凱風館日乗

2011年秋の開館以来、内田樹先生の主宰する道場「凱風館」には、数々の著名人や武道家が訪れ、伝説のような出来事が日々起こっています。合気道(多田塾甲南合気会)には門人が150名を超え、入門待ちの状態・・・。そこで、通いたくても通えない方々に「誌上入門」していただこうと、本連載を内田先生に依頼しました。道場に通えない方も、道場には興味がないという方も、内田師範の「教え」を体感してみてください。とにかく、気持ちいいですから!(編集部)

第1回 凱風館日乗(2013/3/24、25~26、29、30~4/1)

2013.04.03更新

 今月からミシマガジンに「凱風館日乗」を連載することになりました内田樹です。どうぞよろしくお願い致します。

 何を書こうか考えたのですが、とりあえず「書いても書かなくてもよいのだが、書いたせいで世間を狭くしそうな話」と「書いても書かなくてもよいのだが、書いたせいで人が腹を立てそうな話」を選択的に書いてゆくことにしました。天下国家を論ずるような話はよそに書いて、この「凱風館日乗」には「身内のどうでもいい話」だけを書かせてもらいます。

 ですから、頻繁に固有名詞がでてきますけど(「はるちゃん」とか「きよえさん」とか「すーりん」とか)これについては原則として解説を付しません(おお、大胆)。読者のみなさんは文脈から推してその人物が何ものであるかを自力でご想像頂きたいと思います。「そんな不親切な」と憤慨する方もいるかも知れませんが、小説だってそうじゃないですか。「イワン・イワノビッチは沸き立つサモワールから紅茶を注いだ」とかいきなり始まるけど、そこで読むのを止めて「イワン・イワノビッチって、誰だよ」とか言う読者っていませんよね?

 では、さっそく3月24日から。
 3月末日締め切りなのに、一週間前から始めてすみませんね。でも、三島くんから「凱風館での身辺雑記を書いて下さい」と頼まれたのが半月くらい前のことなんですよ一週間分あればいいですよね。「どうでもいい話」なんですから。

 3月24日(日曜)晴れ
 多田塾甲南合気会春期合宿最終日。神鍋高原の旅館「ときわ野」で二泊三日の合気道合宿。ミシマ社の三島くんも参加して、昇段審査受けて、初段になりました。ぱちぱち。
 今回の昇段試験受験者は18人。その前に三週にわたって、昇級審査が46人。延べ64人。凱風館ができて、(やろうと思えば)一年365日毎日稽古ができる体制が整ってから、門人たちの稽古量が激増したせいでこんなことになりました。

 それまでは週一回土曜日の芦屋の体育館での稽古だけでした。それも市の行事があると使えなくなったのですから、一年半前に比べると、稽古環境には天地の差があります。
今、合気道の稽古は月から土まで毎日行われています(日曜もしばしば自主稽古が行われています)。

 一週間に7日以上稽古している人もいます(7日以上というのは、凱風館で稽古して、そのあと他の道場で稽古するのも回数に入れているからです。すごいですね)。
 そんなことをして良識ある社会人として生きていけるのか、という疑問をお持ちになる方もおいででしょうが、よいのです。

 凱風館は門人たちをいずれ「合気道家」としてご飯を食べてゆくことができるように支援するための授産施設でもあるからです。だから、「稽古は控えめに」というようなことは言いません。むしろ積極的に「合気道中心の生活」を独立志向のある門人たちには勧めております。

 実際に凱風館多田塾甲南合気会からスピンオフした道場はすでに7つあります。
 かなぴょんの合気道芦屋道場、うっきーの芦屋合気会、はるちゃんの合気道高砂道場、とーざくんの青楓会、篠原さんのささの葉合気会、アーサーのPLATFORM合気道教室、来月からはきよえさんの清道館がオープンします。

