凱風館日乗

2011年秋の開館以来、内田樹先生の主宰する道場「凱風館」には、数々の著名人や武道家が訪れ、伝説のような出来事が日々起こっています。合気道(多田塾甲南合気会)には門人が150名を超え、入門待ちの状態・・・。そこで、通いたくても通えない方々に「誌上入門」していただこうと、本連載を内田先生に依頼しました。道場に通えない方も、道場には興味がないという方も、内田師範の「教え」を体感してみてください。とにかく、気持ちいいですから!(編集部)

第6回 凱風館日乗(5/2~8、10、12~14、18、21~23、25~26)

2013.06.05更新

 あっという間に5月が終わってしまいました。もう6月です。月日の経つのは早いです。
 5月も忙しかったです。備忘のために、列挙しておきます。

 5月2~3日
 美山の小林家にて光嶋くんご夫妻とともに山菜天ぷらをご賞味

 4~5日
 広島にて、多田先生の合気道講習会に門人30名ほどと参加。

 6~7日
 丸亀にて守伸二郎さん主宰の恒例の合気道講習会に参加。永楽亭で鰻、フレンチ、明水亭でうどんという「丸亀フルコース」を堪能。
 この6日間はずっと書生のはるちゃんと一緒。妻といる時間よりはるちゃんといる時間の方が長いね。

 8日
 朝カルで名越康文先生と対談。この日の朝日新聞朝刊のオピニオン欄に長いグローバル資本主義批判を寄稿。「グローバル資本主義と国民国家は利益相反する」という話に賛否の両論がありました。

 10日
 MBSの子守さんのラジオ番組、「朝からてんこもり」にゲスト出演。これは三月に一度、四季折々にお招きいただいて、子守さんと時事問題でおしゃべりをするという企画。もう2年ほどやっております。今回は2日前の「オピニオン」の話。

 12~13日
 恒例の鶴岡行き。5月12日は父の命日。毎年、内田家のみなさんで鶴岡の宗傳寺に墓参にゆき、湯野浜温泉亀やで温泉に入ります。今回は兄の長男裕太夫妻も一緒。
 2001年の5月12日に父が「鶴岡に行こう」と言い出したので、母と兄と四人で宗傳寺にお墓参りにゆきました。そのとき亀やに泊まって、鶴岡の街を歩き、父が子ども時代を過ごした鼠ヶ関の港を訪れました。

「姉におぶさって、この道を歩いて、海沿いの神社につれていってもらった」という90年近く前の記憶が蘇った父は埠頭でぼんやり立っていました。90年前の記憶、肌のぬくもりとか、匂いとか、潮風の感触とか、そういうものがいきなり蘇ってきたときに人間は「表情筋を動かす作為さえ惜しんで立ち尽くす」ということが父のそのときの様子を見てよくわかりました。

 長い歳月が過ぎて、忘れ果てていたはずの「どうでもいいこと」が、まるでつい先ほどのことのようにありありと思い出された。それまで順序よく配列されていた時間系列が崩れて、幼児だった自分の身体感覚が90歳の老人の中でリアルに賦活した瞬間のとまどいと喜びを父の呆然とした横顔に感じました。
 そのちょうど一年後の同じ日に父は亡くなりました。何か予感するところがあっての故郷再訪だったのでしょう。
 以来、毎年鶴岡に墓参に通い、同じ旅館の同じ部屋に泊まって、夕陽を眺めるのが残された三人の家族の習慣になりました。来年は父の十三回忌です。

