演劇と氷山

第9回 だまし絵コメディの、稽古場兼アトリエから。

2017.10.18更新

 年に一度の本公演の幕が、今年も無事に開きました。無事と言っていいのか。とにかく当社比かつてないほどのうずたかい作業量を雪中行軍のように乗り越え、進めども進めども開けぬ景色にへこたれそうになったり、なぜこんなことになったのかわが軍はと自問自答しながら、どうにか新作「出てこようとしてるトロンプルイユ」が、その威容を露わにしました。

 威容などと言っているのは、上演時間が2時間を超えてしまったからで。前作が僕ら的にけっこう壮大な新世界SFだったので、次は小品をしっとりと、というイメージで作り始めたんですが、まさか前回を超える分量になるとはねえ。脚本の長さばっかりは書いてみるまで読めないし、思いがけず長くなってしまってもうこれ以上書いてはまずいぞという分量に達していながら、まだまだ消化しなくてはいけないプロットは残っており、書いて保存するたびに増えてゆくキロバイト量に戦慄するあの感じは、なかなかひりつくものがあります。まあなんとか初日を迎えられ、そこから2時間10分を切るところまではシェイプアップできまして(長い)、これから各地をツアーで回りますので、そのボリューム感含めてご笑覧いただければ幸いです。

 今回の劇はトロンプルイユ、つまりだまし絵にまつわるコメディで、劇中にはキャンバスに描かれた「だまし絵」がたくさん出てきます。絵画と役者が絡むコメディ、というのをやりたかったんですよね。そう思ったのには、うちに角田貴志という役者がいて、彼は絵を描ける人でもあり、普段は役者よりもイラストとか漫画とかキャラクターデザインのような仕事の方がずっと多い、という不思議な収入バランスの人です。この角田さんに、劇中の絵画をすべて監修してもらえば、うちらしい劇団性が色濃く出た、ならでは感あふれるコメディが作れるんではないか、と夢想したんでした。

 こういうことは、前回公演「来てけつかるべき新世界」から企図しはじめたことで。ヨーロッパ企画の特徴の一つとして、屈強でいぶし銀の役者集団では決してない代わりに、演劇以外の色んなフィールドをにわかにまたいだ、なんとなくジャンルオーバーな人たち、という気風が昔からあります。たとえば酒井善史という役者は、木工や電子工作といった作り物が得意で、100円ショップなどで部品を買い集めては「発明」と称した珍妙なガジェットを作り、それをあちこちの番組や企画で披露する、という奇天烈な道を歩み始めています。これをせっかくなので本公演でも生かせないか、と考えたのが前作でした。

 大阪の新世界にテクノロジーの波が到来する、という筋立てのもと、酒井くんには電子工作班として、パトロールロボットを作ってもらったり、ドローンやロボットアームを組み立ててもらったり、演歌歌手の頭の上で回るビリケンさんの飾りを発明してもらうなど、役者じゃないところでギークな腕前をいかんなく発揮してもらいました。千穐楽でロボットの回路が焼き切れるなど往生しましたが、これはなんだか劇団というフレームを打破した、我々にしかやれないしやろうともしないであろうコメディが作れた、という手ごたえを感じたものでした。

 そんな流れもあって今作「出てこようとしてるトロンプルイユ」では、役者であり絵も描ける角田さんに、白羽の矢をびしっと立てたわけです。この劇はもう角田さんと作ろう。角田さん監修による「絵画」を作れるだけ作って、劇中でそれを見ていく趣向にしよう、と。コメディ×絵画、というクロスオーバーをなし得れば、これは珍しいことになるんじゃないか、という企てです。そうして、白羽の矢を立てましたけどいいですか、と角田さんにおずおずと相談すると、特に明確な返事はなかったですけどなんとなく了承してもらえたようで、人跡未踏の「だまし絵コメディ」への挑戦というかデスマーチがこうして始まりました。

 舞台は1930年代のパリ、アトリエ長屋の屋根裏。不遇のトロンプルイユ画家が死んだあと、残された大量の絵を処分していく人々、という風にして始まる劇です。なにしろ嘘でも一人の画家が生涯をかけて描いた作品群を、一カ月ほどででっち上げなくてはなりません。もちろん現代には当時なかった便利なツールもあり、またトリックアートやオプアートといった錯視芸術の技法もぐっと確立されているので(そう、こういうだまし絵的なものが市民権を得たのは、20世紀後半のエッシャー以降、という感じなんです)、それらを利用した「時短」は可能なんですけど、それでもやっぱり大事なのは「凄み」というか「情念」というか、そういう気迫の量感が漂ってこないと、遺された絵たちに説得力は出ない、と踏みまして。なので口に出すのは恐ろしいことですけど、「やれるだけやろう、盛れるだけ盛ろう」という暗黙の合意が、僕と角田さん、そしてスタッフチームのうちに形成されたんでした。