 後の4つはこの一年以内で開設された道場ですから「道場開設ラッシュ」と言って過言ではありません。
 それにドクター佐藤が先日、神戸松蔭女子学院大学に合気道部を創部しましたから、創部22年を迎える神戸女学院大学合気道部と併せると、多田塾甲南合気会は実に傘下団体9つを含む一大組織となったのであります。

 これについては「やりすぎ」ではないかという異論がたぶん合気道家の中からも出てくるのではないかと思います。それだけの段位・実力のある指導者が指導しているのか。そもそも狭い地域に道場が乱立すると「共倒れ」になるのではないか、というのが主要な異論だろうと思います。これについての僕の考えを述べます。

 合気会本部には「道場開設は五段以上」という内規があるそうです(僕は知りませんでした)。僕が自分の道場(瀬田道場)を開設したのは三段のときでした。もう25年も前のことですから、その頃はルールが緩かったのかも知れません。

 その頃、同門の後輩が職場で仲間を集めて稽古会を始めたいと多田先生に申し出たことがありました。

 「僕はまだ初段なので、せめて二段を取ってからの方がいいでしょうか?」という彼の問いに先生は「今すぐ始めて構わない」と即答されました。「昇級昇段審査には私が行くから、ふだんの稽古は君が指導しなさい。」

 僕は横に立っていてそれを聞いて、先生の明快なお答えに感動した覚えがあります。
 たしかに、どの道場でも、日常的な稽古指導は必ずしも実力十分の高段者が行っているというわけではありません。大学のクラブの場合などは、最上級生が白帯でも稽古指導しなければなりません。自由が丘道場でも、僕が通っているころは初段をとるとすぐに稽古指導日を割り振られました。いきなり前に立たされても、こちらは技量が低いし、術理もわかっていない。受けを呼んで演武をしても技がかからない、という泣きそうな状態での稽古指導でした。

 でも、それが僕にとってはたいへんよい稽古になりました。僕が長く稽古を続けられてきたのは、「教える立場」に早くから立たされたからだと思っています。教えるというのはもっとも効率の良い学びの機会です。そのことを僕は自由が丘道場で学びました。

 ジャック・ラカンは「教える」ということについてこう書いています。これは「教える」ということについて書かれた無数の言葉の中でおそらくもっとも本質的を衝いたものだと僕は思います。

 「教えるというのは非常に問題の多いことで、私は今教卓のこちら側に立っていますが、この場所に連れてこられると、すくなくとも見掛け上は、誰でも一応それなりの役割は果たせます。(・・・)無知ゆえに不適格である教授はいたためしがありません。人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知っているのです。誰かが教える者としての立場に立つ限り、その人が役に立たないということは決してありません。」
(「教える者への問い」)

 「人は知っている者の立場に立たされている間はつねに十分に知っている」というのは、教えと学びの本質にかかわる言葉です。それは合気道の指導者としてだけでなく、30年以上大学の教壇に立ってきたものとしても確言することができます。

 「知っている者」とは「学ぶ者」にとっての「欲望の対象」ということです。その人の一挙手一投足に「何か意味がある」と思わせられる人のことです。
 これについてはかつて小田嶋隆さんが含蓄のある言葉を述べていました。どの本にあった話か忘れてしまったのですが、ゴルフの話です。

 ゴルフをしていると、技術の差ははっきりスコアに出ます。だから、スコアが上の人間はグリーンの上では絶対的上位者になります。ウェアの着こなしも、帽子のかぶり方も、クラブの選び方も全部「深い意味」があってそうしているように見えてくる。スコアが上の人間が空を見上げてひとこと「雨が降りそうだな」と言うと、一緒に回っているスコアが下の人間たちは一斉に「雨が降るらしいよ」と言い交わし始める。彼には天候の予知能力さえ賦与されてしまうのです。

 たぶんこのアマチュアゴルファーたちの技量の差というのは、傍から見ると実はそれほどたいしたものではないのだと思います。でも、わずかな技量の差でもかまわない、欲望の対象である上位者がそこにいる限り、学ぶものはそこから(理論的には)無限の「学ぶ甲斐のあること」を汲み出すことができる。

