5年後、

第2回 証明

2015.09.15更新

私は2009年3月末まで、出版社の幻冬舎で編集者をやっていた。
退社したのは、ガン になったからではない。
「もうやめよう」と思ったからやめたのであり、ガンが退社の原因ではないが、決意した頃にはすでに、かなり具合が悪かった。
当時のことは前著に書いたので割愛するが、正式なガン告知を受けたのは退社後、である。
そこで私は、それまで20年にわたり懸命に打ち込んできた編集者としてのエネルギーをぜんぶ、一気にガン研究へ、注ぎ込むことになる。
あの時の、すさまじき方向転換のさまは、我ながら、いま思い出してもすがすがしい。
私は、ガンが怖くて怖くて、仕方なかった。

私が死より恐れていたのは、自分が変わってしまうことだった。
私は変わりたくなかった。だからあらゆる本を読んで学び、変わらないようにしようと考えた。
私が現役の頃、幻冬舎の社長の見城さんがよく言っていたことを思い出す。

「ガンの本は、売れないぞう」
いまはどうだか知らないが、なるほど自分が当事者になってよくわかった、怖くて読めないのだ。
読者となるべき人が、避ける。本を作っても、もっとも読んでほしい人たちに、読んでもらえないのである。
さらに、それを書いた人が亡くなったりすると、もう本は全く動かなかった。どんなに良い本でも書いた人が亡くなってはダメなのである。私はそれを分かっていたので、私はなにがなんでも生きて、当事者が読んでも怖くないガンの本を、書こうと思った。
編集者現役時代は本を書くなど考えていなかったのに、私は私と同じ目に遭う人へ、どうしても伝えたくなった。どうしても言いたい、言いたいことが発生した、書かなければ死んでしまう―― あの時私は書かなければ死んだ。「これをどうしても言うぞ」ということだけを支えに生きて、生き延びた。「自分が変わってしまうこと」を死よりも恐れていたというのに、結果、「私は変わった」のである。

私自身の変化など、世の人びとにとってどうでもいい。私は「ある例」に過ぎないが、「ある例」の検証が、何かを突破することがある。そのことを、これから証明してみたい。


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山口ミルコやまぐち・みるこ

東京都生まれ。専修大学文学部英米文学科卒業後、外資系企業を経て、角川書店雑誌編集部へ。94年2月1日から2009年3月末まで幻冬舎。プロデューサー、編集者として、文芸から芸能まで幅広いジャンルの書籍を担当し数々のベストセラーを世に送る。幻冬舎退社後はフリーランス文筆業、クラリネット奏者として活動。2012年2月に『毛のない生活』(ミシマ社)を上梓。その他の著書に『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)がある。

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