 そこからは、芝居の稽古と並行して絵画制作の日々です。角田さん指揮のもと、スタッフや手の空いている役者が一致団結して、画家一人の人生を作り上げる、という。全てを油絵で描くのは難しいので、写真加工や印刷、映像なんかも駆使しながら、そのあたりはまあ本編を見ていただいてなんですけど、夥しい点数のだまし絵を、順次描き上げていきます。チーム戦による仕事の総量で、画家の生涯の仕事に少しでも迫れたら、というイメージですね。

 絵画のモデルにすべく、撮った写真は1万枚をゆうに超え、写真をひたすら選ぶ人、パス(輪郭線)を切り抜きまくる人。角田さんはそれにひたすらブラシでタッチを加え、なおかつオリジナルで描かなくてはいけない絵を描きます。映像スタッフの大見さんは、角田さんが3DCGをこねて作ったクリーチャーに、山ほどのポージングを付けていきます。やったことないよ、その割に分量多いよと嘆きながら。そうなんです、基本的にやったことないことばかりなんです、新作を作るときってのは。前回はドローンを舞台でいかに安全に制御するのか手探りだったし、今回は、鑑賞に堪える絵画を1枚作るのがいかにしんどいか、ということを思い知りました。画家の大変さを身をもって体験し、期せずして芝居へ向けてのフィールドワークにもなっていて。1枚も絵を描いてない役者たちが舞台に立つのとでは、やっぱりどこか佇まいが違ってくるとも思うんですよね。

 そしてまた、嘘をつくのも役者の技能で。前回の「大阪のおっさん」に続いて、今回は「パリの芸術家たちや市井の人々」を演じるべく、パリ案内のDVDを見て、芸術史の読みなれぬ資料を読み、映画や動画から当時の空気を吸い込んで、幻想の、だけどこんな奴らもいたかもしれないパリ、を、じわじわと作り上げてゆきました。いやなかなかのことなんです、パリへ行ったこともないような(ある人もいますけど)東洋の役者たちが、「パリへようこそ」とか「モンマルトルは変わってないなあ」なんて平気で言うのは。それをあの手この手で自分の中のパリ成分を高め、本番ではぐいっと「あり」にするのが、役者さんのアクロバシーの凄みだなあ、と思うところでして。

 そんなことで、稽古の佳境時には、稽古場は半分アトリエにもなり、芸術談義の芝居が行われているその片隅では、出番じゃない役者たちがフォトショップで画像を切り抜いている、という、混沌を極めつつもある種の美しさをたたえた空間となっていました。大変でしたけど、「絵画のコメディを作っているなあ」という実感は、すごいものがありましたよね。稽古ちゅう、急きょ思いついた絵画をその場で登場させるのに、角田さんが段ボールにさくさくとマジックで絵を描いてくれたのも、またとないシステムだなあ、と感慨深かったです。

 新しい劇を作ってるぞ、という実感があるときっていうのは、作り方からして新しいやり方になるもので、そういう現場が実現できたとき、っていうのが、僕が一番うれしいときであり、同時にチームが一番しびれるときでもあります。角田さんが全ての作業を終え、役者として舞台に現れたのは、稽古の本当に終盤も終盤だったんですが、そこには舞台裏で絵を相当数仕上げきった男の、あるオーラが煌々と立ち昇っていました。それは僕への怒りだったりしてね。すみません本当に。


ヨーロッパ企画 第36回公演「出てこようとしてるトロンプルイユ」

栗東プレビュー公演|9/30(土) 栗東芸術文化会館さきら 中ホール
京都公演|10/6(金)~10/9(月) 京都府立文化芸術会館
高知公演|10/14(土) 高知県立県民文化ホール グリーンホール
東京公演|10/20(金)~10/29(日) 本多劇場
大阪公演|11/1(水)~11/8(水) ABCホール
愛媛公演|11/11(土) 松山市民会館 中ホール
横浜公演|11/16(木)~11/19(日) KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ
名古屋公演|11/23(木) 愛知県産業労働センター ウインクあいち
広島公演|11/28(火) JMSアステールプラザ 中ホール
福岡公演|11/30(木)、12/1(金) 西鉄ホール
四日市公演|12/3(日) 四日市市文化会館 第2ホール


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上田誠(うえだ・まこと)

1979年京都生まれ。1998年、大学入学とともに同志社小劇場に入団し、同年、劇団内ユニットとしてヨーロッパ企画を旗揚げ。ヨーロッパ企画の代表であり、すべての本公演の脚本・演出を担当。外部の舞台や、映画・ドラマの脚本、テレビやラジオの企画構成も手がける。

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