凱風館日乗

2011年秋の開館以来、内田樹先生の主宰する道場「凱風館」には、数々の著名人や武道家が訪れ、伝説のような出来事が日々起こっています。合気道(多田塾甲南合気会)には門人が150名を超え、入門待ちの状態・・・。そこで、通いたくても通えない方々に「誌上入門」していただこうと、本連載を内田先生に依頼しました。道場に通えない方も、道場には興味がないという方も、内田師範の「教え」を体感してみてください。とにかく、気持ちいいですから!(編集部)

第5回 凱風館日乗(5/2~3)

2013.05.20更新

 この日記には「身辺のよしなしごと」だけを選択的にのんびり書いてゆくつもりでしたけれど、身辺がぜんぜん「のんびり」していないので、なかなか書き継ぐことができません。しくしく。

 とりあえずゴールデンウィークにしたことを書いておきます。
 5月2日、3日は恒例の「京都美山で山菜天ぷらを食べる会」。
 美山で林業を営む旧友小林直人さん・節子さんご夫妻のところを新緑の頃にお訪ねするようになって、はや23年。一度始めたことは止めないウチダは父親が危篤だった2002年以外毎年美山を訪れております。

 最初に美山に行ったのは1983年。るんちゃんが1歳になった夏でした。
 その前からご夫妻とは東京で何度かお会いしていたのですが、おうちを訪れたのはそれがはじめて。
 小林節子さんは僕のex-wifeの中高時代のともだちでした。

 赤いホンダシティを走らせて東京から小浜経由で美山に入りました。
 みんなで小浜に海水浴に行って、海鮮をたくさん買い込んで、手巻き寿司を作って食べました。
 それから7年のインターバルがあって、離婚して、るんちゃんと父子家庭になって、神戸女学院大学に職を得て芦屋に移った最初のGWにローヴァー・ミニを駆って、福知山から綾部を抜けて美山までドライブしました。

 その1990年の5月が最初の「山菜てんぷら」経験でした。
 あのときの衝撃は忘れられません。
 なるほど人間というのはこうやって自然物を食物に「変換」しているのか。
 人間は他の動植物の「生命」を食べて生きているのだということを実感しました。
 「美味しい食べ物」はそれまでもたくさん食べましたけれど、「命を食べている」と感じたことは、それが初めてでした。

 それが僕が生命に対する「感謝」を感じた最初です。
 「美味しい食べ物になってくれて、僕を養ってくれて、ありがとう。しっかり栄養として摂取させていただきます。」

 ご飯を食べるときに「いただきます」と手を合わせるのが、作り手に対する感謝だけでなく、それ以上に「食べ物に化して、僕の命を養ってくれようとしている生き物たち」に対する感謝であるということを、この山菜てんぷらを食べたときに知りました。
 「いただきます」という言葉を食事の前に口にしない人が増えているそうです。
 自分でお金を出して購入した商品に対してなぜ感謝をせねばならぬのか、という言い分です。

 なるほど。
 それを「礼儀知らず」と非難することはもしかすると話の筋が違うのかも知れません。
 そういう人たちは自分が今食べようとしているものが「命あるものから作られたもの」だということを実感できないのだと思います。

 以前、白神山地のマタギをしている方と対談をしたときに、熊狩りのときの儀礼について伺ったことがあります。
 熊を殺したあとに、マタギたちは感謝の祈りを捧げます。
 獲物として自分を捧げてくれた熊に対して。
 彼らの魂の天上での平安を祈る呪文があり、熊に向かってその呪文を奉唱するのだそうです(呪文なので口伝)。

 それが食べ物に対する本来の人間的なかかわり方だと思います。
 そして、そういう祈りを捧げることができるというのは、ずいぶん幸福なことでもあると思います。
 だって、その場合、獲物は自然から人間への「贈与」として理解されているからです。
 それは自然から「承認されている」ということです。もっとつよい言い方をすれば「愛されている」ことの証として解釈できるからです。

 「僕、これを食べてもいいんですね?こんな美味しいものをお贈りいただきまして、ありがとうございます。ということは、神様は僕のことをけっこう気に入ってくれているんですね!」
 そういう気持ちで自然に向かい合えるのって、ずいぶん幸福なことだと思います。
 「いただきます」を言うことを忘れてしまった現代人はその分不幸だと思います。

 今年は光嶋裕介くん(凱風館設計者)と新妻はるちゃん(凱風館書生)がご一緒しました(凱風館が取り持つご縁で、この3月に結婚されたのです。披露宴は今秋。ウチダ夫妻が仲人です)。
 光嶋くんは山菜てんぷらツアー4年目(凱風館の杉材は小林さんのところの山から切り出したので、その打ち合わせに設計段階から光嶋君は何度か美山詣でをしていたのです)、はるちゃんははじめて。

 今年は直人さん、節子さんご夫妻のほかに、長女のスギちゃん、次女のユキちゃんとキクチくんのご夫妻と5人にお迎え頂きました。
 はじめて来た頃にはスギちゃんユキちゃん姉妹もほんとうに小さい子どもだったのに・・・もう立派な大人です(当たり前)。

