凱風館日乗

2011年秋の開館以来、内田樹先生の主宰する道場「凱風館」には、数々の著名人や武道家が訪れ、伝説のような出来事が日々起こっています。合気道(多田塾甲南合気会)には門人が150名を超え、入門待ちの状態・・・。そこで、通いたくても通えない方々に「誌上入門」していただこうと、本連載を内田先生に依頼しました。道場に通えない方も、道場には興味がないという方も、内田師範の「教え」を体感してみてください。とにかく、気持ちいいですから!(編集部)

第12回 凱風館日乗(8月半ば)

2013.08.16更新

 前回が7月9日ですから、一月以上間が空いてしまいました。
 すみません。

 日記ってやっぱり毎日きちきちと継続的につけないとダメですね。
 英語ではkeep a diary と言います。write a diary じゃないんですよ。キープしないといけないんです。
 「長期の習慣的行為であるから、keep a diary every night は誤用」と英和辞典に書いてありました。
 ふうん、そうなんだ(こういうときにとりあえずすぐに辞書を引くのは私の数少ない美点の一つであります)。

 もしかすると、研究者とそうじゃない人の差というのは、「調べ物を苦にしない」という一事に尽くされるかもしれないですね。
 ちょっと調べただけで思いがけないことがわかります。
 だから、調べ物好きです。

 最近調べたことでいちばん面白かったのは、ドワイト・アイゼンハウアーの軍歴でした。
 どうしてアイゼンハウアーの軍歴を調べたかというと、そのときはケネディの軍歴と比較してみようと思ったからです。
 調べてみてびっくり。
 アイゼンハワーは1915年ウェストポイント卒業で、1920年に卒業後5年で少佐に昇進したのですが、なんとそれから16年間少佐のままだったのです。ようやく中佐に昇進したのが1936年。たぶんアメリカ陸軍内部ではたぶん「もう先のない人」だと思われていたのでしょう。

 ところが、第二次世界大戦が始まるや、まったく実戦での軍功のないこの軍人がめきめきと頭角を現し、驚異的なスピードで累進し、44年にノルマンディー上陸作戦の最高司令官として連合軍全軍を指揮、同年陸軍元帥に列せられました。
 中佐から元帥まで5年3ヶ月。これはアメリカ陸軍史上の最短記録だそうです。
 そう知ると、アイゼンハウアーってどんな人だったんだろうとむくむくと興味が湧いてきます。
 アメリカ陸軍というのは「勤務考課がまるで不適切な組織なのか、それともきわめて適切な組織なのか」どっちなんでしょう。
 とりあえず考課の誤りを訂正することにおいては、たいへんすばやい組織であることは事実です。日本陸軍のまるで逆ですね。

 もうひとつ調べて面白かったのは、世界の経済成長率ランキング。
 「成長戦略」とかさかんに言われて「経済成長しなければ、日本に未来はない」というようなことを政治家や経済評論家があたかも常識のように語られていますけれど、それほんとうかな・・・と思ってちょっと調べてみました。

 2012年度の数値ですが、経済成長率堂々の一位はリビアでした。105%。
 リビアといえば、カダフィ大佐が前年に殺害されて42年にわたる独裁制が崩壊した直後です。
 二位はこれも驚きのシェラレオネ、成長率20%。シェラレオネも内戦が続いており、国民の平均寿命が世界最短の国。
 三位はモンゴルの12%、四位はニジェールの11%(民政になるたびに軍事クーデタがあり、現在は軍政中)、五位がトルクメニスタン(2006年までニヤゾフ大統領が独裁。別名「中央アジアの北朝鮮」)の11%。以下、パナマ、アフガニスタン(内戦中)、東ティモール(内戦収束中)、コートジボワール(二次にわたる内戦が収束中)、ブータンと続きます。

 日本は2%で119位。韓国のすぐ下です。中国が7.8%でかろうじて18位。アメリカは111位、ヨーロッパはほとんどがマイナスかゼロ成長でした。
 このランキングを見ると、少なくとも経済成長率という数値がその社会の民主化度とも、平和とも、豊かさとも、国民の幸福とも関係のない数値だということがよくわかります。
 内戦をしている国がこれだけ高いんですからね。

 経済成長率は国民の幸福と相関しないという事実はこのランキングを見れば一目瞭然です。だから、こういうデータは日本のメディアにはまず出ることがありません。
 国民の幸福と相関する経済的な指標だって探せばあるんでしょう。でも、ジニ係数とか言われてもふつうの人には意味がわからないし、「名目GDP」だと日本は世界三位なのに、一人あたりになると13位なのは富の分配がアンフェアだからではないのかという話になる。だから、そういう「危ない数値」は景況の善し悪しを語るときに絶対に出てきません。出てくるのは結局「実は無意味な指標」である経済成長率だけです。