 師弟関係というのは、知識や技術のかたちのある「コンテンツ」を授受する関係ではありません。ある人が目の前にいる他者が蔵している(と勝手に推定している)知識や技術を欲望することです。ですから、「指導者たりうるだけの段位や資格」というものを厳密に設定することには教育的にはあまり意味がないだろうと僕は思っています。とりわけ「人に教える」ということの教育的効果はふつうに想像されるよりはるかに劇的なものです。

 誤解されやすいことですけれど、僕たちは「人に教えることのできるコンテンツ」を身に付けてから、教え始めるのではありません。教え始めてはじめてから「人に教えることのできるコンテンツ」とは何かを知るのです。教え始めなければ、何を教えていいのか、わからないのです。

 順逆が逆転しているようですけれど、そういうことなのです。
 「長く稽古していて、段位も高いけれど、自分の道場を持っていない人」と「稽古期間が短く、段位も低いけれど、自分の道場を持っている人」を見比べると、そのことがよくわかります。自分の道場を持っている人は伸びが速い。どんどんうまくなる。

 でも、そんなこと当たり前なんです。
 自分の弟子を持っていない人にとって、合気道の術技の「エンドユーザー」は彼自身です。ですから、不正確にしか覚えていない技があっても、術理が理解できなくても、困るのは自分ひとりです。何となく「面倒くさい」からと稽古を休むこともできる。休んでも誰に迷惑がかかるわけでもない。

 でも、弟子のいる人はそうはゆきません。技を「伝える」相手がいるからです。自分が不正確にしか覚えていなければ、弟子たちの技も不正確になる。自分が術理に暗ければ、弟子たちもやはり術理に暗くなる。自分がずる休みをすれば、置き去りにされた弟子たちは何をしていいかわからない。自分が手を抜くと、そのせいで困る人がいる。

 人に迷惑はかけられない。ですから、必死で稽古するようになる。伝書を読む。術理について考える。わからなければ質問する。道友たちとひたすら技を練り合う。教えるという仕事があるから、そうする。そうせざるを得ないのです。

 僕はこの「教える立場に立つことの教育的効果」を重く見ます。
 教え始める時点で、どれほどの技量であるか、どれほどの段位であるかということは、実は副次的な意味しかないと僕は思っています。

 もちろん、こういう過激な発言をされては困るという合気道家もいるでしょう。実力のない武道家が勝手に道場を建てて、師範を名乗って、質の低い稽古をして、その結果「なんだ、合気道というのはこの程度のものか」と世間に誤解されると、合気道家全体が迷惑を蒙る。「ブランドイメージ」が傷つく。そういうこともあるかも知れません。

 それに昇段級審査や段位の発行が課金されて、師範の収入になるシステムですから、段位発行者の数が増えると、それは「パイの取り合い」になる。そういうこともあるかも知れません。現実にそういう利権がらみの諍いで武道団体が分裂騒ぎを起こすということは日本国内でも海外でも珍しい話ではありません。

 でも、僕はそういうデメリットを考慮しても、それでも門人たちの独立はできるだけ支援する方がよいと信じています。

 何よりも合気道は「人間の生きる知恵と力を高めるための技法」だからです。
 「人間の生きる知恵と力を高めるための技法」の普及は「競争」とか「権益」とかいうものと本来は無縁のものです。

 「生きるための知恵と力を高めるノウハウ」というのは、言い換えれば「世界中の人が幸福に生きるためのノウハウ」ということです。「世界中の人が幸福に生きるためのノウハウ」はたいへん価値の高い情報だから、それなりの代価をお出し頂かねば開示できないという人がもしいたとしたら(いないと思いますけど)、その人は不幸な人間が多ければ多いほど自己利益が増すようにビジネスモデルを設計しているわけで、そんな人が「世界中の人が幸福に生きるためのノウハウ」を知っているはずがないし、知っていても開示するはずがない。

