5年後、

第7回 罪病

2015.10.20更新

「告知を受けた日」というものが、私にもあった。
じつは二度、告知を受けている。
一度目は、首都圏郊外のクリニックで、夜その病院を出た路上で、大声を上げて泣き叫んだ。駅に続く道に人はなく、自分だけにぼんやりと街灯の灰色が注いでいた。誰も私を見ていなかったと思う。誰かが見ていたとしても、私は泣き叫ばずにおれなかった。
ふらふらと歩きながら、胸にせり上がってくるのは「どうして私が。」という想い、その一点に尽きる。
二度目は、桜の季節だった。病院を出てすぐにクルマを走らせた。ぼうぜんとし、ただ前を向いて、ハンドルを握りアクセルを踏んだ。着いた先はチェス教室で、一緒に通うはずだった学生時代からの友が待っていたが、私は彼に何も言うことができなかった。言うべき言葉をすでに失っていた。外は晴れているのに、何も見えない。「目の前が真っ暗」とは、ああいう日のことを言うのかと、いま思い出しても胸が痛い。
当時私の心を占めていたのは、自分を責める言葉であった。
「悪いことをしたのだろうか」
「何がいけなかったのだろうか」
それらを胸の内で何度も何度も繰り返し、そしてたどり着いた場所は、自分の犯した罪によって病いが起こったのだという、ひどく居心地の悪いものだった。
何人もの同病の患者の方が、うつ病を併発し、大量の薬を飲んでいた。
自分を責めて、うつになる。
私の気持ちも、堕ちるとこまで堕ちた。
堕ちるとこまで堕ちたとき、床でボールがバウンドするように、気持ちは上へと跳ね上がってくる。
あとはひたすら、目の前のことを、やった。目の前は暗いのだから、見える分だけ、である。見える分だけでも、「負けてたまるか」でやった。
病いが罪だなどと、いまは思わない。必要だったのは、とことん堕ちて考えること、とことん堕ちなければ考えなかった。

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山口ミルコやまぐち・みるこ

東京都生まれ。専修大学文学部英米文学科卒業後、外資系企業を経て、角川書店雑誌編集部へ。94年2月1日から2009年3月末まで幻冬舎。プロデューサー、編集者として、文芸から芸能まで幅広いジャンルの書籍を担当し数々のベストセラーを世に送る。幻冬舎退社後はフリーランス文筆業、クラリネット奏者として活動。2012年2月に『毛のない生活』(ミシマ社)を上梓。その他の著書に『毛の力 ロシア・ファーロードをゆく』(小学館)がある。

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