 こういうふうに毎年同じことを繰り返していると、ものごとの「経年変化」がはっきりわかります。
 具体的には、自分が一年ごとに老いに向かっているということがわかります。
 なにしろ23年間、同じ季節に、同じコースをたどってドライブして、同じ家族と、同じ料理を食べているんですから。
 それだけ切り出すと、「ぱらぱらマンガ」を見ているようなものです。

 現代の人は「老いつつある」ことを実感することを嫌う傾向があります。
 anti-agingというのは、「老い」の事実をみつめたくないという心理を表しています。
 でもagingは誰ひとり逆らうことのできない自然過程です。
 それに身を添わせてゆくことのほうが心身の「収まり」がいいように僕には思われます。
 「老いと共に生きる」ということでいいんじゃないでしょうか。

 アンチエイジングの人たちが老いをみつめることをいやがるのは文化的な仕掛けのせいです。「ドクサ」とか「イデオロギー」と言ってもいい。
 若いことはすばらしい、力強いことはすばらしい、スピード感があることはすばらしい、機動性があることはすばらしい。
 これはどこかでグローバル資本主義の「体質」と通じているような気がします。
 グローバリストって、だいたい「そういうやつ」ですからね。

 なんか非常識な時期に日焼けしていて、ノーネクタイでシャツの襟立てて、裸足でローファー履いてるみたいな。
 ラーメン屋の店員が作務衣着て、バンダナ巻いて、腕組みして写真撮るみたいな定型として。
 僕の偏見かもしれないけど、そういう「グローバリスト定型」の中に「枯れた老人」というのはいないです。

 どんどん「新しいもの」にチャレンジしてゆく人は「年中行事」が嫌いです。
 毎年同じメンバーで、同じことを繰り返すと、「経年変化」がはっきりわかるからです。人間には寿命があり、自分が持っているものはいつか誰かに手渡して、自分は裸で土に帰らなくてはならないということが身にしみてわかるからです。

 そろそろ「パス」すべき次世代を探し出して、自分の持ち物をひとつひとつ委譲をして、自分自身の世界内部的なプレゼンスを縮減してゆき、「自分がいなくなっても困らないように」制度設計をし直してゆくべきときだということが身にしみてわかるからです。
 でも、この事実をまっすぐに受け止めることは、むずかしい。

 「自分がいなくなっても困らないようにしておく」という気づかいはあらゆる組織において老いた統率者の最優先義務だと思いますけれど、多くの人はそうしない。それよりはむしろ「自分がいなくなったら、何もかもうまくゆかなくなる」ようにシステムを構築して、そのことで自分の存在理由や重要性を確認しようとします。
 でも、実際には「自分がいなくなったら、うまくゆかないように作られた組織」なんて誰にも作れやしないのです。

 だって、そういうふうに作り込まれた組織は、その人がいなくなったら、「うまくゆかない」わけですから、いなくなったとたんにまるごと廃棄されて、別の組織が作られるに決まっているから。
 そんな手間をかけさせた人はただ「ほんとにはた迷惑なやつだったな」と言われるだけでたちまち忘れられてしまう。
 そういうものなんです。

 長く記憶されるのは、実は「自分がいなくなってもうまくゆくように作られた組織」を作った人の方です。
 「いなくなってもうまくゆくように」という仕掛けはある種の時間差を伴った「贈り物」です。その人がいなくなってずいぶん経ってから、「あ、こんなところに、こんな手が打ってあった・・・」ということに気づく。

 僕は長くウィリアム・メレル・ヴォーリズというアメリカの宣教師であり建築家であった人の設計した建物で研究教育の生活を送っていました。
 この建物の特徴は「好奇心にかられてドアを開けたり、階段を昇ったりする人には、かならず報償があるように設計されている」ということでした。
 あちこちの暗がりに隠し扉や隠し階段がある(ほんとにあるんです。大学の校舎なのに)。「探検」をして、そういうものを見つけた学生がそっと中に入ると、どんな場合でも必ず「ごほうび」が用意してある。

 それは「思いがけないところに出る出口のドア」か「そこ以外のどこからも見ることのできない風景をうつす窓」のどちらかです。
 これは学びの比喩としてこれ以上ないものだと僕は思いました。
 自分の好奇心に導かれて「暗がり」に踏み込んだものは必ず思いがけない「贈り物」に出会う。
 自分を包む世界は謎に満ちていて、謎を追う人は、追わない人よりも多くの愉悦を引き出すことができる。

 このことは何度も本に書きました。
 でも、ヴォーリズのすごいところは「いなくなったあと」への気づかいです。
 この校舎は昭和のはじめ、1931年に建てられたもので、築80年を超えます。
 このとき窓枠やドアノブはすべてアメリカ製のものが用いられました。
 ヴォーリズはこれらが耐用年数を過ぎたら順次壊れてくることを予測していました。そして、校舎の地下に「交換用備品」を蓄えておいたのです。

 50年分。
 すごいですね。
 さいわいこの備蓄は築80年経った今でもまだ残っているそうです。
 こういう気づかいはanti-agingとか言ってじたばたしている人間には絶対に思いつかないと僕は思います。

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内田樹(うちだ・たつる)

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。 現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。 神戸女学院大学名誉教授、多田塾甲南合気会師範、合気道七段。

著書に、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、 『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、 『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、 『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』(以上、ミシマ社)など多数

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