 僕はよく世界中のすべての人、70億人全員が合気道を稽古するようになり、その全員が名人達人の境位に達したときのことを想像します。そのとき、世界はどれほど住み易い場所になっているでしょう。そのような世界を作り出すこと、それが僕の最終目標です。できれば70億人に合気道を稽古してもらいたいと思っている。となれば、もうこれは「猫の手も借りたい」気分になるのも当然です。独立して道場を開いている門人のみなさんを「猫の手」に喩えては失礼でありますけれど、一人でも多くの人に合気道を稽古してもらいたいという願いは譲れない。

 あ、長く書きすぎてしまいました。初日からこんなに書いては一月分どれくらいになってしまうか。もうやめます。

 合宿の話を書こうと思ったのですが、ぜんぜん書けませんでした。80人以上で行きました。鴨鍋が美味しかったです。カツカレーのご飯とルーだけお代わりしたら(カツ二切れ残して)、宿のおじさんが憐れんでカツ三切れ追加してくれました。とても心温まる合宿でした。以上。

 3月26日(火曜)〜27日(水曜)
 第四回聖地巡礼ツアー。
 「聖地巡礼」は数年前に大学で「現代霊性論」という対話形式の授業を釈徹宗先生とふたりで一学期間試みたことがあって、その打ち上げとして受講生たちと一緒に「遠足」に出かけたのが始まりです。

 最初は、釈先生にツアコンダクターになっていただき、京都の東寺の五重塔と立体曼荼羅、三十三間堂の千手観音を見て、哲学の道を歩き、南禅寺で湯豆腐を食べて昼酒を飲むというたいへん愉快な遠足でした。

 そのあとたしか朝日カルチャーセンターとのタイアップ企画で、奈良の興福寺で釈先生とおしゃべりしつつ、社僧のかたのご案内で阿修羅像などを鑑賞する聖地巡礼興福寺編というのがありました。

 あれ、面白かったから、またやりたいですねと釈先生と折のあるごとに言い交わしていたのですが、それが東京書籍という出版社の企画に紛れ込んで、聖地巡礼をしながら僕たちが休む間もなく繰り広げている「宗教的時事放談」を本にしてしまおうという話になったのは、たぶんに「巡礼部」の創建が関与しております。

 巡礼部は凱風館からのスピンオフ団体のひとつであります。
 凱風館を拠点とするスピンオフ団体はたくさんあります。
 最強最大の団体は、すでに8シーズンを戦い抜いている甲南麻雀連盟です。凱風館が行うほとんどのイベントは事実上甲南麻雀連盟が仕切っています。クラブメンバーが限定されていること、ことの性質上「誰が会員であるかが秘匿されていること」などが秘密結社としての条件を高めており、凱風館ネットワークの「ハブ」として機能しております。

 第2派閥はジュリー部(ジュリーの歌だけをカラオケで歌いまくるクラブ。ここの仕切り役が「部長」と呼ばれているフジイさん)。この部もその存在理由があまりに「コア」であるために、ある種隠然たる「神秘性」を備えております。その他に「フットサル部」、「おでん部」、「あんこ部」、「ス道会」、「ちはやぶる」、「餅つき部」などなどイベントあるところにクラブあり。別格として、ラテンバンド「江弘毅とワンドロップ」と老舗「うな正会」があります。巡礼部はその中でも古手の結社のひとつで、「サンチャゴ・デ・コンポステラ」巡礼を悲願とするマリちゃんとシンペイ君が中心になって大学院の社会人聴講生たちによって数年前に結成されました。

 これまでの四回に及ぶ聖地巡礼の旅は東京書籍と巡礼部の「共催」、釈先生がコンサルタントというかたちで進められており、ウチダは新大阪発のバスに乗ってから「ねえ、今日はどこにゆくの?」とたずねるというレスポンシビリティ・フリーな立場からかかわっております。

