5年後、

第1回 五年生存

2015.09.08更新

毛のない生活」からしばらくが経ち、 いわゆる「五年生存」で無罪放免となった。

しかしこの私が無罪放免などと言うのはどうかと思う。なにせ治療を途中で放棄し、薬を飲むのも辞めてしまい、それから病院へ一度も行っていないのだから。経過観察さえボイコットしている。

「検査していない」と知り合いに言うと、まいど避難の嵐だ。
「検査だけは、したほうがいいよー」
みんなそう言ってくれるが、検査してまた何か見つかったらどうするのだ? あの辛かった治療のプロセスを思い出すとそれだけで吐きそうである。あれはガン治療で何が起こるかを知らなかったからできたことで、知ってしまった今となっては、すべきことなど一つもない。そもそもガンが見つかった時のショックを考えると、おそろしくて病院へなど行けない。

もう二度と見たくないし考えたくない。

私は、ガンを遠ざけ、自分の人生とは関係ないように、していたかった。
去年、ロシアへの旅を通して、生き物と地球の関係について考えたことを本に書いた(『毛の力』/小学館) 。経済優先の行き過ぎた社会と生活を見直した。「ガンになって学んだこと」はその本に書けたと思っている。なので今後私はガン患者としてものを書くことも、生きてゆくこともないのさ、ということにしていたのである。

しかし今、こうしてかつての「毛のない生活」に向き合おうと思ったのはなぜか。

治療同期生のKちゃん(キャベツ農家) から今年の夏もキャベツが届いた。お礼の電話をかけたとき、Hちゃんの訃報を聞いた。
Hちゃんのことは『毛のない生活』(ミシマ社) に書いたが、私に坊主になることをすすめた人だ。
Hちゃんの病状が良くないことは、遠まきに聞いていた。
しかし私はガンの件を遠ざけていたので、会いに行くこともしなかったのである。

坊主頭の、彼女の細い体を、思い出している。

入院中に、私より先に抗がん剤を経験していたHちゃんの前で、私は泣いた。
抗がん剤が怖い、受けたくない、と言って泣いた。
その時彼女はベッドの上であぐらをかいて、いきなり着ていたTシャツを捲りあげて、私に裸の胸を見せた。
右も左も抉り取られた乳房の痕が、大きな傷になっていた。
それを見た私は、もう泣けなくなった。

裸の彼女の無言の訴えを、聞いた。
少年のような薄い胸で、「こうして私は生きている」と。
入院中のHちゃんの、下着を洗ったことがある。
あの時、世の中は不公平なのではと思った。
Hちゃんはもうこの世にいない。

彼女と私の生死を分けたものは何か?
私は生き残ったほうの人間として、それについて考えている。
無念で逝った者の無念をはらすのは、生き残りの使命である。
Hちゃんが無念だったかどうはわからない。
しかし少なくともあんなにいさぎよくてやさしい人が、先にいくことがあるのだということに対して、私は何かをしたいと思う。

こうして今は無事な私は、「死なずに生きた人」の一例である。その私が「毛のない生活」のあと何をどうしたのか、について書き残しておくことは、今後治療を受けられる方の多少の参考にもなるのかもしれないと、おそれながら考えている。


(左)『毛のない生活』山口ミルコ(ミシマ社)、(右)『毛の力』山口ミルコ(小学館)



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山口ミルコやまぐち・みるこ

東京都生まれ。専修大学文学部英米文学科卒業後、外資系企業を経て、角川書店雑誌編集部へ。94年2月1日から2009年3月末まで幻冬舎。プロデューサー、編集者として、文芸から芸能まで幅広いジャンルの書籍を担当し数々のベストセラーを世に送る。幻冬舎退社後はフリーランス文筆業、クラリネット奏者として活動。2012年2月に『毛のない生活』(ミシマ社)を上梓。その他の著書に『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)がある。

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