 60年代の池田内閣以来、俗耳になじんだ「成長」という語の情緒的なニュアンスをほとんど「文学的」に利用しているうちに、実体と無関係な数値を政策目標に掲げるというピットフォールに落ち込んでしまったのだと思います。
 いや、ほんとに。
 嘘だと思うなら、誰でもいい「成長戦略なくして・・・」というような演説をする人がいたら、「失礼ですけれど、去年の経済成長率世界一はどこだかご存じですか?」と訊ねてみるとよろしいかと思います。

 たぶん上位三国の名前がすらすらと答えられる人はいないはずです。
 彼らの「成長なくして」論が成り立つためには当然ながらリビアやシェラレオネが「めざすべき理想の社会」であるのでなければならない。
 でも、いかなる詭弁を弄しても、それは証明できません。
 結局、「経済成長率という数値の意味は国ごとに、その発展段階ごとに、その社会の成熟度に応じて違ってくる」という当たり前の結論に落ち着くしかない。

 そうなると、だとしたら「個別日本にとっての経済成長率の意味は何か?」というたいへんまっとうな問いが立ち上がってきます。
 そして、欧米諸国の成長率と比べたり、60年代以降の日本の成長率の推移を見たときに「成熟した先進国では決して経済成長は起こらない」という当たり前の結論に至り着きます。
 だから、論理的に言えば、経済成長のためには日本を「成熟した先進国ではない国」にするしかない。

 とりあえず知られている「確かな方法」というのは一つしかないからです。
 革命か戦争があって、都市が焼かれ、人々が死んで、伝統的な文化が崩壊したあとに、平和が訪れ復興過程に入ると経済成長が始まる。
 これは確かです。
 改憲派の人たちや「アベノミクス」の信奉者がめざしている方向はあるいはそうなのかも知れません。
 彼らがとりあえず日本を「成熟した先進国ではない国」にしたがっていると考えると、彼らの行動の意味がよくわかるからです。

 「ちょっと調べるとわかること」について人は嘘をつくはずがないというのは僕たちが陥りやすい誤解です。
 逆なんです。
 「ちょっと調べればわかること」について嘘をつく人がいるはずがない、という無根拠な思い込みを利用して実に多くの人が嘘をつく。
 というほうが真実です。

 たとえば、経歴詐称というのは僕たちが思っている何倍も現実世界にはあります。
 ほんとに。
 経歴なんか、調べれば(手間さえ惜しまなければ)すぐにわかります。
 でも、「だから、そんなことで嘘をつく人間がいるはずがない」と思ってしまうのが落とし穴です。

 あきらかな経歴詐称をしている人物が身辺にいたことがありました。
 この人は「自分は医者で、弁護士で、大学教師なのだが、たまたま親戚の手伝いで保険の営業をしている」という触れ込みで登場しました。
 その自己申告を信じて、友人の会社が彼を営業部長に採用してしまいました。
 「そいつ、絶対嘘言っているよ」と僕は忠告したのですが、友人は聞き入れてくれません。

 しかたがないので、まず彼が出講していると主張している大学の教務課に電話をかけてそういう教師がいるかどうか確認をとりました(いませんでした)。次に弁護士の友人に電話をしてそういう名前の人物が弁護士会に登録しているかどうか調べてもらいました(いませんでした)。
 電話二本の結果を友人に報告したら、さすがにすこし疑念が兆したようで、その営業部長を呼んで「弁護士資格、医師免状という特殊資格を持っておられるので、給与をその分割り増しにしたい。ついては資格を示すもののコピーをご持参頂きたい」と頼みました。
 彼は「では、明日持ってきます」と言ってそのまま二度と会社に姿を現しませんでした。これは別に例外的なケースではありません。

 僕たちの世界は「嘘」に満たされております。
 でも、僕はそれを悲観的に語っているわけではありません。嘘を見破ることって、それほどむずかしいことではないからです。
 ちょっとした手間をかければ、ほとんどの嘘は見破れます。
 でも、この「ちょっとした手間」のハードルが思いの外高いのです。
 では、この「嘘を見破る方法」について明日は書いてみることにします。

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内田樹(うちだ・たつる)

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。 現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。 神戸女学院大学名誉教授、多田塾甲南合気会師範、合気道七段。

著書に、『街場の現代思想』『街場のアメリカ論』(以上、文春文庫)、 『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書・第6回小林秀雄賞受賞)、 『日本辺境論』(新潮新書・2010年新書大賞受賞)、 『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』(以上、ミシマ社)など多数

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