 現在の聖地巡礼のスタイルが始まって、今回で四回目。
 第一回が「上町台地縦走」。大阪天満宮からスタートして、四天王寺での日想観まで、大阪を霊的につよく賦活している南北の地脈を感じるべく歩きました。天気もよく、たいへん楽しい遠足でした。

 第二回は「京都あやかしツアー」。京都には化野、紫野、鳥辺野という三大「葬礼地」があります。養老孟司先生がつねづね書かれているように、京都は「自然」を排除しようとしてきた都市でした。でも、どれほど都市化が進んで自然が馴致されても、最後まで人間の統御が及ばない自然があります。死体です。死体を都市の外側に排除し、そこから自然が「還流」するのを阻止するための霊的装置。京都にはそれが都市の四方に仕掛けられています。それがどんな働きをしているのかを感じるという、ちょっと危ないツアーでした。

 毎回、ツアーの最後では釈先生に法話をして頂いて「落とす」のですが、このときは巡礼者たちに鳥辺野で「憑いた」ものを落とすために、釈先生がひさしぶりに本気で「法力」を発揮されておりました。そういう儀礼も含めてなかなか油断のならない聖地巡礼なのであります。

 第三回は「三輪山ツアー」。大阪、京都ときたので、次は奈良。古い信仰のかたちを経験しようということで、能『三輪』にも謡われている霊山三輪山に登ることにしました。三輪は山そのものがご神体です。巡礼者たちは鈴のついた杖をつき、無言のまま山を上りました。ここは一木一草も持ち帰ってはならず、写真をとることも、飲食も禁止されております。

 神威を皮膚で感じる。「それ」の切迫を感じられるような霊的感受性の錬磨が聖地巡礼の教育的課題なのであります。

 そして第四回が熊野参詣。はじめての一泊旅行でした。一日目は船玉神社に詣で、水呑王子から本宮まで熊野古道を歩き、明治22年の氾濫で流された旧社を訪ねて、湯の峰温泉泊まり。二日目は神倉神社、花の窟神社、那智大社などを巡りました。

 なぜ平安末期に後白河法皇をはじめ歴代の上皇・法皇たちは熊野参詣にあれほど固執したのか(後白河院は在位35年中に34回熊野に詣でています)。京都からどれほどの難路であるかを知ると、このこだわりはただごととは思われません。

 おそらく霊性をつよく賦活する力が熊野という土地に充ち満ちているのでしょう。今回のツアーでも「熊野を感じる」ことが最優先の課題でありました。

 熊野についての言説は無数にあります。でも、たいせつなのはすでに語られた言葉に合わせて経験を解釈することではなく、経験を語るための新たな語彙を作り出すことであるように思われます。そのためには、解釈や説明を急がず、まず皮膚感覚を最高に敏感にして、「触れてくる」ものを感知する。

 今回、しみじみ感じたのは「階段」と「滝」がきわめて巧妙に設計された「瞑想装置」だということでした。僕でさえ那智の滝を5分間ほど見続けただけで軽いトランス状態に入ってしまって、滝壺を埋め尽くした巨岩(一昨年の台風で落石してきたもの)がむにゅむにゅと動き出す幻覚を見たくらいですから、感受性の鋭い人でしたら、かなりの深度の瞑想状態に入れることでしょう。

 帰りのバスの中で、次の聖地巡礼の旅はどこに行きましょうか釈先生とご相談しました。とりあえずプランAは「キリシタンの地を訪ねて」、プランBは「国東半島『暗黒神話』ツアー」、プランCは「佐渡島に世阿弥と親鸞を訪ねる」ということになりました。どうなるのか、たのしみであります。

 3月29日(金曜)
 風邪の引き始めの悪い予感を抱きつつ上京。昭和大学の理事会のための日帰り出張です。

 品川でAERA編集部と打ち合せ。僕はAERAに隔週でコラムを寄稿しております。もう5年も書いているんですね。

 養老孟司先生がそれまでは毎週書いていらしたのですが、たいへんだからウチダくん半分やってよと頼まれて、大恩ある先生のお言葉ですから「はい」とお引き受けしたのです。その養老先生がこのたびご勇退ということになり、じゃあ、僕もごいっしょに・・・と思ったら、ひとりだけ人質に残されてしまいました。うう。