 13日に自動車で帰る兄たちと別れ、庄内空港から羽田へ。その足で参院議員会館を訪れ、90分ほどのトークセッション。これは松井孝治議員が企画してくれたもので、民主党の議員さんたちに「オピニオン」に書いたような話をしました。細野豪志さん、松本剛明さん、鈴木寛さんといったいつも顔ぶれの他に若手の議員さんたち、そして輿石東さんともはじめてこのときお会いしました。
 その後、細野さんの主宰の夕食会に招かれて、十名ほどの若手の議員、前議員の方とおしゃべり。このとき若手の中にはまだ「維新の会との選挙協力」を主張する人がいました。細野さんに「絶対維新と組んじゃだめですよ。維新と組んだら民主党は終わりですよ」と申し上げました。
 まことに奇遇なことに、僕が「維新と組んだら終わりですよ」と申し上げたのとほぼ同時刻に、橋下徹市長が大阪市庁舎内での記者会見で「慰安婦制度は必要だった」「沖縄米軍に風俗の活用を勧めた」という発言をしました。それが後から思うと、維新の会の「終わりの始まり」でした。

 14日
 大学理事会のあと、週刊朝日の石川さんとおしゃべり。「これからどんな若手に書いてもらったらいいのか」というお訊ねでした。もう森田くんは週刊朝日に連載を始めているし、光嶋くんも三島さんも平尾さんもみんなあちこちで連載を持つ身ですから、なかなか新しい書き手を探すのはたいへんです。「若手」というのはちょっとあれですけれど、エレクトのおじきとドクターをご推薦しておきました。
 そのあと、その森田くんと鈴木健さんと、健さんの『なめらかな社会とその敵』をめぐるトークセッションに。たいへんに刺激的で、頭が熱くなるようなセッションでした。

 18日
 熊谷晋一郎さんと綾屋沙月さんが凱風館にお見えになりました。医学書院の白石さんの企画です。去年の暮れに広島で鷲田清一先生といっしょに三人でトークセッションをしました。
熊谷さんは出生児の後遺症で脳性まひとなり、車いすの生活をしながら東大医学部を出て、小児科医となった方です。
 その熊谷さんの『リハビリの夜』に「使えるものは何でも使う。この身体部位にそんな使い方があったとは知らなかったような使い方をみつける」というプラグマティックな身体観を読んで、これって武道家の身体観と同じだな、と思ったのでした。

 身体を「鍛える」とか「性能を向上させる」というのは、すでにその使い方が知られた身体運用の量的な拡大です。でも、身体の「使い方をみつける」というのは、それとは全く違います。
 そもそも「身体のそれまで知られていない使い方をみつける」ということはそれをめざして起案されたプログラムというものを持ちません。
 「上腕二頭筋の直径を増して、強い力を出す」というようなトレーニングなら、プログラムが作れます。でも、「上腕二頭筋をできるだけ使わないで、強い力を出す」ためのトレーニング・プログラムというものは存在しません。

 それを達成するためには、重心の移動、体軸の傾斜、身体の回転、動線の選択、「つよい型(shape)」の造形、体性感覚の統御といった変数の多い方程式に気長にさまざまな変数を放り込んでいって、身銭を切って実験して、自分で発見するしかありません。
 その試行錯誤と熊谷さんの試行錯誤はたどった道筋と成否の判定基準において、非常に近いところがありました。

 とくに熊谷さんの場合は「介助」の人と「同化的に身体を使う」という要請が日常的にあります。合気道の場合もそうです。
 「どうやって対立的にではなく、同化的に身体を使う」。これは他の競技武道の場合には、まず主題的に問われることのない技術的な課題でしょう。
 合気道は汎用性の高い武道だということはつねづね感じていましたが、あらゆる人間的活動に適用できる「生きるための技術」だということを思い知ったのは、能楽師の安田登さんのお話しをうかがったときと、熊谷さんのお話でした。

