめたり捨てたりするところがないといけないんだと思います。私にはその部分で意気地がないなと思いますね。まぁ、気どってるわけですよ。結局ね。そこらへんだと思います。

悪い癖であるからこそ、一部の読者にとっては魅力だったりする

質問者3調子の良くないときに書いた文章について、「それを指摘したからといっていいものになるわけではない」ということをおっしゃられていました。それってどういうことかもう少し詳しく聞かせていただけますか?

小田嶋例えば「小田嶋の悪い癖」というものがあったとします。その悪い癖にあたる部分というのは、悪い癖であるからこそ、一部の読者にとっては魅力だったりする、ちょっと困った、評価の難しいところなんですよ。「小田嶋のこのくどさって何なの?」と読者が100人いるうち70人くらいは思っていても、他の10人くらいは好きでいてくれたりする。

そういうところは、直る直らないの話ではなくて「角を矯めて牛を殺す」じゃないですけど、そこを削ってすっきりさせると私の文章ではなくなってしまうポイントでもあるんですね。自分でも「なんでオレはここをこんなにくどく行ったり来たりするんだろう?」というのはわかる。だけど、それは私の文章に限らず他の人の文章でも欠点と魅力って一番近いところにある。

村上春樹みたいな人でも、あの人が書くものを嫌いな人はけっこういる。で、その嫌いな人が嫌う部分と彼の文章を好きな人が好きな部分というのは、ほとんど重なっていたりする。「何あのうすら気どった文章は」という感じね。私も愛憎相半ばするところがあるんですけど、好きだったり不愉快だったりする不思議なポイントを削ってしまうとその人の文章じゃなくなってしまう。

半ば「すかしてるんじゃねぇよ」と思いつつ、半ば「うまいなぁ」と思いつつ、まぁ、ああいうものを書く人はあの人しかいないわけですから、それは認めなければしょうがないところなんですよ。
だから、編集者さんはそういう、直る欠点と直らない欠点とを見分けられたらすごくいいなと思いますね。なかなかむずかしいことだと思いますが。

若い人たちは潜在能力が好き

質問者4会社でも、決して優秀な人間が上に立つわけでもないですし、優秀な人間が成功していくわけでもない。コネがものを言う場合もたくさんあります。そこはいつも「なんなんだろう?」と思います。「成功の要因」というとおかしな言い方になりますが、何かひとつ頭が出るというか、一皮むけるそのポイントというのは何だと思いますか?

小田嶋月並みな返事になりますけど、最後は必死に頑張っているかどうか、ということだと思います。先ほどの話と重なりますが、大手に就職した人たちは、確かに潜在能力は高いと思います。けど、潜在能力というのは、やっぱり必死で頑張ってない人たちが持っている能力というか「もし、彼らが必死で頑張ったらどんなに仕事ができただろう」という仮定にすぎないわけです。

会社のなかでも「あいつはやればできるんだよね」という人は必ずいる。だけど、そういう人たちの大半はやらないわけですよ。一方で「あいつはすごく頑張ってるよね」「恵まれない能力で精一杯で頑張ってるよね」という人もいるわけです。結果的には、そういう人の方が10年経ってみると仕事はできるようになっているんですね。

これはすごく不思議なことですが、サッカーの世界でもそうなんです。すごくポテンシャルの高い人間ってあんまり頑張らない。ポテンシャルがあってなおかつ頑張る人というのは、それこそ王貞治くらいしかいない。

―― はははは。

小田嶋王貞治とかイチローとか、そういう人は本当に日本に何人かしかいません。大抵の才能のある人は怠けている。私も若い頃は実はそうだったんですけど、若い人たちは潜在能力ばかりに目がいきがちですよね。潜在能力の高い人が好きなんですよ。私も昔、江川卓が好きでした。「こいつが本気出したらどれだけすごいんだろう」と思っていました。

でも、本気出さないんですよ。桑田も天才といえば天才ですけど、なによりすごく頑張った人でした。でも、若い人たちは江川みたいな人を評価するわけ。だけど、これも不思議なことですが年をとるにつれて桑田みたいな「この人は乏しい能力をここまで開花させたんだ」という人の方をを評価するようになってくるんですよ。

―― 確かに。

小田嶋本当は能力のある人間が頑張るべきなんですけど。

―― なんで頑張んないんでしょうかね。

小田嶋適当にやっても通用してしまうからでしょ。

―― それでも巨人のエースなんですもんね。江川は。

小田嶋ひょいって投げてるからね。あのひょい投げも腹立つんだけどね(笑)。
でも、不思議なことに人は向かないことに頑張ったりしますよね。「何でこの人、わざわざ壁にぶつかりに行くんだろう?」と思うような人たちってけっこういます。「こっちで頑張れば簡単に成功しそうなのに、何であっちにいくんだろう?」とかね。

―― いっぱいいますよね(笑)。ほんとにそうですよね。

小田嶋マイケル・ジョーダンも、野球選手になりたかったじゃないですか。ちょっとなったりしてダメだったりしたけど、彼は生涯野球選手になりたかったわけです。バスケットボールであんなに一流でありながら「おれは野球をやりたい」とどこかで思ってたりしたわけでしょ。

―― もう十分だと思うんですけどね。

小田嶋「ライターや編集者になりたい」ということでも、そのビジョンが自分にとってはっきりしているものならいいのですが、そうじゃないかたちで持っていたりする人も、もっと若い人たちにはいるように思いますよね。

どういうことかというと、高校生が「芸人になりたい」と思うこととか、中学生が「ロックンローラーになりたい」と思ったりするのと同じような感覚でものごとを考える人。そこをもう少し突っ込むと、本当になりたいのはなにかというとセレブリティだったりする。

要するに、何かのところで「人を恐れ入らせるような何者かでありたい」ということが本心で、それが女優さんでもいいし、ロックンローラーでもいい。野球選手でもいいんだけど、自分ができそうなのはこれだから、ここで自分はセレブリティになるんだ、という感じ。この考え方でいくと、すごく変なことになると思います。

有名な脚本家でも「この人が脚本をやりたかったのは、セレブリティになりたかったんだな」ということが手に取るように伝わってくる人がいる。自分の書いた脚本を演じている役者さんとプライベートな付きあいをしたり、東京タワーの見えるマンションに暮らしたいから脚本家になりたいのか、それとも「脚本」というものをやってみたいのか、では違うじゃない。

―― 「成功」といったときに全然違いますもんね。

小田嶋こんな感じでずれた答えですけど。参考になりましたでしょうか。

質問者4ありがとうございました。

―― まだまだいろいろお聞きしたいことはたくさんありますが、もう6時を過ぎてしまいました。小田嶋先生、今日はありがとうございました。みなさんも、今日は長い間ありがとうございました。

というふうに「コラム道番外編」トークライブは話が尽きないまま幕を閉じたのでした。次回からは、通常通り、小田嶋さんによる「コラム道」が再開します。どうぞお楽しみに!

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小田嶋隆(おだじま・たかし)

1956年生まれ。東京・赤羽出身。早稲田大学卒業後、食品メーカーに入社。1年ほどで退社後、小学校事務員見習い、ラジオ局ADなどを経てテクニカルライターとなり、現在はひきこもり系コラムニストとして活躍中。

『人はなぜ学歴にこだわるのか』(光文社知恵の森文庫)
『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)
『9条どうでしょう』(共著、毎日新聞社)
『テレビ標本箱』(中公新書ラクレ)
『サッカーの上の雲』(駒草出版)
『1984年のビーンボール』(駒草出版)

日経オンラインで連載中。
『ア・ピース・オブ・警句』(日経オンライン)

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