 続いて大学で理事会、評議員会、懇親会。かなり熱が出て、寒気がしてきましたが、震える身体に鞭打って赤坂へ。民主党の松井孝治さんが主宰する平田オリザさんと早野透さんの「新書大賞2位4位ちょっと残念会」が開かれ、それにお招き頂いたのです。

 仙谷由人さん、松本剛明さん、鈴木寛さん、逢坂誠二さん、古川元久さんとしばらくおしゃべりする。かつては官邸で号令していた豪腕政治家が一朝にして天下の素浪人となるというような有為転変の受け流し方で、人間の器量というのは垣間見えるものであります。仙谷さんのたたずまいが僕は好きです。彼らが再び政治の表舞台にあがる日が来るでしょうか。もし来たら、ずいぶん味のある「役者ぶり」を堪能できると思いますけどね。

 3月30日(土曜)~4月1日(月曜)
 風邪でダウン。それでも日曜には姫路で「生命力を高める」と題した講演。月曜は観世流の観世清和家元を凱風館にお迎えして、能楽について対談。講演も対談も、仕事しているときはアドレナリンが出るので、それなりにしゃんとして話もできますけれど、終わった瞬間に空気の抜けたゴム人形のようにへなへなと崩れ落ち。

 お家元との対談はセミクローズドでしたので、下川宜長先生ご夫妻ほか社中のみなさん、『土蜘蛛』のお相手をお願いした頼光のドクターと胡蝶の飯田先生、寺子屋ゼミ、道場のみなさんがお見えになりました。

 「扇と風」の話をもう少し深めたかったのですけれど、「松と風」が「松風」で、「梅と風」が「弱法師」で、というところまでは出たのですけれど、「竹に風」が何だったか思い出せなくて、話が途絶しちゃいました(「猩々」でしたね)。ワキ方の安田登さんとツイッターでやりとりしたときにふっと思いついたアイディアなんです。

 能舞台には「風」が充満しているというのが僕の直感です。「松風」の松籟、「吉野天人」の万朶の桜、「羽衣」の浦風、「紅葉狩」の紅葉を吹き散らす秋の嵐、「竹生島」の霞わたれる朝ぼらけ、「山姥」の壮絶な山廻り・・・どれも主人公は「風」です。

 あるときは気象として、あるときは匂いとして、あるときは寒気や涼気として、あるときは肌に粟を生ぜしめる恐怖として、見所の観客たちに直接「触れてくる」ものがある。それが「風」である、と。

 『香水』という映画がありました。人間を愛さずにはいられなくする「究極の香水」を求めて人殺しを続ける男のお話。「匂い」を主題にした映画を作るというのは、たいへん挑発的な試みだったわけですけれど、この映画ではある工夫によって、「匂い」を視覚化してみせました。なんだと思いますか?

 ハンカチ。
 ハンカチを顔の前でよこに煽り、わずかに顎を上げてそれを追うような仕草をすることで、そこに「香りが立った」ことを図像化してみせたのです。

 映画を観たときに、他のことにも関心したのですが、この「匂い」という映像化できないものを映像化するテクニックに注目して一言記したことがありましたが、今にして思うと、あの「ハンカチ」と能における「扇」は同じ役割を果たしていたとも言えそうです。
これについてはこのあともたぶん安田さんとの対談本で書くことになると思います。古今東西の事例を引いて二人の傾ける「風」についての蘊蓄にご期待ください。

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内田樹(うちだ・たつる)

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。 現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。 神戸女学院大学名誉教授、多田塾甲南合気会師範、合気道七段。

著書に、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、 『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、 『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、 『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』(以上、ミシマ社)など多数

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