 21日
 理事会のあと、九条シンポジウム。
 『九条どうでしょう』が筑摩から文庫化されたことを記念してのセッション。2006年に本が出た直後に一度ご飯を食べましたが、四人が揃うのはそれ以来です。平川克美、小田嶋隆、町山智浩、そして僕です。このメンバーを集めたのは僕です。お声かけしたときには小田嶋さんとも町山さんとも僕は面識がありませんでした(「ファン」というだけで)。でも、幸いにもご快諾して頂きました。
でも、このメンバー今から見ると、凄いラインナップですね。よくこれだけ強面のライターを集めたものです。
 今読み返しても面白い本ですけれど、トークセッションでの町山・小田嶋の暴走ぶりが痛快でした。ほんとに。これを聞けただけでこの本を作った甲斐がありました。

 22日
 辺境ラジオ収録。MBSラジオで不定期に放送時間枠外で放送されている名越先生、西靖アナとの暴走鼎談。今回も名越先生が暴走気味で、たいへん面白かったです。話題は政治の話と「うめきた」再開発(グランフロントとかいうのができたんですよね)。6月9日放送。

 23日
 広島で日本整形外科学会で学術講演。なんで僕が整形外科の学会で講演するんでしょうね。とりあえず医療と教育と司法と宗教という制度資本がグローバル資本主義の攻撃の標的になっているので、それを守り切らないと共同体は保ちませんというお話をしました。

 「癒やし・学び・裁き・祈り」は人間集団が存続するための基本の四つの柱です。
 癒やし手のいない集団、学びの場のない集団、裁き手のいない集団、超越者に祈る習慣を持たない集団はたぶん二世代持続できません。
 でも、今世界の国々はどこもその四つの柱が崩れかかっています。
 この四つを市場に投じて、経済活動の下位に組み込むことは可能です。
 金を払えば質の高い医療が受けられる、金を払えば質の高い教育が受けられる、金を払えばいい弁護士がつけられる、金を払えば魂の安息が買える。だから、まず金が要る。
 そういう考え方がいまではもうマジョリティを占めています。

 でも、ひとりひとりが他の人より多く金を稼ぐことを生きる目的に掲げたら、人間集団は長くは保ちません。もう滅び始めているように僕には見えます。
 それを誰が押しとどめるのか。
 とりあえず、この四つの仕事にかかわっている人たちがフロントラインで共同体の崩壊を踏み止めるしかない。
 というようなお話をしました。
 整形外科の先生にはあまり関係ない話かな・・・と不安でしたが、講演が終わったあと、会場で僕の本を売ってくれていた地元の本屋さんから医学書院の白石さん宛てに、講演を聴かれた方たちの感想の一部が伝えられました。うれしい感想でした。

 25日
 全日本合気道演武大会。51回目の演武大会ですが、僕は1977年、会場が日比谷公会堂から日本武道館に移った最初の回から37回連続出場記録を更新中です。
今回の参加者は1万人。たぶん、この中で37回連続出場しているのは100人に満たないでしょう。
 5月の第四土曜日に一度も風邪も引かず、骨折もせず、痛風の発作もなく、親族知人の葬式やゼミ生の結婚式もなく37年来たわけですから、これはかなりたいへんなことであります(だって、僕は年中風邪を引いて、骨を折って、痛風になって、葬式と結婚式に出ているんですから)。何か不思議な因縁を感じるのです。

 多田塾甲南合気会は総勢30名余。合気道兵庫県連盟の演武にも、学生連盟外演武にも出ました。多田先生、道主の演武を拝見してから、多田塾一同でいつもの記念撮影。それから自由が丘道場、読売文化センターの諸君と合同の打ち上げ。ひさしぶりに小堀さん、大田さんとゆっくり歓談しました。楽しかったです。来年もよろしくお願いしますね。

 26日
 如来寺杯。そろそろ書くのに疲れてきたので、短めに。第二回如来寺杯は僕が優勝して、甲南麻雀連盟総長の威信を保ちました。ご歓待くださった如来寺釈家のみなさまに感謝です。

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内田樹(うちだ・たつる)

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。 現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。 神戸女学院大学名誉教授、多田塾甲南合気会師範、合気道七段。

著書に、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、 『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、 『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、 『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』(以上、ミシマ社)など多数

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